張範 公儀


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張範 公儀

 

 

生没年:?~建安17年(212)

 

所属:魏

 

生まれ:司州河内郡修武県

 

 

 

 

張範(チョウハン)、字は公儀(コウギ)。元々がお坊ちゃんのスーパーニートという立ち位置で、祖父も父も大臣級のお偉いさん、自分も働き始めると曹操(ソウソウ)に厚遇されて畏敬のまなざしで見られる……というちょっと不思議な人。

 

記述の少なさからどんな人かはわかりにくいですが、アリとキリギリスでいう所の、完全キリギリスタイプという張範。

 

今回は、彼の記述を追ってみましょう。

 

 

 

 

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ハイパーニート江南へ行く

 

 

 

張範の祖父、父は、ともに漢王朝における大臣といった役職の持ち主で、まさにやんごとなき家系でした。

 

そんな状況だったからか、はたまた本人の気質がそうだったのか……非常に栄利や名声に無関心。同格のお偉いさんである袁家(袁紹(エンショウ)の一族の本流)からの婚姻も断る始末。

 

いわゆるニートとして、莫大の親の財に飽かしてダラダラと毎日を過ごしていました。

 

 

そんな張範の趣味が、老子や荘子といった道教の教え。老荘思想に徹底的にのめり込み、暇があればその勉学に励んでいたと言われています。

 

 

 

このように道教信奉者らしい悠々自適の生活を送っていた張範でしたが……董卓(トウタク)が都の支配を固め始めると、暗雲が立ち込め始めたのです。

 

なんと、董卓の政治が長続きしないと悟った弟たちが、董卓に反発する諸侯と連合しようと画策、自身らの就いていた官位を辞めて出奔したのです。

 

 

張範もこれに伴う形で南東の揚州に向けて故郷を旅立つことになりました。

 

 

 

 

 

弟はスケープゴート?

 

 

 

さて、張範の弟の一人に張承(チョウショウ)なる人物がおり、主にニートな張範に変わって嫡男のような立ち位置を受け持っていました。

 

張承は兄が道教三昧の生活をしている際にも名家の子として官職を得て働いており、実質的に家の主導権は彼が握っていたのかもしれません。

 

 

張範も、実質的に彼に全部任せるつもりだったようで……

 

 

 

揚州になんとか逃れることができた張範らは、その周辺で幅を利かせる袁術(エンジュツ)から丁重な挨拶を受けます。そして、「我が軍で共に働いてくれませんか?」というお誘いを受けますが……

 

張範はここでも自身は出向かず、病気と称しこの話を辞退。代わりに張承があいさつに出向き、そのまま袁術軍に力添えすることになったのです。

 

 

……が、袁術の器量といえば、もう言ってしまえばアレ。自分の意見をヨイショしてもらうのが大好きで、正論で反論されると機嫌を損ねる人物でした。

 

そのため、「皇帝になりたい」という旨を打診して張承に「強さよりも名声。名声の無いうちから不相応な物をするものではありません」と反論されるとブスー。

 

その後曹操の軍事行動を「あいつ馬鹿だろ」と笑えば張承が「彼なら大丈夫でしょう」と答えてツーン。

 

 

まあ張承はお坊ちゃんだから遠慮なく物を言った可能性も否めませんが……主君が忠言を聞いてこの態度と来たので、さすがに袁術を見限って移動。張範もこれについて行きました。

 

 

また、続けて曹操からお誘いの使者が来た時も、赴いたのは張承。張範はここでも病気と称し、滞在先に引きこもっていたのです。

 

本当に病気の可能性もありますが……ここまでくればニートを貫く鋼の精神を褒め称えたくもなってきます。

 

 

 

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ようやく出仕・遅咲きのニート名族

 

 

 

建安13年(208)、中華北部をあらかた手中に収め、赤壁の戦いで大敗を喫して戻ってきた時……ついにニート張範は重い腰を上げます。

 

なんと、誰に言われるでもなく自分から曹操にお目通りを願い、仕官することを決定。

 

 

とんでもない名声の持ち主であった張範の出仕は、曹操からしても非常に喜ばしい申し出です。張範はすぐに議郎(ギロウ:顧問応対役。結構な高官で、他の官位との兼任も多い)の地位と自身の属官としてのポストを用意。

 

家柄のおかげか元々の性格か、曹操からは大いに尊敬されていた様子。そして曹操が遠征軍を走らせるとき、必ず張範は曹丕(ソウヒ)らと共に留守番を担当。

 

曹操の言葉もあって、曹丕からもしばしば行動について相談される等信頼されていたのです。

 

 

 

政治にしても、私財を一切持たず質素な生活を贈るとともに、貧困者の補助に尽力。たまに贈られてくる貢物を拒むことはしなかったものの、かと言ってそれを使う事も無く、持ち場を離れる時になって全部送り主に返送したのです。

 

 

そんなこんなで最後の最後で咲き誇ったやればできる張範でしたが、建安17年(212)に死去。

 

遺された張承は、彼とは違い儒教的な教化政策で、やはり善政を敷いていたようです。

 

 

 

 

 

人物像と子と甥と

 

 

 

こんな感じで、ニートしながらも最後に留守居役&政治家として働いた張範でしたが、その名声は計り知れずといったところ。家柄も当然大いに助長したのでしょうが、やはり本人に非常に光る部分があったという事でしょうか。

 

陳寿は彼のことを「清潔な生き方と同義に基づいた政治を行った」とし、傑出した名士のひとりとしてその名を上げています。

 

 

また、若い頃のニート時代から落ち着いて冷静な性格をしていたらしく……やはりその本性は謎が多い人物でもありますね。

 

 

 

できるのにやらない、働けるのにニート。こういえば聞こえが悪いですが……もしかしたら張範は、「モラルや常識に縛られない、ただあるがまま俗世から離れたところを生きる」という道教の教えを自ら実行したかったのかもしれませんね。

 

 

 

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さて、最後にちょっと面白いエピソードがあるので、それを紹介したいと思います。

 

 

ある時張範は、我が子と弟である張承の子が賊軍につかまったという報告を受けた。

 

張範は慌てて賊軍の元に向かうと、2人を返してもらうように交渉。結果、張範の子だけが解放されたのです。

 

 

しかし張範は、それで安心せず再交渉を開始しました。

 

「我が子が返ってきたところで人情的にはうれしく思う。が、子よりも甥の方が随分と幼いのだ。子でなく甥を返してはもらえないだろうか」

 

張範の言葉に人情味と義の心を感じ取った賊軍は、大いに感激。すぐに甥も解放し、2人とも無事に戻ってきたのであった。

 

 

 

 

うーん、美談。美談……?

 

なんというか、当時の中国の儒教では、ここで幼い甥の命を取ることが大いに賞賛される……ところもあるみたいですね。

 

 

しかし、張範は自然と一体化する道教思想の持主。はたしてそんな儒教的観念で考えたかといわれると、なんとも微妙。

 

もしかしたら、苦労を掛けた弟にどこかで負い目を感じていたのかもしれませんね。

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