陳羣


このエントリーをはてなブックマークに追加

陳羣 長文

 

 

生没年:?~青龍4年(235)

 

 

所属:魏

 

生まれ:豫州潁川郡許昌県

 

 

 

 

陳羣(チングン)、字は長文(チョウブン)。三国志の時代は歴史の教科書からすっ飛ばされることが多いですが……その中でも君主以外で名前が挙がることもしばしばある、ちょっとレアな人物です。

 

というのもこの人、中国の貴族主義社会を開花させた九品中正法の提案者。これによって中国の官僚制度が一新され、血統主義的な様相がさらに強化されました。……権力者への忖度って、受け入れられやすいんですね。

 

その辺を差し置いても優秀な官僚で、あの曹丕(ソウヒ)とも仲良くできるような人物。三国志メディアでは目立ちませんが、かなりの重要人物なのです。

 

 

今回は、そんな陳羣の伝を追っていきましょう。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

波乱の前半生

 

 

 

陳羣は曹操(ソウソウ)に仕えた文官ですが、それまでの道のりは結構遠かったことが伺えます。

 

まず、彼が最初に仕えたのは劉備(リュウビ)。祖父から大いに評価され、父を介して高名な人物である孔融(コウユウ)からも高く買われたことで、陳羣は名士として名が知られるようになりました。

 

そんないきさつがあったため、劉備に名を知られて、豫洲(ヨシュウ)の別駕(ベツガ:副長官クラス)として登用されました。

 

 

こうして歴史に名を残す人物としてスタートした陳羣でしたが、その直後に、徐州(ジョシュウ)の陶謙(トウケン)が死去。徐州を統括する席が空白となり、劉備はその後釜として迎えられるようになったのですが……陳羣はこれに大いに反対。

 

 

「巨大勢力を率いる袁術(エンジュツ)が南方にあり、きっと戦争になります。また、呂布(リョフ)も徐州を狙っている様子。袁術との戦いの際中に呂布に背後を襲われては、きっと勝つことができません」

 

 

劉備はこの意見を取り下げて地元志向だった陳羣と別れ、徐州へと向かう事に。結果、陳羣の予見通り袁術との戦争中に呂布によって徐州を奪われ、ひどく公開することになったのでした。

 

 

さて、劉備と別れた後、陳羣は父と共に徐州に避難し、その後呂布が敗死すると曹操に仕えることになったのです。

 

この時の事は袁渙伝に詳しく載っており、陳羣は降伏者として曹操の元に向かったようです。

 

 

 

 

魏政権での働き・前編

 

 

 

さて、かくして曹操の配下という形に収まった陳羣は、曹操に気に入られ彼の属官になりました。

 

 

またこの時、曹操は王模(オウボ)、周逵(シュウキ)という人物も周囲の推挙に従って招聘したのですが、陳羣はこれに対して難色気味。

 

「彼らはきっと、後に害をもたらします」

 

そう言うと、2人の任命状を握りつぶしてしまったのです。

 

曹操はその後も納得せずに2人を任用することにしましたが、結局は2人とも罪を犯して処刑されるという結末に終わったとされ、曹操は慌てて陳羣に謝罪したとされています。

 

 

また人物眼にも非常に恵まれていたようで、陳羣はその後、陳矯(チンキョウ)や戴乾(タイケン)といった人物を次々と任用。

 

彼らはどちらも有能で、戴乾は名こそ残せなかったものの、国難に際して職務を放り出さずに殉職。陳矯に至っては、魏書に独自に伝を設けられるほどの人物になったのです。

 

 

その後各地の県令(ケンレイ:大きな県のトップ)として各地を転属しますが、やがて父が亡くなったことで喪に服すため辞任。

 

喪が明ければ再び司徒(シト:民政の大臣職)の属官から始まり、好成績を上げて治書侍御史(ジショジギョシ:検察官的な役割)となり、そこから再び曹操の軍事参謀として仕え、魏が建国されると御史中丞(ギョシチュウジョウ:官吏を弾劾、告発する役割)として国内の官人の動きに目を光らせるようになりました。

 

さらにその後は侍中(ジチュウ:国のトップの顧問役)となり、いよいよ陳羣の存在は欠かさぬものになりつつあったようです。

 

 

 

ある時曹操は肉刑(体に傷害を加える刑罰)を復活させるかどうかで文官たちに議論を行わせましたが、陳羣もこの場に呼ばれて意見を求められました。この時の陳羣の答えは以下のとおり。

