王脩(王修) 叔治
生没年:?~?
所属:魏
生まれ:青州北海郡営陵県
王脩(オウシュウ)、字は叔治(シュクジ)。魏書の列伝には、袁紹(エンショウ)始め北方の群雄への忠誠を誓い、それを美談として取り上げられている名士も少なくありません。
言ってしまえば、王脩もその中の一人。曹操へと降伏した後も優れた事績を残していますが、彼のハイライトはやはり袁紹の長子・袁譚(エンタン)への忠義でしょう。
今回は、そんな王脩の伝を追っていきましょう。
スポンサーリンク
北海の忠義者
王脩は北海郡の名士としてそこそこ以上に裕福な家庭で育ったようですが、わずか7歳の時に母親を亡くすなど、その前半生は恵まれたものではなかったようです。
母を亡くした王脩の悲しみは相当だったようで、翌年に隣村で祭りが行われたときには、母を思い出して泣いた王脩のために、わざわあ祭りが取りやめになったほどだったとか。
とはいえ、いつまでも悲しんでばかりもいられません。後に20歳になった王脩は、勉学のため張奉(チョウホウ)という人を訪ねに、わざわざ荊州の南陽(ナンヨウ)まで足を運びました。
こうして師を得て下宿していたある時、張奉は重い病気にかかってしまいました。この時看取れる人が射なかったのですが……この時に彼をみとったのが王脩。せめてものお礼かもともとそういう気質だったのか、王脩は張奉を親身に看病し、その病が完治するまでずっと滞在し続けたと言われています。
道徳と忠義が何より大事な三国志の時代において、王脩のこの態度は高く評価されたことでしょう。初平年間(190~193)には北海太守の孔融(コウユウ)が、王脩を主簿(シュボ:秘書)として雇い入れ、高密(コウミツ)県の県令(ケンレイ:県知事)に任命されます。
この時、高密では豪族の1人が立場を盾に好き勝手やっていると有名だったのですが……なんと王脩は官吏や民衆を引き連れて豪族の家を包囲。豪族が臨戦態勢を整えてもひるまず住民らを叱咤し、とうとう根負けした豪族は好き勝手を働いた張本人を突き出して、以後好き勝手をする人物はいなくなったのです。
その後王脩は孝廉に推挙されたりもしたのですが、この時、なんと王脩は固辞して次席の邴原(ヘイゲン)に推薦を受ける権利を譲ってしまったと言われています。
その後も王脩は引き続き孔融に仕えますが……ここでも剛直清廉な態度は一切変わらず。反乱が起きれば孔融の元に危険を顧みずいの一番に救援に駆けつけ、彼に大いに喜ばれます。
またこの時、公沙盧(コウサロ)なる豪族が自分たちの強大な戦力を盾に防備を固め、租税を一切支払う事を拒否していましたが、王脩はこれを許さずたった数騎で屋敷に突撃。公沙盧一族の有力者を討ち取って問題を解決してしまったのです。
王脩はその後も孔融に尽くし、休みの日でも危機と聞けばすぐに駆け付けてその勢力維持に力を尽くしたのでした。
スポンサーリンク
変わらぬ鉄の忠義
いかに王脩の懸命な献身があっても、時代の流れには逆らえません。袁紹が勢力を拡大していくにつれて、青州にも影響力が及んできます。
やがて袁紹の長子である袁譚によって攻め込まれ、孔融は西の許(キョ)まで逃走していきます。
取り残された王脩らは、青州の勝者としてその地を治めることになった袁譚に仕官しますが……やはり王脩は敵国から降伏してきた身。あまりよく思わない人物も少なくなかったようです。
特にその中でもひどかったのが、劉献(リュウケン)の態度。彼は王脩の欠点をあげつらい、徹底的に非難しました。……が、王脩はそんな劉献の態度を意に介さず。逆に劉献が死刑判決を受けた時には庇い立てをしてやったのです。
そんなこんなで袁譚の元でも忠義の臣として力を尽くした王脩でしたが……やがて袁紹が死亡すると、領内に不穏な空気が立ち込めてきました。
なんと、袁譚と弟である袁尚(エンショウ)のあいだで後継者争いが勃発。袁譚は袁尚の攻撃を受けてしまったのです。
王脩はすぐに救援に向かい、袁譚に「王脩だけは頼りなる!」とご満悦。結局戦いに負けて袁譚軍は苦境に立たされますが……王脩はそれでも袁譚を見捨てず、逆に頼りになる人材を推挙する等全力でサポートしました。
ただ、兄弟間で争っているだけでは、やがて曹操を始め外敵に滅ぼされるのは自明の理。王脩は袁譚に策を尋ねられると、兄弟間の和睦を強く訴えかけました。
「外敵がいる中で兄弟間で争うのは危険すぎます。今は対立をあおっている臣下の郭図(カクト)、辛評(シンピョウ)らを叩き斬って、兄弟間で団結すべきです」
