卞氏(武宣皇后)


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卞氏

 

 

生没年:延熹3年(160)~太和4年(230)

 

所属:魏

 

生まれ:徐州琅邪郡開陽県

 

 

 

 

卞氏(ベンシ)。曹操(ソウソウ)の奥さんです。曹操と言えば片っ端から才女美女にコナをかけて回るスケベ親父の一面を持っていましたが……基本的に見るのは顔と人となりだったようで、身分とか血統とかお構いなし。

 

この人も卑しい職業に付いている辺り家柄は庶民か、下手をするとそれ以下。にもかかわらず、曹操の第一夫人にまでなり、孫の代まで魏を見届けた女性です。

 

 

貧困層は一転金持ちになると、性格が変わる事もしばしばですが……うん、この人ホントに才人やな……。

 

 

 

 

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曹操の良き側室

 

 

 

卞氏は元々、歌妓の身分でした。今でいうと歌なんかは場合によっては不動の地位にも繋がりますが、当時はそんなこと無し。歌や楽毅だけでなくお酌や場合によっては水商売も何でもありの、「品がない」と忌避される職種。正直、お金に困った貧乏人の職業だったと言っても良いわけですね。

 

そんな身分に甘んじている=とても金持ちに大事にされるなんてことと縁の無い身分でしたが……そんな卞氏20歳の時、いきなり転機が訪れます。

 

 

なんと、曹操に気に入られてそのまま家に招かれ、側室に迎え入れられたのです。

 

とはいえ、金持ちに気に入られた貧乏人が側室のひとりになるというのは良くある話。大概、こういう場合は性欲処理機の一つといった役割で終わってしまい、この時はまだ正妻はおろか、第二、第三夫人を狙うのも厳しい状態と言わざるを得ません。

 

 

しかし、曹操について都・洛陽(ラクヨウ)へと向かった折……曹操に大いに気に入られる事件が発生したのです。

 

洛陽を董卓(トウタク)が掌握した際、曹操董卓と反目して逃走。行方不明となりました。

 

 

この時、反董卓派の袁術(エンジュツ)から「曹操が死んだ」という報告があり、曹操の付き人たちは皆勝手に返ろうとし始めたのです。この時、卞氏は以下のように言い放ち、周囲を諫めています。

 

 

「まだ亡くなったと決まったわけではありません。もし生きておられたのならば、その時に逃げ帰ったとあっては合わせる顔がありません。もし災禍に見舞われたのであれば、その時にはともに死にましょう」

 

 

この言葉で周囲は逃亡を取りやめ、後になんとか生きて合流した曹操には大いに気に入られ、側室としての地位を大きく高めることになるのです。

 

 

 

 

 

夫人の大器

 

 

 

建安2年(197)、曹操にとって不幸とも呼べる出来事が起こります。なんと、一度曹操に降伏したはずの群雄・張繍(チョウシュウ)が反旗を翻し、その過程で長子・曹昂(ソウコウ)が戦死。

 

これに怒った曹操の正妻・丁夫人(テイフジン)がそのまま実家へ帰って離婚を余儀なくされたのです。

 

 

さすがにどうしようもないと思った曹操は、側室の中から新たに正妻を選ぶことになりますが……この時に選ばれたのが、貧民出身の卞氏だったのです。

 

 

こうして曹操の正式な夫人として取り上げられた卞氏は、その後驕ったような様子もなく、質素に生活。かつての身分との間にコンプレックスをこじらせて豪華な生活に溺れることは、一度もなかったのです。

 

また、教育上手なお母さん役としても期待され、曹操からは母親のいない子を全員卞氏に預けて教育を任せたとか。

 

 

当然、そんな良妻賢母に贅沢攻めなど通用はせず。曹丕(ソウヒ)が皇太子に任命された際に彼の側近が祝いと称して倉の宝物を卞氏にプレゼントしようとすると、卞氏はあっさりと拒否します。曰く、

 

曹丕は年長であるから太子に任命されただけ。それに私は、教育責任を問われないかが心配なだけです。そのような贈り物を受けるだけの謂れはありません」

 

とのこと。普通ならば喜んで飛びつき、いや、最悪自分から要求する人も少なくないでしょうに……とんでもない人物です。

 

 

 

『魏書』にも華美な生活や派手な装飾に興味を示さない人物としての記述がなされてあり、倹約家とされています。

 

 

また、曹操が立派な耳飾りをいくつか仕入れて持ってきた時は必ず卞氏に一番に選ばせましたが、決まって彼女は中等品の微妙な価格の物を受け取ったとか。曰く、

 

「一番高いものを選ぶと強欲、安いものを選ぶと倹約がわざとらしいと批難を受けます。だから中等品をいただくのです」

 

さすがといったところですが……この言葉には卞氏の器以上に、「貧民の分際で天下人の妻になった女」の気苦労を感じられるのは私だけでしょうか?

