蒋済 子通


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蒋済 子通

 

 

生没年:?~嘉平元年

 

所属:魏

 

生まれ: 楚国平阿県

 

 

 

蒋済(ショウサイ/ショウセイ)、字は子通(シツウ)。現代メディアではあまり有能なイメージを持たれない魏呉の参謀陣ですが……蒋済はそんな人物のうちのひとりにして、曹操から続く魏、およびその前身の隆盛を見続けてきた人物です。

 

その性格は硬骨、下手をすると偏狭にも見えるかもといった感じで人望はありませんでしたが……逆に芯の強さが評価されることもあったようです。

 

 

そして一番の面白エピソードが……酒。この人物を知る人は、このネタはある意味鉄板なのかもしれません。

 

今回は、そんな蒋済の伝を追っていこうと思います。

 

 

 

 

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硬骨の策士

 

 

 

蒋済が曹操に出仕したのは、曹操が揚州北部で人材を発掘していた時だったと言われています。曹操軍に仕官した蒋済は郡の役人から州の重役にまで出世。

 

建安13年(208)では赤壁の戦いの直後、合肥(ガッピ)に進軍してきた孫権(ソンケン)軍と対峙します。

 

 

この時、味方は少数の非主力部隊。さらには将軍の一人を後方にやって急遽兵力を増強させようとしましたが、増強部隊は疫病の流行で頼りにならない数にまで激減してしまうという危地に立たされますが……蒋済は一計を案じます。

 

味方に対し、彼は「味方の本隊が増援として迫っている」と嘘の情報をながし、後方で部隊編成を行っている将軍に対して本隊を迎えに行くよう指示する旨を伝令に伝えに行かせたのです。

 

 

こうして城の外へと報告に行った伝令部隊は、大部分が孫権軍に捕らえられてしまったのですが……味方本隊の援軍という偽情報はこれによって孫権軍にも伝えられ、結局孫権は陣を焼き払って撤退。蒋済らは窮地を脱することができたのです。

 

 

 

しかし、その後も孫権軍はたびたび合肥に侵攻。これではかなわぬと思った曹操は、「袁紹(エンショウ)との戦いで上手く行ったし、いっそ民を強制移住させてしまうか」と蒋済に相談します。しかし蒋済の意見は反対。

 

「あの時と違い、我が軍はすでに天下の信望を得ています。それを損なう動きは危険でしょう」

 

 

結局曹操は蒋済の意見を聞き入れずに強制移民を行いましたが、これに反発する動きが激化。豪族の反乱と現地民の孫権領への逃亡を招いてしまい、曹操は「蒋済の言うとおりだったか」と反省。そのまま蒋済を郡の太守に任命し、再び州の属官経て、今度は曹操自身のお付きになったのです。

 

 

こうして蒋済が中央勤務になってしばらくの、建安24年(219)。今度は、荊州に陣取っていた関羽(カンウ)が北上し、曹操軍を攻撃。兵力不利な味方は窮地に陥って敵に首都の近くにまで迫られ、編成した援軍も天災のせいで壊滅という憂き目に遭ってしまうのでした。

 

曹操はこれではまずいと本拠地を北へと移そうと画策しましたが……ここでも、蒋済は他の群臣らと共に曹操の判断に反対意見を述べました。

 

 

「主力部隊は天災のせいで敗れたのであって、敵軍に負けたわけではありません。それなのに負けを認めるような行為をするのは、天下の信望を損なう動きです。それよりも、関羽、ひいてはその後ろの言いる劉備(リュウビ)に不満を持つ孫権を動かしましょう。それで勝てます」

 

 

曹操はこの言葉通りに孫権へと交渉を持ち掛けると、元々そのつもりだった孫権は即座に行動を開始。関羽は結局攻めるどころではなくなり、撤退するもののそのまま追い詰められて敗死し、曹操らはなんとか危険を潜り抜けることができたのでした。

 

 

 

 

 

優良なアドバイザー

 