しかし派閥争いの様相も兼ねていた跡目争いをやめることはできず、結局袁譚は拒絶。「敵は曹操でなく袁尚だ」とばかりに標的を絞り、なんと北方への領土拡大を狙う曹操と和睦してしまったのです。
当然、お互い戦うべき敵を無視して相争ったのでは生き延びることなど到底不可能。袁譚はやがて曹操と敵対し、そのまま敗北。殺されてしまったのでした。
王脩は袁譚の死を聞きつけると、任務を放り出して急行。袁譚を討ち取った曹操軍の目の前にもかかわらず号泣し、さらには曹操に遺体の埋葬を願い出たのでした。
本来ならば、袁譚は敵。その死を悼むのは敵方の人間の証として処断することが通例でした。当然曹操もその通例に従ってあえて無言で王脩の申し出を握りつぶしましたが、「死罪になろうとも、恩を受けた主君を弔わねばなりません」との強い訴えに押されて許可を出したのです。
その後
さて、想像がつきづらいかもしれませんが……曹操という人物は、王脩のような忠義の男が大好き。袁紹の配下が大量の財貨を家に蓄えていた中で王脩だけは食料がわずかにあるだけという話を聞き、曹操は袁譚埋葬の件を思い出して「タダモノではない」と確信。
これで王脩を気に入った曹操は、礼儀を尽くして王脩を招聘。そのまま自分の属官にしたうえで、後に魏(ギ)郡太守に任命しました。
こうして任地を得た王脩が徹底した政治思想は、強きを挫いて弱きを助ける。法規と賞罰をはっきり明確化させて、民衆の絶大な支持を受けたとか。
見事な功績を上げた王脩は、後に大司農(ダイシノウ:財務大臣)と郎中令(ロウチュウレイ:近衛兵回りを司る部署のトップ)を兼任。
後に行われた新たな刑罰の導入についての議論の場にも呼ばれ、「今はすべきでない」と反対派の意見を述べます。
また、その忠義を示す逸話も健在。反乱が起きたと聞いたときも、真っ先に馬車をチャーターしながら、到着が遅いので徒歩で救援に駆けつけるという無茶をやってのけたほど。
この行動は「大臣は有事に役所で待機すること」というしきたりを無視した動きで、それを諫めた者もいましたが……「君主の危機には駆けつけるのが道義。しきたりなど知ったとか」と言い放ったとかなんとか。
そんな硬骨忠烈な義士であった王脩ですが、在職中に病没。子の王忠(オウチュウ)がその後を継ぎました。
スポンサーリンク
人物評
三国志を編纂した陳寿は、王脩のことをこう評しています。
彼の忠節は、世の中を矯正するのに十分な物だった。
政治力や能力も当然非凡だったのでしょうが……もっとも称えるべきは忠義、というわけですね。
「1日でも給料をもらったのなら、その主君に命を懸けて尽くすべき」と、まるで江戸時代に云われていた武士道のお手本のような人物だったと言えるでしょう。
また、そんな忠臣だったからこそしきたりや立場を無視し、ある意味怖いくらいの忠義を曹操に気に入られて後世に名を残すことになったのです。というか、仕えた主君3人全員に「こいつならすぐ駆けつけてくる」と言われてるのは本当スゴイ……
また、似たような人物を嗅ぎ分ける人物眼も持ち合わせていた模様。後々高官に上る高柔(コウジュウ)や王基(オウキ)の器を、かたや冴えない青年時代、かたやなんと子供時代に見極めたと言われています。
関連ページ
- 曹操
- 三国志の主人公と言えば、一般的には劉備が思い浮かばれるかもしれませんが、正史基準に考えてマジで答えを出すなら、この人こそ主人公にふさわしいと言えるでしょう。
- 曹丕
- 魏の初代皇帝は実はこの人。悪ふざけが過ぎたりする辺りやはり曹操の子ですが、こちらはおふざけの質が心理攻撃に偏っているためドS王子と呼ばれることに……
- 曹叡
- 別名・土木の鬼。宮殿を大量に増設して国の財政を傾けた暗君みたいに言われることもありますが、それは貧民層に仕事を与えて救うための政策という説も……
- 卞氏(武宣皇后)
- 貴賤でいえば「賤」に属する身分の人でしたが……曹操は才女を見つけるとそんなものお構いなしにかっさらうのです。実際、よくできた人だったんだなと。
- 曹彰
- 本当はもっと下の方に伝が記載されている人物……。曹操の息子の中で、武勇ひとつのみを、それもかなり色濃く継いだ人物です。
- 曹昂
- 死んで孝行息子となった長子。その実力は史書からは計れず未知数……
- 夏侯惇
- 魏の重臣筆頭格。曹操軍のメインヒロインです。
- 韓浩
- 屯田制で有名な人。他にも何人も携わっていますが、彼ばかりが有名に……
- 史渙
- 曹操軍初期の勇将……なんだがどうにも影が薄い……
- 夏侯淵
- 別名・白地将軍。これは蔑称だから敬意を表してこう呼んじゃあかんよ。
- 曹仁
- ( ゚∀゚)o彡゜てっぺき!てっぺき!!
