劉馥


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劉馥 元穎

 

 

生没年:?~建安13年(208)

 

所属:魏

 

生まれ:豫州沛国相県

 

 

劉馥 魏 合肥 政治家 おかしい 都市開発のプロ 単身赴任(ガチ)

 

 

 

劉馥(リュウフク)、字は元穎(ゲンエイ)。おそらく「知らない」という人がほとんど、三国志演義においても、「なんか曹操に殺された人」位の印象しかないような人物です。。

 

しかし、後に名戦場となるとある土地の発展をほぼ1人でやってのけた、とんでもない人物でして……

 

 

今回は、そのあたりの経歴、功績に迫っていけたらなと思って彼を話題に取り上げました。

 

 

 

 

 

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豫洲の出でありながら揚州人

 

 

 

出は中原……つまり当時の中国の中央部にして、完全な首都圏内でした。しかし、当時は完全に戦乱で荒れ果てており多くの人は田舎に疎開。劉馥もそんな疎開組の1人で、中国南東部の揚州に引っ越していました。

 

 

さて、劉馥の名前が出たのは建安という年号が使われた初め頃。だいたい西暦で196年から数年の間くらいでしょうか。

 

劉馥は揚州で幅を利かせていた袁術(エンジュツ)の影響下にありましたが、その配下の将軍である戚寄(セキキ)、秦翊(シンヨク)という人たちを説得し、その軍勢とともに曹操に鞍替えしていきました。

 

その話を聞いた曹操は大喜びで劉馥を迎え入れ、掾(エン:要するに属官。具体的に何をやってたかは不明)としたとされています。

 

 

さて、こうして苦境の中で悪戦苦闘している曹操に着いた劉馥ですが、建安5年」(200)に、曹操は宿敵の袁紹(エンショウ)との決戦に臨み、ほぼ全力を北へと向けざるを得なくなってしまったのです。

 

そんな時、劉馥は曹操のお留守だった背後の守りのため、揚州刺史(ヨウシュウシシ)の任を受け、孫策(ソンサク)の台頭により混沌としていた揚州へと出立していきました。

 

 

さて、この時の揚州の情勢は、孫策の台頭により曹操の影響力は低下。大都市を擁する重要拠点の盧江(ロコウ)も曹操側の太守が殺され、すでに孫策に完全に奪われた状態でした。

 

さらにはその混乱に乗じて袁術の元部下であった梅乾(バイケン)、雷緒(ライショ)、陳蘭(チンラン)らが独立勢力として一斉蜂起し、揚州各地を荒らしまわり、徹底的に荒らしまわっており、残った曹操の領地も荒廃の一途をたどっていました。

 

 

が、そんな絶望的な状況下で、劉馥は荒れ地と化した揚州を立て直す驚異の手腕を発揮するのです。

 

 

 

 

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1人で始める合肥開発計画

 

 

 

赴任早々に合肥(ガッピ)を曹操側の揚州政庁に定めた劉馥は、なんと単独で政庁入り。暴れ回る雷緒らに調略を仕掛け、そのまま手なずけてしまいます。

 

さらに民衆の支持を得るのと合肥を成長させる2つの目標を同時達成するために、大々的に善政を施行し、多くの移民も獲得します。その数、実に5桁に上ったと史書には記載されています。

 

こうして一気に大きくなった合肥の街に対して、劉馥は次に農業と教育機関にメスを入れます。学生たちを招いて学校を開き、同時に屯田の大規模化のために各地の堤防を修復して水田を引き、然るべき孫家一門との対立に向けて食料の備蓄を進めます。

 

 

そして仕上げとして、防壁の強化。もともと合肥は打ち捨てられた城であり防備もおざなりでしたが、劉馥は土塁や摘み石、逆茂木を高く設置して防壁をより強固にします。そして兵のための草むしろや魚の油も大量に備蓄し、いよいよ合肥の防衛力をより強力なものにしていったのです。

 

 

しかしそんな合肥の防衛力を見ることもなく、建安13年(西暦208年)に劉馥は病で亡くなり、その死は多くの人に悼まれました。

 

 

さて、そんな劉馥が整えた防備は、何の皮肉か彼の死後すぐに使う時が来たのです。

 

ついに孫策の跡を継いだ孫権(ソンケン)軍が、10万ともいわれる大軍を率いて合肥に侵攻。折悪く曹操の本隊も赤壁の戦いで敗北し、数、士気ともに不利に陥ってしまいました。

 

この時、連日の大雨によって城壁が崩れそうになるなどのアクシデントも発生し、いよいよ合肥は窮地を迎えます。しかし劉馥が遺していた草むしろを城壁にかぶせて雨をガードし、夜は魚の油を焚くことで視界を通すことで敵の動きをしっかり確認しながら対応することが可能になったのです。

 

そしてそんな防衛が続くこと100日余り。孫権軍は味方の計略もあってとうとう撤退を決めました。

 

 

無事に危地を振り払う先見の明を見せた人々の劉馥への追慕はいよいよ高まり、後任に来た人物は「彼には及ばないな」と自覚するほどだったそうな。

 

 

ちなみに劉馥が立てたり直したりした堤防は、100年ほど経った晋の時代でも多大な利益をもたらしていたとか。

 

 

 

 

人物像

 

 

 

さて、合肥をたった1人で立派な前線都市にまで発展させた劉馥。陳寿からは特に何か個別評が贈られているわけではありませんが、少なくとも曹操軍の中堅時代から頭一つ抜けるまでの、最も苦しい時期のひとつを裏で支えた英傑の1人といっても過言ではありません。

 

 

結局のところ大した記述もなく、だいたい彼の伝もこれだけですが、間違いなく曹操への貢献度はかなり高い人物です。

 

 

後々、合肥は幾度となく孫権軍の攻撃に曝されますが、それらすべてを防ぎきる土台を作った劉馥。

 

演義では酔いのまわった曹操に勢いだけで斬り捨てられる役割しか負っていませんが、これほどの人物を小物として書くわけにもいかなかったようで、後に後悔した曹操によって過分な礼で葬られています。

 

 

その活躍は正史でも官渡、袁家滅亡、赤壁というビッグイベントによってかき消されてしまいがちですが、そういう大戦場の裏で劉馥のような人物が活躍していたのも、注目すると楽しいものです。

 

 

 

 

 

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