果ての凋落
さて、威信を失い再び陰りを見せ始めた曹爽政権でしたが……正始10年(249)、ついに政敵・司馬懿によってトドメを差される瞬間が来ます。
この年、皇帝の曹芳が先帝の墓参りのため高平陵(コウヘイリョウ)に出立。曹爽も自らの弟と共にこれに付き従いました。
……が、この事が眠れる獅子・司馬懿を覚醒させるトリガーになってしまったのです。
司馬懿は曹爽不在を知るや否や、即座に兵を挙げて手薄になった洛陽(ラクヨウ)の武器庫を占拠。さらには場外に出て曹爽らの帰りを堂々と待ち、帰還を見届けるとすぐに曹爽の罪状を並べ上げた上奏文を曹芳に送り付けたのです。
「大将軍・曹爽は自らの派閥で要職を固め、他の者を追い払って自分の都合で政治を推し進めています。互いに結託し日々勝手な行動は増していき、今や天下の人々が恐れるほどとなっているのです。群臣はみな曹爽に兵を預けるべきでないと評し、皇太后もこれに同意なさっています。すでに曹爽らの兵権を係官らに命じて召し上げ、万一に備えてこうして兵を集めている次第です」
さすがにこんなものを帝の手に渡されてはかなわぬと、曹爽らは上奏文を握りつぶして必死に権益を守ろうとしましたが、もはや成す術も知らずといった様子。
参謀の桓範(カンハン)が「このまま許昌(キョショウ)に向かい帝を擁して抗戦するしか道はありません」と体制の建て直しを進言するも、混乱状態の曹爽はこの策を渋り、弟の曹羲も判断をためらったため、結局は大した抵抗もなく戦意を喪失。
「罪に服したほうがいい」と進言する部下の言葉のままに司馬懿に降伏し、そのまま罷免されてしまったのです。
とはいえ一時は命を長らえた曹爽でしたが……やはり罪状が明らかになった汚職政治家に明るい未来はありません。
軟禁生活に押し込まれてから4日後、嘘か誠か、曹爽がクーデターを企てているという事を部下の一人が司馬懿に漏らしてしまったのです。
これを聞いた司馬懿は、周囲の制止も振り切り即座に曹爽一派処刑を断行。かくして曹爽は部下や家族もろとも処刑され、曹真の家は族孫の曹煕(ソウキ)という人物に家督が回されることになったのでした。
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その人物評
歴史は、このような人物を高く評価しません。必要以上に悪者にされている可能性も否めませんが……それでも曹爽が自分の能力や器以上の地位を手に入れて自滅した点は、もはや擁護のしようがないでしょう。
そしてやはりというかなんというか……それをやらかしたのが、諸葛亮(ショカツリョウ)とすらまともに対峙できる名将・曹真の息子というのがまた……
そんな曹爽の事を、陳寿はこのように評しています。
徳がないのに高位に就き、理性を失い驕り高ぶった。
これはまことに『易』が明示し、道家が忌み嫌うところである。
最初の一文が、とても分かりやすく評価を表していますね。
もっとも、陳寿が三国志を編纂したのは晋という司馬一族の国の手前。司馬懿に敵対した曹爽がいいように書かれるいわれはありませんが……ともあれ、史書にある限りはろくな人物でないのは確かです。
一応出世という意味では、親の七光りもあるでしょうが、ほとんど自分で皇帝に気に入られて高位に上り詰めた存在。それなりにポテンシャルはある人なのでしょうが……
当然、残された逸話でも擁護の余地がない人物のようにボロクソに言われていますね。一応、讒言甘言の多い部下のせいというスタンスでもあるようですが……
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知者・桓範の持ち腐れ
曹爽の派閥の中にはまともな人も当然おり、その仲の一人に桓範(カンハン)というズバ抜けた知者がいました。
当然、桓範は司馬懿らにも一目置かれた存在ですが……やはりそこは曹爽。完全に司馬懿らにはナメられてます。
というのも、司馬懿のクーデターが発生して窮地に陥った時のこと。桓範は曹爽に対し、「我々には帝がいます。許昌(キョショウ)に逃げて態勢を立て直せば、まだ巻き返せます」と力説するも、曹爽は失敗が怖くて身動き取れず。
ならばと弟の曹羲に対して桓範は「ここで動かなければ明日はありませんぞ!」と置かれた状況について熱く語るも、やはり怖いからと進退を決めかねていたのです。
挙句の果て、曹爽は自分の派閥というわけでもない陳泰(チンタイ)らの勧めに乗って、「命くらいは助けてくれる」という希望を胸に司馬懿に降伏してしまう始末。
おまけに『魏氏春秋』では、その後の顛末とばかりに更なる醜態を晒している様子が描かれています。
なんと、司馬懿によって軟禁状態に押し込められた曹爽は「権益は失ったが、俺はまだ金持ちとしていられるんだ!」と安堵の表情を浮かべ、自分たちに今後言い渡される処罰をわかっていない様子を見せたのです。
事ここに至っては桓範も慟哭し、「父親の曹真殿は素晴らしい人だったというのに……お前ら兄弟はもはや豚か子牛だ! 俺はこんな奴らと連座して処刑されるのか!」と発狂して曹爽兄弟を罵倒したとか。
……いたたまれない
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能天気な豚将軍
これは『魏末伝』の話。
罷免され軟禁状態に押し込まれた曹爽にプライバシーなどあるはずもなく、司馬懿は住民から徴発した警察隊に館を厳重に包囲してその動向を常に監視していました。
そんな生活のためすぐにやつれてどうしようもなく、弓を持って後庭に出てみても、警察隊は大声でその動向を唱える始末。
罪を犯した重臣の軟禁とはこんなものなのかと兄弟に相談してみても、結局それが適性なのかどうかもわからなかったのです。
そこで曹爽は、自分を追いやった司馬懿に対して、ある手紙を書きました。
「悪行によって災禍を呼んだのですから、私めは処刑されて当然。それはそうと、使いの者に食料を取りに行かせたのですが、まだ戻ってこないのです。どうか数日の命を繋ぐため、融通していただけませんか?」
すると司馬懿からすぐに「これは申し訳ありません。すぐに食料を届けさせましょう」との返事が届き、本当に食料が贈られてきたのです。
これを見た曹爽兄弟は大喜び。「自分たちは殺されない!」と思い込んだとか。
まあ実際かどうかはさておき、好き勝手の末に足元を掬われた政治家らしい逸話と言えばそうですね。
これを草葉の陰から見ていた曹真は、いったい何を思ったのか……