- 曹純
- 曹仁の弟で、曹仁伝のついでに記述あり。 文句なしの名将……のはずなんですが、活躍期間がネック……
- 曹洪
- ドケチでがめつい人。ですが、忠義に厚くここ一番で魅せてくれる頼れる人物です。
- 曹休
- とうとう無双最新作にも出演が決まりましたね。無能脱却なるか?
- 曹真
- ハイパーチートデブ。人知勇すべてを持ち合わせる贅沢ぶりは、まさに将の中の将。 息子が残念なことでも有名です。
- 曹爽
- 豚になったさわやかさん
- 鄧颺
- 曹爽の取り巻きその1
- 丁謐
- 親父はそこそこ面白い人なんだけど、この人は……いや、司馬懿に喧嘩吹っ掛けたんだから大したものか。
- 畢軌
- みんな大好き曹爽軍団の一員だよー
- 何晏
- ヤク中にして仲間を見殺しにしようとする外道、そのくせ文学の才能は随一と言えるほどに突出……なかなか面白な人物です。
- 李勝
- 名前通りにはいかなかったよ
- 桓範
- 曹爽の取り巻きで唯一まとも・・・と思ったらDVの逸話があったでござる。
- 夏侯尚
- ヤンデレ感漂う曹丕のマブダチ。
- 夏侯玄
- 優秀な外戚の人材なんですが……下手に人望があり過ぎても自滅するんだなって……
- 荀彧
- 穏やかで頭が良く、漢室への忠誠心の高い宰相…………と思っていたのか。
- 荀攸
- 打つ手に失策無し。賈詡と共にそう評されたガチ軍師。この人は戦場で策を練っている方が強く、むしろそういう仕事が専門だったのでしょう。脳筋絶対殺すマン。
- 賈詡
- 三国志の最優良軍師の一人。暗黒……?
- 袁渙
- 袁紹らと同族、つまり名族!
- 張範
- なんつーかニート。すっげえニート。立派な人ですがニート。
- 涼茂
- 暴君相手に啖呵切って諫めた人。でもこの話の信憑性は微妙な物で……
- 国淵
- 史書の記述に大穴を開ける正論屋。俺この人好きやww
- 田疇
- ぶっちゃけ独立勢力でしょ、この人。
- 鮑信
- 曹操は後漢末の乱世において天下を統一寸前まで平定した英傑。その前半生で彼を評価した人物は数少ないですが、やはり見る人は見ているのです。
- 鍾繇
- 鍾会の親父さん……ですが、それ以上のアピールポイントが山ほどあるのに目立たないのが不思議だなと思いました。山椒。
- 華歆
- 正史では持ち上げられすぎなくらいの聖人君子、演義ではどうしようもないクズ。落差が激しすぎやしませんかね←
- 王朗
- ただの国賊扱いとか遺憾でござる
- 程昱
- けっこう有名どころですが、やはり知名度はまだ二流。 ガチムチの、気骨あふれるおじいさん。
- 郭嘉
- 天才軍師。そこに何らかの間違いがあるわけではありませんが……傅子の誇張表現どうした←
- 董昭
- 演義ではベジタリアン。本当この人って暗黒よね。なんだかんだいい人っぽい感じもするけど。
- 劉曄
- こっちはガチな皇族。にもかかわらず人を殺したりアグレッシブ!
- 蒋済
- キレッキレ酔いどれ軍師。この手の策士や謀臣はどうにも情に薄いとか心無いとかそういう印象を受けますが……この人を見ればその先入観も薄れるはず。
- 劉馥
- 短歌行で反発して斬られた人物として有名ですが、それは演義のお話。正史だと、「トンデモな能力を持った名政治家」の一人として、ひっそりと歴史に名を馳せてます。
- 温恢
- 合肥の緩衝材にしておそらく軍事の専門家。
- 賈逵
- かきふらい
- 李孚
- 袁紹軍の文官で、後曹操軍に。こんなマニアックな人物、誰が知ろうってんだよ……
- 任峻
- 屯田政策試用の実行者。扱いは武官でいいのかな?
