徐邈


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徐邈 景山

 

 

生没年:建寧4年(171)~嘉平元年(249)

 

所属:魏

 

生まれ:幽州燕国薊県

 

 

 

 

徐邈(ジョバク)、字は景山(ケイザン)。酒というのは昔から人を誘惑してやまず、ついついやらかす人が跡を絶ちませんが……その中の一人がこの人。酒に関するちょっとした面白エピソードを持っており、事績よりもそちらが有名……というかマイナーなためそれしか知られていない、なんてこともしばしばの人物です。

 

 

しかし実際は、さすがに立伝されるだけの実力者。異民族との折衝のプロであり、街や公共機関の貯蓄を増やすのもお手の物と、万能な政治家、外交官として終始動いています。

 

 

今回は、そんな徐邈の伝を追ってみましょう。

 

 

 

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早速酒でやらかしました

 

 

 

徐邈は、曹操(ソウソウ)が亡き袁紹(エンショウ)の旧領を平定する北伐の中で見いだされ、そのまま曹操属官の一因へと加わりました。その後、試しに奉高(ホウコウ)県を試しに治めさせたところ、随分と有能な様子を見せたため、出世して中央での政務に逆戻り。

 

後に魏王国が建立されると、今度は尚書郎(ショウショロウ:宮中の文書管理する部門の役人)として取り立てられることになったのです。

 

 

と、ここまでは割と普通のエリート役人といった感じの軌跡ですが……曹操領内で禁酒令が発令されると、ついに徐邈はやらかしてしまいます。

 

 

どうしても酒が恋しくなったのか、はたまた禁酒なぞクソくらえと内心思うところがあったのか……ある時密かに酒を浴びるほどかっ食らい、そのまま酔いつぶれた状態で発見されてしまったのです。

 

当然、その場で官吏の尋問を受けますが……その時の徐邈の返答がこちら。

 

 

「いやはや、聖人にたまたま出くわしてね。それでちょっと酔っていたのさ」

 

 

当然、そんな言い訳で「はいそうですか」となるケースなどあり得ません。報告を受けた曹操は、それはもうおかんむり。徐邈をどう処罰したものかと、非常に立腹した様子だったと言われています。

 

結局は同郷で活躍していた北方の勇士・鮮于輔(センウホ)が「酔っぱらいは清酒を聖人、濁り酒を賢人と言うそうな。徐邈の普段の様子からは考えられません。きっと酔っぱらって妄言を吐いたのでしょう」と取りなしたおかげで罪を免れましたが……こんな失態を犯した人物がこれから裏方として大活躍するなど、いったい誰が想像できるでしょうか。

 

 

ちなみにこの後、地方に飛ばされた徐邈は転勤を繰り返し、そのたびに非凡な成果を上げたとかなんとか。曹丕(ソウヒ)の代になってしばらくすると、関内侯(カンダイコウ)の爵位に取り立てられ、列侯の一員に仲間入りを果たすことになるのです。

 

 

……ちなみに曹丕はこの時の徐邈の返答を覚えており、「相変わらず聖人に当たってるんだろう?」とドS王子たる所以を存分に発揮しましたが、徐邈は以下のように返答。逆に感心されています。

 

「楚の公子の中には酒のせいで戦に負けた者がおり、魯の大臣は使者に赴こうとする者に酒の勢いで暴言を吐き、増税の罰を受けたとか。どちらも偉人ですが、私も彼らと同じ趣味を持ち、懲りずに時々当たっておりますとも。斉の閔王の妃は『醜』と評判でしたが、私は『酔』と評判になっております」

 

 

……瞬時にこの返答が出るんだからすごいものです。ちなみに徐邈、この返答によって撫軍大将軍軍師(ブグンダイショウグングンシ:留守番部隊総大将のお付き役?)の地位を得ています。

 

 

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辺境の名政治家

 

 

 

恐らくその後、徐邈はデキる人として評価を高めたのでしょう。曹叡(ソウエイ)に魏の国主が移って蜀が不穏な動きを見せ始めると、涼州刺史(リョウシュウシシ)に転任。軍事的権限も同時に与えられ、蜀や異民族と隣接した辺境の危険地帯へと転属になりました。

 

そして着任と同時に、ついに蜀の宰相・諸葛亮(ショカツリョウ)が北伐を開始。事前工作によって、北伐に呼応して蜀に寝返る地域も少なからず出るという憂き目に立たされたのです。

 