 

 

「我が父は『肉刑を廃止して鞭打ちとなったが死ぬ者が多く、実質名称ばかりの軽い刑罰となった。命を取らずとも、盗みを働く者は足が無くなれば盗みを働けない』と申しておりました。現在は元来死刑に問うべきでない罪もまとめて死刑となっており、鞭で撃ち殺すことが肉刑の代わりとなっています。すぐに推し進めるべきでしょう」

 

 

これには曹操、そしてその場に居合わせていた鍾繇(ショウヨウ)も賛成しましたが、王朗(オウロウ)を始め反対意見は多数派を占め、結局この件は沙汰止みとなってしまったのでした。

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

魏政権での働き・後編

 

 

 

さて、陳羣は曹操の息子・曹丕(ソウヒ)とは非常に仲が良く、司馬懿(シバイ)らと共に『太子四友』として彼と共に歩んできた事績があります。

 

それも手伝ってか、曹操が亡くなり曹丕の時代になると、陳羣は尚書(ショウショ:宮中文書を司る部署の役職。他部署の助っ人)となり、その後昇進を重ねて、最終的に録尚書事(ロクショウショジ:尚書台の大ボス。宰相職)に昇進し、穎郷侯(エイキョウコウ)の爵位も与えられました。

 

また、軍事でも中領軍(チュウリョウグン:近衛隊統括、各軍の監督)として遠征に参加したり水軍指揮を任されたり、果ては鎮軍大将軍(チングンダイショウグン:筆頭幕僚が就く軍事監督役)に任命されたりと、軍事方面でも出世した事が記されています。

 

また、曹丕が帝位に即位するまでの間に建議をまとめて九品中正法を提出。血統主義を強めて貴族主義社会を開花させる足掛かりを築きます。

 

 

その後曹丕が危篤になると、曹真(ソウシン)、司馬懿と共に臨終の場に居合わせ、彼の皇太子である曹叡(ソウエイ)の補佐を任されるようになりました。

 

曹叡が帝に即位すると、さらに爵位を上げて潁陰侯(エイインコウ)となり、曹真、曹休(ソウキュウ)、司馬懿ともども自らの手で役所を開けるようになり、さらに司徒へと昇進。その後もちょくちょく尚書に戻って事務仕事をこなすなど、重鎮としてハードワークにいそしむようになりました。

 

 

蜀の北伐を防いでいた曹真が「逆に蜀に攻撃を仕掛けます」と上奏した際には、険阻な地形ゆえの補給断絶を懸念。曹真軍が長雨で進めなくなると、曹叡に対して曹真を帰還させるよう主張し、危険を回避したのです。

 

 

その後、曹叡の公主が亡くなった際に大規模葬儀を行うことが決定しましたが、この時も「大々的で予算が多すぎます。それよりも公共施設の建て直しに使うべきです」と述べたものの受け入れられず。

 

また、曹叡の土木建築癖を諫めた上奏も他の群臣と共にしており、そのおかげで曹叡の浪費癖が少し収まったとか何とか。

 

 

このように主に政治での活躍が多い陳羣でしたが、青龍4年(235)に死去。靖侯と諡されました。

 

そして彼の後は息子の陳泰(チンタイ)が継ぎましたが……これがまた、大変な傑物だったのです。この話は、また別のページにて……

 

 

 

 

清廉?腹黒?

 

 

 

さて、このように優秀な官僚といった生涯を歩んだ陳羣ですが、三国志を編纂した陳寿は、彼を以下のように評しています。

 

 

名誉と徳義により行動し、高潔な人柄と高い声望を持っていた。

 

 

謹厳実直で清廉な人となりの官僚といった感じで、実際に官吏の弾劾や裁判沙汰を任されている辺りから、その公平な人柄が伺えます。

 

また、侍中時代の生活態度は陳羣伝本文にも書かれており、「好き嫌いでなく公平な目で見て、名誉と同義に依拠し、道義から外れたことを人に押し付けなかった」という記述がなされています。

 

 

その一例が、魏諷(ギフウ)という人物の大規模反乱未遂のとき。

 

劉廙(リュウヨク)という優れた人物が魏に仕えていましたが、この魏諷の反乱の際、彼の弟がこれに関与。劉廙も反逆者の血縁として死刑相当の罪に問われてしまいました。

 