- 杜畿
- 激流に身を任せどうかしてしまった結果亡くなった人。つまり死因:溺死。報われねぇ……
- 倉慈
- ネットで検索すると、大抵「掃除」に関するあれこれが出てくるような人。政治家としては、「恐れられながらも敬愛される」という最高の資質を持った辺境伯です。
- 張遼
- 魏の中でも最強クラスのレジェンド。
- 楽進
- ちっちゃい突撃大将。最近無双シリーズにも顔を出しましたが、それまではどうにも地味。しかし、魏でも五本指に入る大将とも言われた武将で、その実力は折り紙付きです。なお資料の少なさ……
- 于禁
- スミマセン、擁護のためとはいえ、記述と比べてもいろいろ書きすぎました……
- 張郃
- 無双だとなぜか美しい人。武官で食邑4300戸ってすごくね?
- 徐晃
- 用意周到な無敗の将軍。この人のやってること、再現しようとすると気が遠くなりそうです。
- 朱霊
- 不遇の歴戦武将。徐晃伝に彼の伝が付伝されていますが、載っている事績は失態だけ。活躍はまったく別の人物伝ばかりという。なにこれ、いじめ?
- 李典
- 無双では勘の人、三國志シリーズではハイバランスながら凹凸のないフラットな能力。武官だけど学者志向。そんな人。
- 李通
- 魏が誇るTHE・勇将の一人。なんか魏って猛将タイプの影薄いよね。
- 臧覇
- どっかで「めっぱ」とか間違って読まれてた人。 まあ、マイナーだから仕方ないね!
- 孫観
- 臧覇の部下代表。
- 文聘
- ブンペイペーイ(゚Д゚)
- 呂虔
- これまたマイナーどころ。名太守です。
- 許褚
- ゲームではだいたいほんわか癒し系。
- 典韋
- どのゲームでも人情派の荒くれとして出るゲームですが、実際の出自もそんな感じだったとか……。なおスキンヘッドだったかどうかは不明。
- 龐徳
- ヘッポコ于禁との対比として祭り上げられる勇将。
- 王粲
- 三国志の文学者代表格。前半生がブサメンの悲哀を物語っている……
- 桓階
- 正義のためなら伝統も破る。不義理のイメージをとことんぶち壊す帝王擁立論者です。
- 陳羣
- 謹厳実直なエリート官僚ですが、九品中正法や曹操への物騒な提案などから、腹黒な食わせ物の可能性が……
- 楊俊
- やる気のないニート・司馬懿の実力を見抜いた眼力の持ち主。
- 趙儼
- まったくと言っていいほど目立たないものの、曹操軍の影の柱石と言ってもいい大人物。
- 孫礼
- 猛獣狩りと孤軍奮闘に定評のある人物。というか孤立無援の中戦うとか虎を徒歩で追い払おうとするとか、本当何なんこの人。
- 満寵
- 誰かがこの名前をオンラインゲームで名乗っていた時、三国志ファンを名乗る腐女子から「卑猥な名前をつけるな」と怒られたことがあるらしい。なぜだ。
- 田豫(田予)
- 北方にて異民族と戦い続けた定住型傑物。陳寿も 「あの程度で終わる人間じゃないだろ」と述べていますが……
- 牽招
- 田豫に次ぐ北方エキスパート。この人も地味に劉備と関係持ちなのね……。というか、この人も大概モーヲタなのが面白いです。
- 郭淮
- 魏軍きってのピンチヒッター。しかし病気には弱いようで、大事な局面で二度も……
- 徐邈
- 酒、聖人、酒ェ!!
- 王淩
- 言う事聞かない人。後戻りできず専横路線に乗り切った司馬懿に対し、齢80で喧嘩を吹っ掛けるという剛毅なお方です。
- 毌丘倹
- 連鎖反応に巻き込まれての反逆、処刑。おまけに名前が覚えにくいから覚えても貰えない。何とも不遇な……
- 鄧艾
- 吃音で有名ですが、たぶんアスペルガーも併発してたんじゃないかな?
- 薛悌
- 誰この人と思って調べたら普通に傑物だったでござる
- 閻行
- 人物伝第一号がまさかの超マイナー武将。 「こいつ誰だよ」って人も多いでしょうが、実はとある有名武将を一方的に叩きのめしたことも……
- 殷署
- 微妙に強そうな人……だし実際に大物くさいが、記述は……うん。
- 棗祗
- 屯田は大反対の嵐で曹操自身も難色を示したのですが、一部部下が強固に主張したので結局実行、思いがけない成果を上げました。棗祗は、特に強固に主張した人物ですね。
- 高祚・解𢢼
- 正直、ただの一発屋。人物伝の主役に取り上げるのも同化という人物ですが、面白いのでやります。
- 師纂
- 彼が悪なのか鄧艾が悪なのか……