徐邈はさっそく周辺の太守らに呼びかけ、反乱地域の鎮圧。魏軍本隊の活躍もあって諸葛亮は撤退し、徐邈らによる反乱討伐も成功に終わったのです。

 

 

……とはいえ、西涼の土地は元はと言えば打ち捨てられた緩衝地帯。おまけにゴビ砂漠とも隣接する乾燥気候でなかなか雨が降らず、作物の不作に苦しめられていました。

 

そこで徐邈は、農業の振興に着手。ため池を修復して水田を作り、貧民層を農耕作業員として雇用。さらに軍用米の余りを使って資材を買い集め、それらも涼州の各郡に運用させていったのです。

 

 

こうした甲斐あって穀倉の備蓄は見る間に貯まっていきましたが……このほかにも問題は山積みです。

 

次の徐邈の課題は、弱肉強食主義の民衆への道徳の教化。まず、徐邈は刀狩り令を発令し、民間で所持している武器を随時押収して公用倉庫へ補完。その後善に報いて悪を否定する道徳政治を敢行して民衆を手なずけ、封鎖されていた交易路を回復させたのでした。

 

 

また、異民族に対しても小さな罪は見逃すものの、大罪を犯した者は部族の長に連絡して断固許さない姿勢を見せ、厳格に処罰しました。歯向かう部族があれば討伐する等、寛大に接しながらも締める所はきっちり締める政治を行って、その心をがっちりと掴んでみせたのです。

 

 

 

 

その後……

 

 

 

このように辺境の発展に力を注いだ徐邈でしたが、正始元年(240)には大司農(ダイシノウ:財務大臣。ただし実験のほとんどは他部署に移されている)として再び中央に帰還。さらには司隷校尉(シレイコウイ:中央警察署長)に昇進しましたが、公的事件に巻き込まれて辞任。

 

しかしすぐに光禄大夫(コウロクタイフ:帝の顧問役だが、いわゆる名誉職)として復帰。後にとうとう司空(シクウ:法務大臣。こちらも名誉職化が続いていたが、まだまだ大権あり)に任命されるまでになりました。

 

しかし、徐邈はさすがに司空へのの任官を拒否。「然るべき人間が就くべき大任であり、老いぼれが務めるような職ではありません」と言い、結局78歳で死去するまで光禄大夫の任にとどまり続けたのでした。

 

 

諡は穆侯。後は子の徐武(ジョブ)が継ぎました。

 

その後嘉平6年(254)には田豫(デンヨ)、胡質(コシツ)と共に「清廉潔白で私事を忘れ、公のために力を尽くした名臣である」とたたえられ、3人の遺族には大量の物品を下賜されたとか何とか。

 

 

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人物像

 

 

徐邈の名声は、いずれも大物とされて名を上げた孫礼(ソンレイ)、盧毓(ロイク)といった面々よりも一段上で、非常に慕われた人物であると言われています。

 

そんな徐邈を、三国志を編纂した陳寿は以下のように評しています。

 

 

清廉にして徳を押し広める名士であった

 

 

これは徐邈が余財を一切持たなかったこと、そして統治の難しい涼州で見事に道徳の教化を成功させたことを指していますね。

 

また、盧欽(ロキン)という人は徐邈を自らの書物で最大限称えています。

 

志操高邁にして公正明大。品行清潔、才気や知恵を併せ持ち、また気力に満ちていた。

 

実際の行動は高邁でありながら辺境ではなく、清潔ながら柔軟性があり、博大なのに簡約を守り、気力勇猛ながら寛容だった。

 

 

この盧欽なる人物は徐邈に相当思い入れが強いようで、ある人が「徐邈は曹操の代には酒脱と言われ、晩年は狷介と言われていたが?」という問いに対しても、以下のように返答しています。

 

 

「彼の着任以前は清廉簡素な人間が重用されており、人々はその価値観に沿って見たくれを改めた。しかし後年は豪奢な生活を良しとし、これまた人々はその価値観に合わせて生活様式を変えていった。だが、どちらにおいても徐邈は普段通りの生活態度を崩さなかったのだ。それゆえ最初は清廉に縛られた者に酒脱を責められ、後年は贅沢者に器が小さいと言われたにすぎない」

 

 

盧欽の言葉を見るに、どうやら徐邈は世評や世の中の価値観を良くも悪くも気にしない人物だったようですね。

メイン参考文献:ちくま文庫 三国志:4巻

 

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