このエントリーをはてなブックマークに追加

薛悌 孝威

 

 

生没年:?~?

 

所属:魏

 

生まれ:兗州東郡

 

 

 

 

薛悌(セツテイ)、字は孝威(コウイ)。三國無双シリーズで何となくモブとして見かけて以降「誰やこの人」と思って気になっていたので、今回は彼のためにページを割きます。

 

身分の低い者の出というのは、特に九品官人法が貴族主義の権化として形骸化して以降は差別される立場にあります。

 

 

薛悌もそんな身分ゆえに「取るに足らない」とばかりに立伝がされていませんが……見てみると曹操の「求賢令」の申し子というか、その雛型の一人というか。とにかく、人当たりと処理能力に長けた名臣の一人であったようですね。

 

 

今回は、そんな取るに足らない超大物官吏・薛悌の記述を拾い上げていこうと思います。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

生まれの賤しい名太守

 

 

『魏略』によると、薛悌はかなり低い身分でありながら曹操(ソウソウ)に取り立てられ、彼が兗州牧(エンシュウボク:兗州の長官)となった時にはそのまま副官職の従事(ジュウジ)に大抜擢されました。

 

興平元年(194)、曹操が遠征に出ている最中のこと。この時、兗州の諸軍は呂布(リョフ)を引き入れて曹操に反乱。またたく間にほとんどすべての地域がこれに呼応し、留守番していた薛悌らはことごとく孤立してしまったのです。

 

 

留守番役の一人であった薛悌はこれによって一気に窮地に陥りますが、あくまで呂布軍には徹底抗戦を決定。同じく曹操側に残った程昱(テイイク)らに軍事行動を相談し、曹操が帰還するまでなんとか残った領土を保持。

 

曹操軍も呂布には苦戦しましたが、ここで薛悌らが領土を呂布に渡さなかったことで後々逆転。曹操軍は完全に呂布を追い払い、兗州を奪い返すことに成功したのです。

 

 

薛悌はこの時の功績によってか、22歳という若さで曹操の管理下を離れて泰山(タイザン)の太守に昇進。名士であってもなかなかできない出生を、庶民の身でありながらやり遂げたのでした。

 

 

 

 

合肥の戦いの監督役?

 

 

 

後に曹操が一大勇躍して冀州(キシュウ)を領土に加えた時、薛悌は王国(オウコク)なる人物と共に長史(チョウシ:大臣の副官?)に昇進し、後々には中領軍(チュウリョウグン)として近衛兵の監督まで任されるほどになります。

 

 

そして建安20年(215)の、後にいう合肥の戦いにも、護軍(ゴグン:軍の監督役)として参加。この時は曹操からの命令状を握っての参加であり、以下の言葉が書かれた書状を、守将である張遼(チョウリョウ)らに見せています。

 

「張遼と李典(リテン)は城外で敵の迎撃。楽進(ガクシン)は直接戦闘には参加せず、合肥城と薛悌を守る事」

 

まあこれは薛悌の策というより曹操の策の伝言役のような立ち回りですが……何にせよ、張遼らはこの師事の通りに孫権(ソンケン)の軍迎撃。圧倒的劣勢にもかかわらず見事に打ち破って勝利を収めています。

 

 

その後、薛悌は何をしたのかはわかりませんが……景初2年(237)に親友である陳矯(チンキョウ)が亡くなると、その後を継いで魏郡太守、そして尚書令(ショウショレイ:宮中文書を取り扱う部署の長官。宰相職)にまで上り詰めています。

 

 

没年は不明。これほどの大身の割に空白期間が多く、やはり庶民出身ゆえに後世の扱いはよくなかったことが伺えます。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

おおらかな人?

