曹洪 子廉
生没年:?~太和6年(232)
所属:魏
生まれ:豫州沛国譙県
勝手に私的能力評
統率 | A- | 実は兗州奪還の時、独自に兵を動かしていた。そもそも見せ場は戦場にあり、実際に曹操の黎明期を良く支えた。 |
武力 | A | 圧倒的敗勢の中で血路を開き、徒歩で自力脱出する。こんな事する人間が弱いわけがない。 |
知力 | C | 戦争においては十二分に活躍している上、金稼ぎには天性の才を持つ。実際、曹操軍の財政は彼が少なからず支えていたようだ。 |
政治 | D | コネで結構な高官をやったりもしたが、評判は特に記載されておらず何とも言えない。 |
人望 | D+ | 多くの食客を抱えていたらしく、本当はもっと高いのだろうが……銭ゲバ、破廉恥、素行不良の三重苦でのマイナスエピソードが足を引っ張る。 |
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曹洪(ソウコウ)、字は子廉(シレン)。曹操の従兄弟であり、まだ漢の属国だった魏の最初期を支えた重鎮の一人にして、曹操の台頭から漢王朝が魏に代わり、曹丕(ソウヒ)、曹叡(ソウエイ)の二代にわたり魏帝国が隆盛していくのを見守った稀有な存在です。
とはいえ、晩年は性格が災いしてか、完全に不遇な生活を余儀なくされたのですがね……
なんにしても、曹操の天下平定事業を支え、王手に迫るまでに多大な功績を残した勇将なのは間違いないです。
天下に洪おらずとも……
曹洪の実家はかなり豊かな、言ってしまえば富豪の家系で、実は彼は曹操に仕えなくてもそれなり以上の地位を約束されていました。
『魏書』によれば父親が宰相職をやっていて、そのコネですでにひとつの県を治める身分になっていたようですが……従兄の曹操が挙兵したと聞くと、その地位をほっ放り投げて彼の元に参入したのです。
こうして安定を捨てて曹操配下として第二の人生を歩み始めた曹洪でしたが……初平元年(190)、あまりにやる気のない諸侯に苛立ちを覚えた曹操は、自分に賛同する数少ない諸侯の援助をだけ受け、精強な董卓(トウタク)軍に突撃を開始。
途中で遭遇した敵将・徐栄(ジョエイ)と戦いますが、完膚なきまでの敗北を喫してしまいました。
敵の追撃は激しく、曹操も愛馬を失い、命の危機にさらされます。
そんな中、曹洪は窮地に陥った曹操の元に颯爽と現れ、自らの馬を代わりに差し出そうとします。これにはさしもの曹操も「それでは曹洪が危険だ」として申し出を拒否。しかし、曹洪は以下のように強弁し、無理やり曹操を馬に乗せたのです。
「天下に私はいてもいなくても何ら変わりはありませんが、あなたは天に必要とされているのです!」
「天下に洪なかるべきも、公なかるべからず」と、原典の書き下しで有名な言葉ですね。かくして曹操は曹洪の馬に乗り、曹洪は徒歩で曹操を護衛。陸路は危険であるとして、岸辺で船を探して回り、たまたま見つけた船に乗って何とか窮地を脱したのでした。
しかし、この戦いで曹操軍は壊滅。軍の建て直しが必要と考えた曹操は、いったん精強と知られる丹陽(タンヨウ)の兵を集めるべく揚州(ヨウシュウ)へと向かいました。
ここで曹洪は、曹操と別行動をとって、私兵千人を率い独自のコネで兵を集めることを決めます。
この時、曹洪が集めた兵は数千。兵の反乱によって募兵を失敗した曹操にとっては、非常に心強い兵力でした。
と、そんな曹洪らの活用もあって、曹操は数年のうちに群雄として完全に独立。初平3年(192)には兗州刺史(エンシュウシシ)として一州を治める立場にまで上り詰めたのでした。
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重鎮曹洪
興平元年(194)、曹操とマブダチであった張邈(チョウバク)が呂布を迎え入れて曹操に反乱を起こすと、これに釣られて兗州のほとんどが呂布に寝返るという緊急事態が発生します。
さらにはこの時、運悪く大飢饉も同時に発生。ちょうど遠征中にこれらの事件が重なり地盤と糧食を大幅に失った曹操は、苦境に立たされることになりました。
