曹彰 子文


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曹彰 子文

 

 

生没年:?~黄初4年(223)

 

所属:魏

 

生まれ:豫州沛国譙県

 

 

人物伝・魏書

 

 

 

曹彰(ソウショウ)、字は子文(シブン)。曹操の息子の中でもかなり目立つ位置にいて、特に武勇に優れているため、良くも悪くもちょっと浮いた人物ですね。

 

曹操自身から虎髭の雄姿という意味で黄髭(コウシュ)などと呼ばれ(『魏略』によると文字通り髭が黄色かったらしい)、その武勇を愛されました。

 

 

 

そんなわかりやすい脳筋猛将タイプという事もあって、「創作でもいいから魏を滅ぼしてやる」などと考えている過激な魏アンチのような人からも不思議と許されたり、逆に好かれたりという不思議な人物です。

 

 

 

しかし反面知性に関しては……

 

 

まあ、その辺は後述するとして、まずは本伝に記載されている記述から追っていきましょう。

 

 

 

 

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圧倒的武勇!

 

 

 

曹操の息子と言えば知的なイメージがありますが……曹彰は知的とは真逆。弓馬に優れ、腕力も人並み以上で、急斜面も平気で踏破。さらには猛獣と格闘できてしまうなど、非常な武力の持ち主であることが史書に記されています。

 

 

若い頃から曹操の遠征に付き添い、曹操が魏王に就任すると、曹彰は鄢陵侯(エンリョウコウ)に任命されました。

 

 

 

さて、曹彰の武勇が明るみに出るのは、魏が王国を建ててから2年後の建安23年(218)のこと。

 

この年、北方の異民族である烏丸が大規模な反乱を起こしており、北の国境線付近の情勢は大荒れといった状況でした。

 

 

 

曹彰は北中郎将(ホクチュウロウショウ:中郎将は禁軍指揮官)、そして驍騎将軍(ギョキショウグン:)の代行役として反乱鎮圧の総大将に就任。

 

この時、父親の曹操からは「今までは親子だったが、一度宮廷を離れる以上は主君と子供の関係。法に従って勝手をせぬように心得よ」と言い渡されたのです。そんなに不安だったのか……

 

 

 

さて、こうして北伐軍を率いて幽州(ユウシュウ)の涿郡(タクグン)というところに入ると、待ってましたとばかりに烏丸兵数千騎が曹彰の軍を襲撃。

 

兵がまだ集結しきれていないタイミングでの不意打ちで、この時の曹彰軍は歩兵ほどに、騎兵もわずか数百のみ。

 

 

いきなり危機に直面した曹彰でしたが、ここは軍師として随行していた田豫(デンヨ)の策により、陣を堅守している間に敵軍は散り散りになって逃げていきました。

 

 

 

……さて、曹彰の活躍はこの後。逃げ去っていく烏丸兵たちの尻を見て、どうにも武人としての血が騒ぐ曹彰は、即座に軍に命令。

 

 

「追撃じゃあ!!」

 

 

 

なんと、総大将ともあろう曹彰は、自ら前線に立って逃げ去っていく烏丸兵を追撃し、自ら弓を持って敵兵を射撃。自身の鎧に数本の矢が刺さっても手を緩めることなく、半日以上ものあいだ逃げる敵兵を追いかけ続け、いつしか敵の本拠地もそう遠くない桑乾(ソウカン)の地にまで迫って子あったのです。

 

 

 

しかし、ここまでずっと戦いながらの行軍になった兵士はすでにクタクタ。それもそのはず。集結中に戦いに巻き込まれた挙句、ここまで休まず十時間以上も戦い続けたのです。疲れないはずもありません。

 

曹彰に付き従う官吏たちは兵の疲れ、そして独断での突出しすぎは命令違反に当たるとして曹彰を諫めました。

 

 

が、曹彰は逆に官吏たちに対して強気で言い返します。

 

 

「うるせぇ! 戦う以上勝利のために専心するのは義務だってのに、何が命令だ! 
まだ敵はそう遠くに逃げちゃいねえ。今攻めこみゃ勝てる! 形式ばっか気にして勝機を逃す奴に、良将もクソもあるか!」

 

 