 

 

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ま さ に 太 后

 

 

 

建安24年(219)には王后として正式に認められ、翌年に夫の曹操が亡くなると、そのまま王太后、そして曹丕が亡くなり曹叡(ソウエイ)が跡を継ぐと、今度は「皇后太后」の尊号を得ました。ややこしい!

 

そしてそのまま、太和4年(230)に崩御。曹操が崩御した際に埋葬されたのと同じ墓陵に合葬されたのでした。

 

 

ちなみに曹丕が魏帝についていた年間に、なんと彼女は当時軽視される女性の身でありながら領地と爵位を与えるかどうかという話が上がったのです。

 

さすがにこの時は、重臣の陳羣(チングン)が反対。

 

 

「古来のしきたりで女性は男性に付き従う者となり、すなわち男性の爵位に付き従うという事と同義。秦はこの教えに背いて漢王朝はそれを踏襲しましたが、これはいにしえの君主の在り方ではありません」

 

 

いかにも古風な男尊女卑思想ですが……漢王朝は皇后が力を持ったことでその一族が台頭し、さらには周りを世話する宦官が力を持ってお互い争ったという形跡もあり、それを警戒した言葉とも思われます。

 

結局、これによって卞氏が爵位を得るという話は取りやめになったのです。

 

 

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人物像

 

 

貧民から破格の立場に上り詰めるというトンデモな人生を歩んだにも関わらず、華美を好まぬ質素倹約な生活を送った人物なのは先述の通り。

 

『魏書』によれば、故郷の親戚一同を家に招待した時も、豪華なディナーを提供できる立場に居ながら、実際に出したのは野菜と粟の飯くらい。自分が里帰りした時も質素倹約を心掛けるように伝えています。

 

かと思えば、遠征中に老兵を見かけると声をかけて贈り物をするなど……とにかく、自身の難しい立場を保守、謂れの無い誹謗を受けないような行動に腐心している様子がうかがえます。

 

 

曹操もそんな卞氏の気苦労を良く知っていたようで、「腹を立てても顔色を変えず、うれしくても節度を守る。これが一番むずかしいのだ」と賛辞の言葉を口にした記述が残っています。

 

 

『魏略』では、離婚した曹操の前妻・丁夫人にもよく接していた様子が描かれています。

 

卞氏は側室という立場の手前、丁夫人からぞんざいな扱いを受けていましたが……その恨みが世の中に出ることは一度たりともありませんでした。

 

それどころか、夫の前妻としてしばしば贈り物を届け、曹操が遠征などで留守にした隙にこっそり丁夫人を屋敷に招待。上座に座らせて、自身は下座で側室時代と変わらない歓待を行ったりもしたのです。

 

 

また、丁夫人が亡くなったと聞くと、曹操に許可を得て彼女を埋葬。生前、丁夫人は感謝のあまり「なぜここまでしてくれるの?」と漏らしたとか何とか。

 

 

 

 

息子たちとの関係

 

 

 

さて、そんな卞氏でしたが……どうにも「実子の曹丕とは仲が良くなかった」といううわさが、まことしやかにささやかれています。

 

例えば、先述の「曹丕の皇太子任命は当然。それより教育不足で責任を問われないかが心配です」という発言。これは暗に、曹丕の性格を危険視しての発言という意味合いにも受け取れます。

 

また、曹丕の夢に出てきて曹丕の意向に反対するという眉唾な話や銭ゲバで知られる曹洪(ソウコウ)の待遇による口出し、曹丕が跡を継いだことを曹操の墓陵で愚痴ったり等(さすがにこれは嘘でしょう)、とにかく曹丕との仲の悪さを示す逸話は事欠きません。

 

 

一方で曹丕の弟にして末子の曹植(ソウショク)を溺愛してい多様ですが……さすがに情だけで国を傾ける悪女が、ここまで賞賛されるようなことはありません。

 

『魏書』によれば、曹植が法律に抵触する行いをした時、卞氏は「そんなことをするとは……」と驚きを隠さなかったものの、曹丕に対して「私のために国法を破ることは許しません」と曹植の処罰を認可。以後曹丕と会う時も、この話は一切持ち出しませんでした。

 

 

まあ曹丕との不仲がどこまで本当かはわかりませんが……好き嫌いで国の運営に口出しする小市民的性格でなかったのは間違いないでしょう。

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