 

 

 

さて、このようにほとんど記述らしい記述の残っていない薛悌ですが……節々にある話を紐解いていくと、厳格なイメージの強い官僚には珍しく、温和でいい人な感じの逸話が残っています。

 

そのうちのひとつが、親友である陳矯との話。

 

 

陳矯は薛悌よりも世に出るのが遅く、薛悌が泰山太守をしていた時にはまだしがない小役人でした。

 

しかし、薛悌は陳矯の並々ならない才覚を看破。身分不相応なまでに親しく親交を結び、ある時陳矯に対してジョークをぶちまけたのです。

 

「しがない郡の役人でありながら、高給取りの官僚とこうして親しくなる。隣国の君が、陪臣に無理やり付き合わされるのも、まあ面白いじゃないか」

 

 

また、伝が立てられている高堂隆(コウドウリュウ)なる人物を自分の側近に加えたりもしたのですが……この時に郡の軍事担当者が薛悌と口論になり、平民出身の薛悌を名前で呼んで舐めた態度を取ったことがありました。

 

この当時、上司に対して役職でなく名前で呼ぶのはそれこそ死刑レベルの不敬であり、薛悌の後ろに控えていた高堂隆は激怒。ついにはその人物を斬り殺そうと剣の柄に手をかけるほどの事になったのです。

 

 

この時に薛悌は、一緒になって怒るどころか逆に高堂隆を慌てて制止。軍事担当者は顔色を真っ青にしながらも命だけは助けられました。

 

もっとも、この後に高堂隆は下野してしまうのですが……

 

 

これらの逸話から見るに、もしかしたら薛悌は低い身分の出であるがゆえに、身分や儀礼にいい意味で固執しなかったのかもしれませんね。

 

 

 

ちなみに『世語』では、薛悌の事を以下のように評しています。

 