そんな折、曹洪は遠征帰りの軍の先頭に立って突き進み、東平(トウヘイ)、范(ハン)の2郡を占拠。枯渇しきった食料をなんとか調達し、軍を食いつながせることに成功します。
後に曹操が呂布をなんとか敗走させると、曹洪は再び別動隊を率いて進軍。一貫して曹操陣営につくことを表明した東亜(トウア)を本拠地に兗州の再占拠に出立。行く先々で拠点を陥落させていき、破竹の勢いで10以上の県を曹操の手中に戻したのでした。
このように多くの功績を上げた曹洪は、後に揚武中郎将(ヨウブチュウロウショウ)にまで出世。さらには諫義大夫(カンギタイフ:帝への諫言を行う)の役職を与えられ、建安5年(200)の官渡の戦いでは、奇襲部隊を率いる曹操の代わりに総大将の代行として城を守り抜いたのです。
官渡での勝利から数年後には、今度は南の戦線に転進。敵対する劉表(リュウヒョウ)の軍と交戦し、領土の境目付近を転戦。連戦連勝して劉表の驚異を少なからず取り除くことに成功します。
この功績によって、曹洪は厲鋒将軍(レイホウショウグン)に昇進し、国明亭侯(コクメイテイコウ)の爵位を賜りました。さらに曹操の遠征に随行して都護将軍(トゴショウグン)に昇進。
曹操腹心の夏侯淵(カコウエン)が西方を平定している間には南の劉備(リュウビ)からの侵攻を抑える役回りを担い、参謀として随行していた曹休(ソウキュウ)の進言に従って武将の呉蘭(ゴラン)、雷銅(ライドウ)を討ち取る活躍を見せます。
そして曹丕(ソウヒ)が帝に即位すると衛将軍(エイショウグン)、後に驃騎将軍(ヒョウキショウグン)と最高級の将軍職を歴任。野王侯(ヤオウコウ)の爵位と特進(トクシン:最高級宰相職に次ぐ特殊名誉職)が与えられますが、晩年はパッとしなかったようで、曹洪が戦争や政治で活躍した話は聞きません。
むしろそれどころか、驃騎将軍や特進の位を受ける前に一度些細なことで干される事すらあったとか。
おそらく曹操の黎明期こそが、曹洪がもっとも輝いていた時なのでしょうね。
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ケチで強欲な一面が裏目に
ご覧の通り、曹洪の功績は褒められる物ではあっても、決して貶されるような恥ずべき点はないはずなのですが……この人物、儒教国家で禍を引き寄せるのにこの上ないレベルの欠点の持ち主だったのです。
それが、
1.ドケチ
2.欲望にどこまでも忠実
と、この2点。
ドケチに関しては明白に史書で書かれており、「裕福なくせに吝嗇家だった」とされています。
特に曹丕が借金しに曹洪の元に行ったときはこれを完全に断っており、曹丕が皇帝の位に就いたときにはこれをネタに死刑にされるかどうかの危地にまで陥っています。
この時は太后である卞氏が皇后に脅迫働きかけてどうにか降格で済んでいますが、当時の人々も目耳を疑うほどの突然の通達だったようですね。どんな断り方をしたんや……
2の欲望への忠実さは『楊阜伝』にその旨が書かれてますね。
というのも、儒教の盛んな当時の中国においては、旦那以外が貴婦人の顔を見たら死刑というレベルの清純な男女観がありましたが……曹洪は諸将を招いての大宴会で、露出度の高い衣装を着せた歌姫を躍らせるという大規模な催し物をしたのです。
政治家で儒学者でもあった楊阜(ヨウフ)は、この破廉恥なパーティーを見て大激怒。
「男女のケジメは国家の大事。大勢が集う席で女性の肌をあらわにするとは、古の暴君以上の醜行ですぞ!」
こう喚き散らした楊阜が出て行ってしまい、曹洪は慌てて歌姫によるセクシー歌劇ショーを中止。慌てて楊阜を呼び戻したのです。
曹洪からすると半分は良かれと思ってやった事なんでしょうが……道徳絶対主義者も多い中で、善意で道徳を踏みにじるとは、普段何を思っていたのか。
まあ当時の儒教観念もあまりに行き過ぎたところがあるとはいえ、この一件は曹洪の「俺が楽しいんだからみんな楽しいはず」という発想から生まれた逸話な気がしてしまいます。
一応三国の重臣には身分不相応な贅沢を好む名将もいるのですが、曹洪もそんな型破りタイプの名将だったのかもしれませんね。
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