こうして疲れ切っている兵たちに対し「遅れる者は斬る」と伝達し、馬に乗って敵軍の追撃を続行。一昼夜駆けまわってついに敵軍を捕捉し、討ち取った兵数はなんと四桁にも上る大勝利を飾ったのです。

 

 

……もはや滅茶苦茶……

 

 

 

とはいえ、さすがに曹操の息子。無理強いした将兵らを無視してそのままとはせず、褒賞を規定の倍の数出したため、この戦いを乗り切った将兵らは大喜びしたとか何とか。

 

 

ともあれこうして各地で連戦連勝していった曹彰軍。その勢いを見た異民族らは畏怖すら覚え、ついには鮮卑の大物である軻比能(カヒノウ)ら中立を保っていた面々は曹操軍に帰順の意を示し、最終的にはこの北方の反乱をすべて平定して帰ることに成功したのです。

 

 

 

ちなみにその後長安にいた曹操に指揮下で戦った諸将の活躍を褒め称えて上奏し「立派になったな……」と感動され、見事美談で一連を締めくくった曹彰ですが、その裏には帰り際に出迎えてくれた兄・曹丕(ソウヒ)の「下手に自慢せず、配下を立てて控えめに応答しろ」というアドバイスがあったとか何とか……

 

 

 

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曹彰の野望……?

 

 

 

曹操はしばらく長安にとどまっていましたが、やがて曹彰に長安を任せて中央に帰還。しかし、帰還後から体調を崩し始め、そのまま亡くなってしまいました。この時曹彰にも早馬で事の次第を伝えましたが、どうにも間に合わなかった様子。

 

 

そしてようやく洛陽に到着した時、曹彰はとんでもない事を周囲に問いただしたとされています。というのも、

 

 

「父上が生前お就きになっていた魏王の証となる印綬と紐はどこにある?」

 

 

……つまり、曹操の跡継ぎに自分がなる、あるいは自分が決めた誰かに継がせるという意思の表れにもなる発言ですが、いったい何があったやら……。ともあれ、ここでは賈逵(カキ)が「後継ぎが決定した今、あなたがお気になさることではありません」と告げられたことで曹彰もあっさり諦めたそうな。

 

 

 

 

ともあれ仕方なく領国に戻った曹彰は、その後も爵位が進み、黄初3年(223)には任城(ニンジョウ)王に立てられました。

 

 

しかし翌年、洛陽に参内した時に体調を崩し、突如として死去。その死後、威王の諡号を与えられました。

 

 

 

 

 

そのマッシブな人物像

 

 

 

曹彰は若くして激しい気性の持ち主だったらしく、曹操も割と手を焼いていたようです。

 

 

ある時曹操

 

「書物を読まず剣馬ばかり鍛えているが、それは士卒のすること。すでに貴人の身分であるお前が、なぜそれを尊んでいる」

 

 

 

と言って曹彰をたしなめたことがありました。しかし、剛直な性格の曹彰はこれを聞かず。

 

 

「男たる者、前漢を代表する名将である衛青(エイセイ)や霍去病(カクキョヘイ)のようにあるべきだ。俺は十万の騎兵と駆けて勲功を立てたい。博士になんてなれるかよ!」

 

 

と言い放ち、また曹操が我が子らに希望を聞いた際も、「将軍になりたいです!」と答えたとか何とか。

 

 

 

また、曹操の死後に印綬を求めたあたりを見ると、案外行動が野心的だったり……割とよくわからない人ですね。

 

 

ちなみに『魏略』では、弟であり曹丕との後継者対立の候補となった曹植(ソウショク)と仲が良く、曹操が亡くなった際に「父上はお前を後継ぎに望んでおられたはずだ」などと言って曹植を慌てさせたり、『魏氏春秋』では今にも襲い掛かりそうな勢いで印綬を求めており、後に急死した際もそれが原因のもつれによる憤死だったとか色々と言われています。

 

おそらくは本気で曹植を後継ぎにするつもりだったのか、はたまた曹丕を認めない群臣から何かをそそのかされたのか……

 

 

何にせよ、なかなかIFを考えるのが楽しい人物ではありますね。彼が曹丕の崩御まで長生きしたら、いったいどんな波乱を魏に持ち込んでくれたのか……

 

 

 

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