忠誠心があって事務仕事に練達しており、世の官吏の手本だった。

このエントリーをはてなブックマークに追加

関連ページ

曹操
三国志の主人公と言えば、一般的には劉備が思い浮かばれるかもしれませんが、正史基準に考えてマジで答えを出すなら、この人こそ主人公にふさわしいと言えるでしょう。
曹丕
魏の初代皇帝は実はこの人。悪ふざけが過ぎたりする辺りやはり曹操の子ですが、こちらはおふざけの質が心理攻撃に偏っているためドS王子と呼ばれることに……
曹叡
別名・土木の鬼。宮殿を大量に増設して国の財政を傾けた暗君みたいに言われることもありますが、それは貧民層に仕事を与えて救うための政策という説も……
卞氏(武宣皇后)
貴賤でいえば「賤」に属する身分の人でしたが……曹操は才女を見つけるとそんなものお構いなしにかっさらうのです。実際、よくできた人だったんだなと。
曹彰
本当はもっと下の方に伝が記載されている人物……。曹操の息子の中で、武勇ひとつのみを、それもかなり色濃く継いだ人物です。
曹昂
死んで孝行息子となった長子。その実力は史書からは計れず未知数……
夏侯惇
魏の重臣筆頭格。曹操軍のメインヒロインです。
韓浩
屯田制で有名な人。他にも何人も携わっていますが、彼ばかりが有名に……
史渙
曹操軍初期の勇将……なんだがどうにも影が薄い……
夏侯淵
別名・白地将軍。これは蔑称だから敬意を表してこう呼んじゃあかんよ。
曹仁
( ゚∀゚)o彡゜てっぺき!てっぺき!!
曹純
曹仁の弟で、曹仁伝のついでに記述あり。 文句なしの名将……のはずなんですが、活躍期間がネック……
曹洪
ドケチでがめつい人。ですが、忠義に厚くここ一番で魅せてくれる頼れる人物です。
曹休
とうとう無双最新作にも出演が決まりましたね。無能脱却なるか?
曹真
ハイパーチートデブ。人知勇すべてを持ち合わせる贅沢ぶりは、まさに将の中の将。 息子が残念なことでも有名です。
曹爽
豚になったさわやかさん
鄧颺
曹爽の取り巻きその1
丁謐
親父はそこそこ面白い人なんだけど、この人は……いや、司馬懿に喧嘩吹っ掛けたんだから大したものか。
畢軌
みんな大好き曹爽軍団の一員だよー
何晏
ヤク中にして仲間を見殺しにしようとする外道、そのくせ文学の才能は随一と言えるほどに突出……なかなか面白な人物です。
李勝
名前通りにはいかなかったよ
桓範
曹爽の取り巻きで唯一まとも・・・と思ったらDVの逸話があったでござる。
夏侯尚
ヤンデレ感漂う曹丕のマブダチ。
夏侯玄
優秀な外戚の人材なんですが……下手に人望があり過ぎても自滅するんだなって……
荀彧
穏やかで頭が良く、漢室への忠誠心の高い宰相…………と思っていたのか。
荀攸
打つ手に失策無し。賈詡と共にそう評されたガチ軍師。この人は戦場で策を練っている方が強く、むしろそういう仕事が専門だったのでしょう。脳筋絶対殺すマン。
賈詡
三国志の最優良軍師の一人。暗黒……?
袁渙
袁紹らと同族、つまり名族!
張範
なんつーかニート。すっげえニート。立派な人ですがニート。
涼茂
暴君相手に啖呵切って諫めた人。でもこの話の信憑性は微妙な物で……
国淵
史書の記述に大穴を開ける正論屋。俺この人好きやww
王脩(王修)
田疇はしばしば胡散臭いと言われますが……この人の忠義が胡散臭いとケチをつける声はまず聞きません。すげぇよ……仕えたのは袁譚なんだぜ。
田疇
ぶっちゃけ独立勢力でしょ、この人。
鮑信
曹操は後漢末の乱世において天下を統一寸前まで平定した英傑。その前半生で彼を評価した人物は数少ないですが、やはり見る人は見ているのです。
鍾繇
鍾会の親父さん……ですが、それ以上のアピールポイントが山ほどあるのに目立たないのが不思議だなと思いました。山椒。
華歆
正史では持ち上げられすぎなくらいの聖人君子、演義ではどうしようもないクズ。落差が激しすぎやしませんかね←
王朗
ただの国賊扱いとか遺憾でござる
程昱
けっこう有名どころですが、やはり知名度はまだ二流。 ガチムチの、気骨あふれるおじいさん。
郭嘉
天才軍師。そこに何らかの間違いがあるわけではありませんが……傅子の誇張表現どうした←
董昭
演義ではベジタリアン。本当この人って暗黒よね。なんだかんだいい人っぽい感じもするけど。
劉曄
こっちはガチな皇族。にもかかわらず人を殺したりアグレッシブ!
蒋済
キレッキレ酔いどれ軍師。この手の策士や謀臣はどうにも情に薄いとか心無いとかそういう印象を受けますが……この人を見ればその先入観も薄れるはず。