が、陳羣は曹操に対して劉廙の減刑を訴えかけ、劉廙は功臣でもあったため許されることになったのです。

 

 

後に劉廙は陳羣に感謝の言葉を継げたのですが、「あなたでなく国家のために、功臣の助命を願い出たに過ぎない。そもそもあなたの減刑ははご主君がお決めになったことで、私が預かり知る話でもあるまい」と取り合う事をしなかったのでした。

 

 

また、けっこう有名どころですが……不良軍師である郭嘉(カクカ)とは壊滅的に仲が悪く、陳羣は素行不良を毎回弾劾しては郭嘉がそれに知らん顔をし、曹操は双方の才能を惜しんで郭嘉の素行不良を不問にしつつも陳羣にも感謝を告げたとか。

 

 

ただし『魏略』では曹操に対して帝位に就くことをほのめかしたり、名将の張郃(チョウコウ)が戦死した時にはオーバーに悲しんで批判されたり、また呉質(ゴシツ)の讒言で譴責されたりしています。

 

この辺の噂が立ったのを見るに、必ずしもきれいなだけの人間ではなかったのでしょう。

 

 

スポンサーリンク

 

 

九品中正法って?

 

 

 

最後に、彼の力によって魏で始まった九品中正法について、ザックリ説明して終わりにしましょう。

 

九品中正法とは新しい官吏登用の制度のことで、上から一品、下は九品までランクを制定し、地方ごとに置かれた中正官という役職の人物が、その土地の人間をランク付けするという制度のことを指します。

 

これによって推挙された人物は、初めに定められたランクを出世の上限として、4品下のランクとして登用。功績によって出世しますが、当初定められたランク以上には登れないという仕組みになっています。

 

 

 

漢王朝ではこれまで、郷挙里選と言って、儒教的な善行や名声によって、地元豪族の合議によって地方推挙が行われてきました。

 

その結果、豪族たちは賄賂や大げさな偽善や演技による名声を基準に官吏を推挙して腐敗が進んだため、改めて監査官を置くことで能力主義にリセットしようという目論見があったと言われていますね。

 

 

しかし、この制度も次第に形骸化。有力豪族ばかりが官吏に選ばれるようになり、西晋の時代には「上品に寒門(家柄の低い者)無く、下品に勢族(有力豪族の出)なし」と言われるほどに腐敗してしまいました。

 

つまり、家柄の良いお坊ちゃまばかりが政治の実権を握るようになり当初の目的から外れ、能力ではなく血統家格の貴族主義社会が形成されてしまう結果になってしまったのです。

 

 

別名、九品官人法、あるいは九品中正制。

 

一説には、これは漢から魏へと国号が変わるのを意識して、豪族の息がかかった官吏をそうでない有能な人材と選別する狙いがあったとされています。

 

メイン参考文献:ちくま文庫 正史 三国志 3巻 
          中公文庫 九品官人法の研究―科挙前史

 

正史 三国志〈3〉魏書 3 (ちくま学芸文庫)

中古価格
¥825から
(2017/11/12 20:57時点)

 

九品官人法の研究―科挙前史 (中公文庫)

中古価格
¥2,800から
(2018/9/15 15:48時点)

