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高祚・解𢢼

 

 

生没年:?~?

 

所属:魏

 

生まれ:?

 

 

 

 

高祚(コウソ)、および解𢢼(カイヒョウ)は、いったいどこの出身で何をしたか、どんな地位にいたかもわからない、言ってしまえばただのモブ。本来ならば史書に埋もれて語ることもできないその他大勢のうち一人であり、史書においても一度しか出てこないその他大勢です。

 

しかし、個人的にはたった一つの出番における、それも与太話程度の真偽不明の話がギャグ満載の逸話だったのが強く印象に残っています。

 

 

というわけで、今回は高祚、解𢢼の、たった一つの見せ場について記載してみようと思います。

 

 

 

 

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奇襲部隊の指揮監督者?

 

 

 

さて、まずは正史本文の記述から。

 

曹操(ソウソウ)は建安20年(215)、ついに天下統一に大手をかけるため、劉備(リュウビ)らが得ていた益州(エキシュウ)の玄関口・関中(カンチュウ)を領する張魯(チョウロ)を攻め下そうと進撃を開始しました。

 

しかし漢中に続く道は、現代における秦嶺山脈と言われる天然の要害。兵を率いて超えるのもやっとであり、しかも山脈を超えて漢中に迫ったところで、今度は陽平関(ヨウヘイカン)という関所に籠った敵軍の迎撃が待っていました。

 

 

当然これらを乗り越えないことには漢中の制覇は不可能であり、曹操軍は行軍、疲労、兵糧輸送の困難とあらゆるハンデを背負ってなお戦わなければならなかったのです。

 

迎え撃つのは、張魯の弟・張衛(チョウエイ)や楊昂(ヨウコウ)、楊任(ヨウジン)といった将たち。いずれも益州の盆地帯からの攻撃を耐え抜いてきた猛者であり、曹操軍は強大なハンデと彼らの前に打つ手がなくなり、一時後退を余儀なくされてしまいました。

 

 

そんな時、名前が出てきたのは高祚、解𢢼の二名。彼らは味方の後退で気を緩めた敵陣を奇襲すべく、それぞれ軍勢を率いて険しい山の中を迂回。行軍も困難ならば偵察するのも難しい山伝いを進んでいき、完全に緩み切った張衛らに夜襲を仕掛けたのです。

 

 

高祚らの突然の攻撃に、張衛軍は成す術なく敗走。敵将・楊任は混乱の中で討死し、敵軍は総崩れとなりました。

 

 

これを知った張魯は、もはやこれまでと見て曹操に降伏し、彼ら二人の奇襲のおかげで曹操は漢中を制覇するに至ったのでした。

 

 

 

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異説・二将ただの迷子説

 

 

 

……と、これだけならば、ただの格好いい武勇伝であり、彼らはまあ渋い名将として、三國志や三国志大戦シリーズにも凡将としてくらいならば役割を与えられたことでしょう。

 

しかし、その程度で終わる人物を、わざわざ丁寧に紹介することもありません。なんとこの二人、張魯伝が引く『世語』にはとんでもない異説が書かれていたのです。

 

 

ズバリ、タイトルにある通り、ただの迷子説

 

 

世語によれば、この抵抗は張衛の独断。降る気満々の張魯を邪魔して、張衛が勝手に曹操と戦っていたのです。

 

曹操軍は抵抗する張衛を攻撃しますが、結果は本文にある通り。結局攻めきれず、攻撃を取りやめることになります。そして本文では一時撤退に過ぎないのですが、『世語』の話では、曹操軍は本当に漢中から引き上げようと考えてました。

 

 

それもそのはず。実はこの漢中の山々は、先述した通り非常に険しい山々。海抜2000メートル級の山々がごろごろある中を、曹操は泣き言を言いながら行軍してきた(劉曄伝より)のです。そしてようやく山を越えた先がこの通りの抵抗なので、心がぽっきり折れてしまったわけですね。

 

結局曹操は撤退を決意したらしく、この旨を高祚らにも伝えます。

 

かくして、高祚らは撤退を始めたのですが……如何せん方向感覚の利かない山の中。なんと高祚軍は、撤退と誤って敵陣に向けて進んでいってしまったのです。

 

 

そして夜、防戦の構えを続ける張衛軍の前に現れたのは、数千頭もの野生の鹿。鹿たちは何かに怯えるように逃げてきて、せっかく作った張衛軍の防衛陣地を破壊しながら迫ってきたのです。

 

呆然とする張衛たちでしたが、そこになんと、迷子になった高祚軍が誤って突撃。双方予期せぬ展開に、大混乱に陥ります。

 

オマケに高祚が部下に命じて鳴らした軍太鼓が夜半の陣内に響き渡った事により、張衛軍は「大軍が攻めてきたぞー!」と誤情報が出回り大混乱。結局慌てふためいた張衛らはそのまま自壊し、高祚軍は予期せぬ勝利を得ることができたのでした。

 

 

 

 

ちなみに……

 

 

ちなみに、魏臣の上奏をまとめた『魏名臣奏』に残っている謀臣・董昭(トウショウ)の言によれば、この時に迷子になったのは夏侯惇(カコウトン)と許褚(キョチョ)が率いる軍だとか。

 

また、劉曄(リュウヨウ)伝では曹操軍は引き上げようとしたところ劉曄が「勝てます」と断言したからやっぱり攻撃したとか、いろいろと情報が錯綜していますね。

 

 

結局は陽平関の戦いにおいて名前だけは上がっているので、まあ張衛の軍に突入したのは高祚、解𢢼の二名でほぼ間違いないでしょうが……董昭の証言を事実とすれば、彼らは夏侯惇や許褚の部将か何かだったのでしょうか?

 

 

 

まあ、世語は所詮は与太話程度に捕らえたほうが間違いない資料ではありますが……董昭も言っていますし、迷子説はちょっと推していきたい話ではあります。

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