劉馥
短歌行で反発して斬られた人物として有名ですが、それは演義のお話。正史だと、「トンデモな能力を持った名政治家」の一人として、ひっそりと歴史に名を馳せてます。
温恢
合肥の緩衝材にしておそらく軍事の専門家。
賈逵
かきふらい
李孚
袁紹軍の文官で、後曹操軍に。こんなマニアックな人物、誰が知ろうってんだよ……
任峻
屯田政策試用の実行者。扱いは武官でいいのかな?
杜畿
激流に身を任せどうかしてしまった結果亡くなった人。つまり死因:溺死。報われねぇ……
倉慈
ネットで検索すると、大抵「掃除」に関するあれこれが出てくるような人。政治家としては、「恐れられながらも敬愛される」という最高の資質を持った辺境伯です。
張遼
魏の中でも最強クラスのレジェンド。
楽進
ちっちゃい突撃大将。最近無双シリーズにも顔を出しましたが、それまではどうにも地味。しかし、魏でも五本指に入る大将とも言われた武将で、その実力は折り紙付きです。なお資料の少なさ……
于禁
スミマセン、擁護のためとはいえ、記述と比べてもいろいろ書きすぎました……
張郃
無双だとなぜか美しい人。武官で食邑4300戸ってすごくね?
徐晃
用意周到な無敗の将軍。この人のやってること、再現しようとすると気が遠くなりそうです。
朱霊
不遇の歴戦武将。徐晃伝に彼の伝が付伝されていますが、載っている事績は失態だけ。活躍はまったく別の人物伝ばかりという。なにこれ、いじめ?
李典
無双では勘の人、三國志シリーズではハイバランスながら凹凸のないフラットな能力。武官だけど学者志向。そんな人。
李通
魏が誇るTHE・勇将の一人。なんか魏って猛将タイプの影薄いよね。
臧覇
どっかで「めっぱ」とか間違って読まれてた人。 まあ、マイナーだから仕方ないね!
孫観
臧覇の部下代表。
文聘
ブンペイペーイ(゚Д゚)
呂虔
これまたマイナーどころ。名太守です。
許褚
ゲームではだいたいほんわか癒し系。
典韋
どのゲームでも人情派の荒くれとして出るゲームですが、実際の出自もそんな感じだったとか……。なおスキンヘッドだったかどうかは不明。
龐徳
ヘッポコ于禁との対比として祭り上げられる勇将。
王粲
三国志の文学者代表格。前半生がブサメンの悲哀を物語っている……
桓階
正義のためなら伝統も破る。不義理のイメージをとことんぶち壊す帝王擁立論者です。
陳羣
謹厳実直なエリート官僚ですが、九品中正法や曹操への物騒な提案などから、腹黒な食わせ物の可能性が……
楊俊
やる気のないニート・司馬懿の実力を見抜いた眼力の持ち主。
趙儼
まったくと言っていいほど目立たないものの、曹操軍の影の柱石と言ってもいい大人物。
孫礼
猛獣狩りと孤軍奮闘に定評のある人物。というか孤立無援の中戦うとか虎を徒歩で追い払おうとするとか、本当何なんこの人。
満寵
誰かがこの名前をオンラインゲームで名乗っていた時、三国志ファンを名乗る腐女子から「卑猥な名前をつけるな」と怒られたことがあるらしい。なぜだ。
田豫(田予)
北方にて異民族と戦い続けた定住型傑物。陳寿も 「あの程度で終わる人間じゃないだろ」と述べていますが……
牽招
田豫に次ぐ北方エキスパート。この人も地味に劉備と関係持ちなのね……。というか、この人も大概モーヲタなのが面白いです。
郭淮
魏軍きってのピンチヒッター。しかし病気には弱いようで、大事な局面で二度も……
徐邈
酒、聖人、酒ェ!!
王淩
言う事聞かない人。後戻りできず専横路線に乗り切った司馬懿に対し、齢80で喧嘩を吹っ掛けるという剛毅なお方です。
毌丘倹
連鎖反応に巻き込まれての反逆、処刑。おまけに名前が覚えにくいから覚えても貰えない。何とも不遇な……
鄧艾
吃音で有名ですが、たぶんアスペルガーも併発してたんじゃないかな?
閻行
人物伝第一号がまさかの超マイナー武将。 「こいつ誰だよ」って人も多いでしょうが、実はとある有名武将を一方的に叩きのめしたことも……
殷署
微妙に強そうな人……だし実際に大物くさいが、記述は……うん。
棗祗
屯田は大反対の嵐で曹操自身も難色を示したのですが、一部部下が強固に主張したので結局実行、思いがけない成果を上げました。棗祗は、特に強固に主張した人物ですね。
高祚・解𢢼
正直、ただの一発屋。人物伝の主役に取り上げるのも同化という人物ですが、面白いのでやります。
師纂
彼が悪なのか鄧艾が悪なのか……

ホーム サイトマップ
お問い合わせ