 

 

曹操が亡くなって跡を継いだ曹丕(ソウヒ)が魏帝国を建立すると、蒋済は東中郎将(トウチュウロウショウ:左中郎将とも。近衛軍一角の司令官)に昇進。しかし当人は中央の政界にとどまることを希望し、曹丕から「天下が平穏になってからでもよかろう」と逆に諭されてしまいます。

 

しかし、その後蒋済は政治について意見を述べた『万機論』を献上。それを気に入られて散騎常侍(サンキジョウジ:皇帝の側近。主な仕事は皇帝の意見の伝達)としてすぐに政界に戻りますが。

 

 

とはいえ、長らく軍事的な献策もしてきた能臣が戦争に引っ張られないはずもありません。黄初3年(222)、呉への大親征が行われると、蒋済も一方の大将である曹仁(ソウジン)に従軍。聞き入れられなかったものの敵軍の計略を見抜いた進言を行い、後に曹仁が病死するとその軍勢を預けられるようになります。

 

また、曹丕に対しても無茶な行軍を諌止しようとしたり、邪魔になるから捨てるつもりで預けられた船をあえて保管して水路を作り活用するなどして、すっかり曹丕に信頼されるようになります。

 

 

曹丕が亡くなって曹叡(ソウエイ)が帝に即位すると、再び大規模攻勢に従軍。聞き入れられずに大敗してしまうものの総大将の曹休(ソウキュウ)に的確な進言を行っており、また蒋済が早急に救援部隊を手配したのもあって全滅を回避。中護軍(チュウゴグン:護軍は兵の監督役)として、いよいよ作戦指揮ができる立場に昇進します。

 

さらには、当時大権を握っていた劉放(リュウホウ)、孫資(ソンシ)らを指して「彼らに専横のきらいがあり、人々は2人に媚びへつらうようになっていきます。こうなると、彼らの思惑とは無関係に政治を腐敗させます」と諫言。

 

他にも曹叡の宮殿増設や女色に溺れたことで、独身者が増えて作物も少なくなった際にも、蒋済は厳しくこの態度を諫め、「蒋済がいなければこんな言葉は聞けないだろう」とありがたがられています。

 

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次代の到来と蒋済の背信

 

 

これらは『戦略』、そして『漢晋春秋』の話ですが……蒋済の功績も書かれているので記載。

 

 

遥か北東の遼東(リョウトウ)が怪しい動きを見せ始めたのは、だいたい曹叡が帝になってからしばらくしてからの事。この地では、公孫淵(コウソンエン)がクーデターで兄から政権を奪い取り、それから徐々に不気味な動きを見せるようになっていたのです。

 

曹叡はこれを警戒して、ちょくちょく軍事行動を進めていましたが失敗。蒋済は、これについても失敗を予見して反対していたそうな。

 

 

公孫淵はその後も孫権と結んだり再び魏に帰順したりと怪しい動きを見せていましたが、ついに独立して魏と敵対。司馬懿によって追い詰められると、孫権に助けを求めたのです。

 

これを心配した曹叡は蒋済に対し「孫権の動向は大丈夫だろうか」と質問すると、蒋済は一応の注意を促しつつも、「孫権は事の機微を見極めるのに長けており、仮に息子でも見捨てるでしょう。赤の他人ならば余計手を貸す義理はありません」と返答。結果、孫権からの援軍は無く、公孫淵はそのまま滅んだのでした。

 

 

 

さて、そんな曹叡も若くして崩御。まだまだ幼い曹芳(ソウホウ)が次の帝に即位しますが……幼年の帝では政治など動かせるはずもなく、曹叡の遺言通りに司馬懿と、そして曹爽(ソウソウ)の2人が中心となって魏を支えることになりました。

 

蒋済も太尉(タイイ:国防長官)にまで出世しますが……その数年後に国内の雰囲気が怪しくなっていきます。

 

 