このエントリーをはてなブックマークに追加

関連ページ

曹操
三国志の主人公と言えば、一般的には劉備が思い浮かばれるかもしれませんが、正史基準に考えてマジで答えを出すなら、この人こそ主人公にふさわしいと言えるでしょう。
曹丕
魏の初代皇帝は実はこの人。悪ふざけが過ぎたりする辺りやはり曹操の子ですが、こちらはおふざけの質が心理攻撃に偏っているためドS王子と呼ばれることに……
曹叡
別名・土木の鬼。宮殿を大量に増設して国の財政を傾けた暗君みたいに言われることもありますが、それは貧民層に仕事を与えて救うための政策という説も……
卞氏(武宣皇后)
貴賤でいえば「賤」に属する身分の人でしたが……曹操は才女を見つけるとそんなものお構いなしにかっさらうのです。実際、よくできた人だったんだなと。
曹彰
本当はもっと下の方に伝が記載されている人物……。曹操の息子の中で、武勇ひとつのみを、それもかなり色濃く継いだ人物です。
曹昂
死んで孝行息子となった長子。その実力は史書からは計れず未知数……
夏侯惇
魏の重臣筆頭格。曹操軍のメインヒロインです。
韓浩
屯田制で有名な人。他にも何人も携わっていますが、彼ばかりが有名に……
史渙
曹操軍初期の勇将……なんだがどうにも影が薄い……
夏侯淵
別名・白地将軍。これは蔑称だから敬意を表してこう呼んじゃあかんよ。
曹仁
( ゚∀゚)o彡゜てっぺき!てっぺき!!
曹純
曹仁の弟で、曹仁伝のついでに記述あり。 文句なしの名将……のはずなんですが、活躍期間がネック……
曹洪
ドケチでがめつい人。ですが、忠義に厚くここ一番で魅せてくれる頼れる人物です。
曹休
とうとう無双最新作にも出演が決まりましたね。無能脱却なるか?
曹真
ハイパーチートデブ。人知勇すべてを持ち合わせる贅沢ぶりは、まさに将の中の将。 息子が残念なことでも有名です。
曹爽
豚になったさわやかさん
鄧颺
曹爽の取り巻きその1
丁謐
親父はそこそこ面白い人なんだけど、この人は……いや、司馬懿に喧嘩吹っ掛けたんだから大したものか。
畢軌
みんな大好き曹爽軍団の一員だよー
何晏
ヤク中にして仲間を見殺しにしようとする外道、そのくせ文学の才能は随一と言えるほどに突出……なかなか面白な人物です。
李勝
名前通りにはいかなかったよ
桓範
曹爽の取り巻きで唯一まとも・・・と思ったらDVの逸話があったでござる。
夏侯尚
ヤンデレ感漂う曹丕のマブダチ。
夏侯玄
優秀な外戚の人材なんですが……下手に人望があり過ぎても自滅するんだなって……
荀彧
穏やかで頭が良く、漢室への忠誠心の高い宰相…………と思っていたのか。
荀攸
打つ手に失策無し。賈詡と共にそう評されたガチ軍師。この人は戦場で策を練っている方が強く、むしろそういう仕事が専門だったのでしょう。脳筋絶対殺すマン。
賈詡
三国志の最優良軍師の一人。暗黒……?
袁渙
袁紹らと同族、つまり名族!
張範
なんつーかニート。すっげえニート。立派な人ですがニート。
涼茂
暴君相手に啖呵切って諫めた人。でもこの話の信憑性は微妙な物で……
国淵
史書の記述に大穴を開ける正論屋。俺この人好きやww
王脩(王修)
田疇はしばしば胡散臭いと言われますが……この人の忠義が胡散臭いとケチをつける声はまず聞きません。すげぇよ……仕えたのは袁譚なんだぜ。
田疇
ぶっちゃけ独立勢力でしょ、この人。
鮑信
曹操は後漢末の乱世において天下を統一寸前まで平定した英傑。その前半生で彼を評価した人物は数少ないですが、やはり見る人は見ているのです。
鍾繇
鍾会の親父さん……ですが、それ以上のアピールポイントが山ほどあるのに目立たないのが不思議だなと思いました。山椒。
華歆
正史では持ち上げられすぎなくらいの聖人君子、演義ではどうしようもないクズ。落差が激しすぎやしませんかね←
王朗
ただの国賊扱いとか遺憾でござる
程昱
けっこう有名どころですが、やはり知名度はまだ二流。 ガチムチの、気骨あふれるおじいさん。
郭嘉
天才軍師。そこに何らかの間違いがあるわけではありませんが……傅子の誇張表現どうした←
董昭
演義ではベジタリアン。本当この人って暗黒よね。なんだかんだいい人っぽい感じもするけど。
劉曄
こっちはガチな皇族。にもかかわらず人を殺したりアグレッシブ!
蒋済
キレッキレ酔いどれ軍師。この手の策士や謀臣はどうにも情に薄いとか心無いとかそういう印象を受けますが……この人を見ればその先入観も薄れるはず。
