温恢


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温恢 曼基

 

 

生没年:?~?

 

所属:魏

 

生まれ:并州太原郡祁県

 

 

 

温恢

 

 

温恢(オンカイ)、字は曼基(マンキ)。有能な政治家はだいたいがその人気から極端に事績の解説が多いか、はたまた波風も立たず極端に記述が少ないかの2択なのですが……温恢は紛れもなく後者の人。

 

 

歴史に伝わる記述は少ないですが、やはりその中にも、体面や見せかけに騙されない洞察力のようなものを持っており、政治家・ブレーンとして非常に優秀な人物だったことが伝わります。

 

 

特に難しい地方を治めるというのは、ものすごい地味な仕事の割に、当時の情勢を見ると大変な作業だったのです。

 

 

それを、持ち前の洞察力を活かしてか知識を活かしてかは知りませんが、しれっと簡単にこなしていった温恢。今回はそんな彼の伝を追ってみましょう。

 

 

 

 

 

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曹操「本当は中央にお持ち帰りしたい!」

 

 

 

温恢は裕福な豪族の家に生まれましたが、15歳のころに涿郡(タクグン)の太守をしていた父親が死去。

 

取り残された温恢ら遺族は、それでも父の遺した莫大な財産を有していましたが、温恢はなんと、「乱世で金なんて持ってても邪魔なだけ」と言い捨て、親族郎党にばらまいてしまったのです。

 

 

この行動を見た郷里の人たちは温恢をベタ褒め。郇越(シュンエツ)という過去の偉人になぞらえてこの行動を称えたとされています。

 

 

 

こういった行動は物欲を嫌う儒教にとってはまさに誇るべきもの。こういった徳業もあってか孝廉(コウレン:家柄や素行、学問などの儒教精神に則っての地元推挙)によって官吏の道に召し出され、各地の官吏を歴任。

 

廩丘(リンキュウ)県長、鄢陵(エンリョウ)県令、広川(コウセン)県令、彭城(ボウジョウ)国相、魯(ロ)国相と、史書にあるだけでも短期間でこれだけの土地を渡り歩き、そして挙げたものはすべて規模こそ違えど、とある一帯の長官職ですが、温恢はこのいずれの官職にあっても評判は良かったと記載されています。

 

 

 

これらの任地を転々とした後、曹操(ソウソウ)らが中心となって取り仕切る朝廷に参内し、丞相主簿(ジョウショウシュボ:内閣総理大臣クラスの官職の秘書)を務めた後、今度は南東の揚州(ヨウシュウ)に州刺史(シュウシシ:州の長官)として赴くこととなりました。

 

 

曹操は温恢を揚州刺史に任命する際、「温恢のような頼れる奴は手元に置いておきたいが、戦乱状態の揚州を治める重大性には代えられん」と言い、揚州出身者の蒋済(ショウサイ/ショウセイ)を補佐につけました。

 

また、最前線の合肥(ガッピ)に駐屯していた張遼(チョウリョウ)や楽進(ガクシン)らに温恢を紹介し、「こいつは軍事にも明るい。何かあればよく相談するように」と伝えたそうです。

 

 

 

 

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言葉の真意を読む力

 

 

 

建安24年(219)に、これまでもしばしば攻めてきていた孫権(ソンケン)がまたしても合肥を攻撃してきました。

 

 

この時孫権は、偽りと言えども曹操に臣従していたはず。

 

偽装か、はたまたいつもの手の平ハリケーンか……

 

 

ともあれ、孫権によるこの攻撃に備え、揚州にいる曹操軍の諸将は守備兵を動員し、守りを固めます。

 

 

そんな折に、温恢は近所の兗州(エンシュウ)の州刺史である裴潜(ハイセン)と出会い、彼にこう語っていました。

 

 

「こちらの戦線は問題ないだろう。しかし、気がかりなのは荊州の戦線だ。最近近辺の川の水かさが増している。しかも曹仁(ソウジン)将軍は敵中深くに孤立しており、有事に備えきれておらず率いている兵数は少ない。対して劉備軍の関羽(カンウ)は猛将。何かのきっかけで攻めてくることがあれば、恐ろしいことになるだろう」

 

 

そして温恢の予見通り関羽は攻めてきて、曹仁は樊城で大苦戦。さらには水嵩が増したことにより大洪水が起こり、援軍に赴いた于禁(ウキン)の軍勢も身動きが取れなくなって捕縛されてしまうという大事件が起きてしまったのです。

 

 

その報を受けて、曹操はすぐに付近の州刺史らに召集をかけることにしました。しかし、「ゆっくり来てくれて構わない」というお達しも同時に来ており、呼び出しを受けた裴潜らは言われた通りゆっくりと余裕をもって軍備を勧めていました。

 

 

しかし温恢はこの曹操の意図を読み切っており、すぐさま裴潜に助言を送ったのです。

 

 

「『ゆっくり来い』という命令は、おそらく付近の民衆や兵士を不安にさせないための建前だろう。おそらく数日もすれば、急ぐように密書が届く。
おそらくその後に張遼らも呼び出しを受けるだろうが……彼らは曹操様の意図を理解し、準備を手早くこなしてすぐに向かうはず。

 

 

もし先に来るように指示された君たちが張遼らより後に到着すれば、お咎めを受けることにもなりかねないぞ」

 

 

 

これを聞いた裴潜らは予定を変更し、兵の装備も最低限に、補給物資を送るための輜重隊を置いていく形で即座に曹操の元に急行。その後は温恢の予言通りに曹操から改めて催促の密書が届き、次いで張遼らも命令を受けて急行。温恢の予見通りとなったのです。

 

 

 

 

 

翌年に曹操が亡くなって跡を継いだ曹丕(ソウヒ)が皇帝になると、温恢は中央に召し出されて侍中(ジチュウ:皇帝の側近:顧問役)を務めた後、今度は魏郡(ギグン)太守として再び外部の統治に励むようになりました。

 

さらにその数年後には統治の難しい辺境の涼州(リョウシュウ)刺史、領護羌校尉(リョウゴキョウコウイ)として持節(ジセツ:非常時にはかなり大きな官職官吏の処罰権)を受けて任地へ向かいますが、その途上で病死。享年は45だったと伝えられています。

 

 

曹丕も彼の死を悼み、「多大な功労者であり誠実であった。だからこそ一地方を預けたのに残念だ」とし、温恢の息子である温生(オンセイ)に爵位を与えました。

 

が、その温生も長生きできず早死に。結局温恢の家系は絶たれてしまいました。

 

 

 

ちなみに温恢死去により不在となった涼州刺史には諸葛亮のマブダチである孟建(モウケン)が選ばれ、立派な統治を行ったとされています。

 

 

 

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