司馬懿と曹爽ははじめは二人三脚でうまく国を回していましたが……やがて曹爽は司馬懿を排して政権をほとんど独占。その側近となった人物らが好き勝手にふるまい始めたのです。

 

始めは魏の祭祀における議論などに参加してこれらに深く携わらなかった蒋済でしたが、国政に思うところがあったのか、司馬懿が曹爽にクーデターを起こすと、蒋済は司馬懿に味方。

 

やがて曹爽らを一掃すると、蒋済は司馬懿によって領地を加増。この時蒋済は頑なに加増を拒否し続けましたが、結局は無理矢理領地を増やされたとか何とか。

 

 

その後、蒋済は年を跨がずして死去。景侯と称されましたが……曲がり也にも魏の政権に楯突いた形になった蒋済の最期は、いったいどんな心中だったのでしょう。

 

 

『世語』によれば、蒋済は司馬懿の言葉を信じ、「ただ免職にするだけだ」として曹爽に降伏を勧告。

 

後に降った曹爽が結局殺されてしまうのを見届けると、結果的に背信に近い事をした事実を気に病んで発病、死去したとか。

 

 

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人物像

 

 

 

蒋済の記述を見ると、やはり一切の物怖じをせず、言いにくいこともスッパリと言い切ってしまっている部分があります。しかし、それらの意見はすべて正論。結果として、賢君であった曹丕曹叡からは逆に喜ばれています。

 

陳寿も彼1人についての評は残していませんが、そうそうたる面子のひとりとして蒋済を上げ、まとめて「天下の奇策士である」と高く評価していますね。

 

 

傑出した知略の持ち主でありながら剛毅な人物でもあり、それが人によってはウケた……というのが蒋済の人物像なのですが、やはりそういった性格は、味方と同時に敵も作りやすいもの。

 

知者である桓範(カンハン)の渾身の書物をペラペラ読みしかせずに「貧乏人の分際で名族に楯突くのか!」と散々罵倒されて一触即発になったという逸話もある通り、意外と揉め事の多い人物だったのかもしれません。

 

 

極めつけは、蒋済自身、かなりの酒好きで、非常に酒癖が悪かったというもの。この酒が原因で、時苗(ジビョウ)なる人物と揉め事を起こしています。

 

 

時苗が揚州の政庁がある寿春(ジュシュン)の県令(ケンレイ:県のトップ。つまり県庁所在地の市長のような存在)になった時、蒋済は彼からの面会を受けています。

 

時苗は名のある名士のところの出。対して蒋済は、大したことのない家柄の出身。当時は家柄や血統は絶対のものであり、この場合、蒋済はどれほど忙しくても、時苗を接待するのが常識でした。

 

しかし、蒋済は酒を浴びるように飲んで酔いつぶれており、とても面会できる様子でもなし。そのため、なんと時苗をそのまま門前払いするという世評を敵に回しかねないことをしでかしたのです。

 

 

当然、時苗はそんな蒋済に対してマジギレ。おぼっちゃま権力で処断するわけにもいかず、木彫りの人形に「酒徒(酒乱)蒋済」と書き記して、朝晩それを公然と矢で射抜くという嫌がらせで対抗。

 

品行方正な名士が見せた珍しい小物エピソードでしたが、その原因を作った蒋済は完全に放置。別段気に病むでも起こるでもなく、終始ケロッとしていました。

 

以後、蒋済の方が上の位に就いたときにまた2人は出会いますが……根に持ってネチネチ怒りをぶつける時苗とそれをスルーしてしまう蒋済の関係は以前のままだったとか。

 

 

……まあこんな感じの欠点や良くも悪くもブレない人物ではありますが、そういった一面も物事の本質や最良手を見抜く上で重要な資質になっていたのでしょう。

 

何にせよ、ややフリーダムで自重しないきらいはありますが……こういう聡明で自分なりの正義をキッパリと主張できる人物は、やはり優れた組織には必要なもの。蒋済の働きは、魏の隆盛に大いに貢献していたのです。

 

 

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