劉馥
短歌行で反発して斬られた人物として有名ですが、それは演義のお話。正史だと、「トンデモな能力を持った名政治家」の一人として、ひっそりと歴史に名を馳せてます。
温恢
合肥の緩衝材にしておそらく軍事の専門家。
賈逵
かきふらい
李孚
袁紹軍の文官で、後曹操軍に。こんなマニアックな人物、誰が知ろうってんだよ……
任峻
屯田政策試用の実行者。扱いは武官でいいのかな?
杜畿
激流に身を任せどうかしてしまった結果亡くなった人。つまり死因:溺死。報われねぇ……
倉慈
ネットで検索すると、大抵「掃除」に関するあれこれが出てくるような人。政治家としては、「恐れられながらも敬愛される」という最高の資質を持った辺境伯です。
張遼
魏の中でも最強クラスのレジェンド。
楽進
ちっちゃい突撃大将。最近無双シリーズにも顔を出しましたが、それまではどうにも地味。しかし、魏でも五本指に入る大将とも言われた武将で、その実力は折り紙付きです。なお資料の少なさ……
于禁
スミマセン、擁護のためとはいえ、記述と比べてもいろいろ書きすぎました……
張郃
無双だとなぜか美しい人。武官で食邑4300戸ってすごくね?
徐晃
用意周到な無敗の将軍。この人のやってること、再現しようとすると気が遠くなりそうです。
朱霊
不遇の歴戦武将。徐晃伝に彼の伝が付伝されていますが、載っている事績は失態だけ。活躍はまったく別の人物伝ばかりという。なにこれ、いじめ?
李典
無双では勘の人、三國志シリーズではハイバランスながら凹凸のないフラットな能力。武官だけど学者志向。そんな人。
李通
魏が誇るTHE・勇将の一人。なんか魏って猛将タイプの影薄いよね。
臧覇
どっかで「めっぱ」とか間違って読まれてた人。 まあ、マイナーだから仕方ないね!
孫観
臧覇の部下代表。
文聘
ブンペイペーイ(゚Д゚)
呂虔
これまたマイナーどころ。名太守です。
許褚
ゲームではだいたいほんわか癒し系。
典韋
どのゲームでも人情派の荒くれとして出るゲームですが、実際の出自もそんな感じだったとか……。なおスキンヘッドだったかどうかは不明。
龐徳
ヘッポコ于禁との対比として祭り上げられる勇将。
王粲
三国志の文学者代表格。前半生がブサメンの悲哀を物語っている……
桓階
正義のためなら伝統も破る。不義理のイメージをとことんぶち壊す帝王擁立論者です。
楊俊
やる気のないニート・司馬懿の実力を見抜いた眼力の持ち主。
趙儼
まったくと言っていいほど目立たないものの、曹操軍の影の柱石と言ってもいい大人物。
孫礼
猛獣狩りと孤軍奮闘に定評のある人物。というか孤立無援の中戦うとか虎を徒歩で追い払おうとするとか、本当何なんこの人。
満寵
誰かがこの名前をオンラインゲームで名乗っていた時、三国志ファンを名乗る腐女子から「卑猥な名前をつけるな」と怒られたことがあるらしい。なぜだ。
田豫(田予)
北方にて異民族と戦い続けた定住型傑物。陳寿も 「あの程度で終わる人間じゃないだろ」と述べていますが……
牽招
田豫に次ぐ北方エキスパート。この人も地味に劉備と関係持ちなのね……。というか、この人も大概モーヲタなのが面白いです。
郭淮
魏軍きってのピンチヒッター。しかし病気には弱いようで、大事な局面で二度も……
徐邈
酒、聖人、酒ェ!!
王淩
言う事聞かない人。後戻りできず専横路線に乗り切った司馬懿に対し、齢80で喧嘩を吹っ掛けるという剛毅なお方です。
毌丘倹
連鎖反応に巻き込まれての反逆、処刑。おまけに名前が覚えにくいから覚えても貰えない。何とも不遇な……
鄧艾
吃音で有名ですが、たぶんアスペルガーも併発してたんじゃないかな?
薛悌
誰この人と思って調べたら普通に傑物だったでござる
閻行
人物伝第一号がまさかの超マイナー武将。 「こいつ誰だよ」って人も多いでしょうが、実はとある有名武将を一方的に叩きのめしたことも……
殷署
微妙に強そうな人……だし実際に大物くさいが、記述は……うん。
棗祗
屯田は大反対の嵐で曹操自身も難色を示したのですが、一部部下が強固に主張したので結局実行、思いがけない成果を上げました。棗祗は、特に強固に主張した人物ですね。
高祚・解𢢼
正直、ただの一発屋。人物伝の主役に取り上げるのも同化という人物ですが、面白いのでやります。
師纂
彼が悪なのか鄧艾が悪なのか……

ホーム サイトマップ
お問い合わせ