何晏 平叔
生没年:?~正始10年(249)
所属:魏
生まれ:???
何晏(カアン)、字は平叔(ヘイシュク)。後漢末の大将軍・何進(カシン)の孫であり、論語を始め古代中国の名著を語る上では避けて通れない当時でもトップクラスの文才の持ち主です。
しかし同時にナルシストでヤク中、挙句味方を見殺しにして自分だけが助かろうとするなど、なかなかに見てて面白いクズ要素を取り揃えた人物となっています。
それもそのはず。彼は曹爽(ソウソウ)一派の要人の一人であり、歴史的に言ってしまえば、立場からして悪党そのもの。したがってよく書かれることはよほどでなければまずありえず、ましてや本人がどうしようもない人物ならば、それこそ悪く書かれる格好の的でしょう。
今回は、そんな傍から見てる分には面白な人物、何晏についての記述を追っていきましょう。
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曹操の養子は鳴かず飛ばず
さて、そうは言ったものの、何晏の具体的な活躍は主に裴松之によって追加された伝書や他人の伝にあるものばかり。
当人の本伝の記述を追ってみてわかる内容は、何進の孫であることと、後に曹操の側室となった尹(イン)氏という人が母親で、曹操の養子同然に育って嫁までもらった事。
そして才気あふれる秀才としてたたえられ、道教思想を好んだこと。後は、文、賦を数十篇と編纂した大物文学者である事。
おおよそ、読み取れる情報はこんなものしかありません。したがって、以下書いていくことは信憑性はじめ諸事情の関係で正史から除外された史書からの情報がメインになってきますね。
と、前置きはこれくらいにして……
何晏の若い頃の話は、主に『魏略』に描かれています。
何晏の母である尹氏が曹操の妾として後宮に赴いたとき、息子である何晏も一緒に引き取られて養育していました。
曹操の養子としては他に秦朗(シンロウ)なる人物もいましたが、おとなしい性格の秦朗とは逆に何晏は才気溌溂としていましたが自重をしない性格で、曹操と同じような格好をしていたのでした。
そのため、曹操の後を継いだ曹丕(ソウヒ)からは徹底的に嫌われており、名前ではなく養子やあいつ呼ばわりしかされず、さらに何晏自身が道楽者の享楽主義者だったこともあって任用されることはありませんでした。
曹丕の息子の曹叡(ソウエイ)が帝位に上るとようやく閑職程度にこぎつけられるようになりましたが、「名声だけで中身の無い奴が嫌い」という曹叡の意向もあって、ここでも出世街道から除外。
しかし、この不遇の日々はもしかしたら何晏が一番活きていた時代かもしれません。彼はこの時期、暇にあかして多くの著作物を世に送り出しています。
時機こそ不明ですが、彼の著作物の中には現存する最古の論語注釈書『論語集解』や、自らが感銘を受けた道教思想の本『老子道徳論』などが含まれています。
政権トップの一派へ、そして……
こうして小役人兼文学者として行動していた何晏でしたが、ある時、急浮上の機会がやってきました。
かつてより友諠を結んでいた時の権力者・曹爽により抜擢され、散騎常侍(サンキジョウジ:皇帝の命令伝達役)と共に宮中に仕える侍中府の尚書(ショウショ:要職を担当する。書面を取り扱う尚書台から派遣される文官)に突如就任。
同時に公主を娶っていたこともあり、爵位まで与えられて諸侯に封じられ、まさに破格の代出世。
これにより、何晏は蚊帳の外から一気に政治の中心に躍り出ることになったのです。
こうして一気にのし上がった曹爽一派は、古株として障害になりかねない司馬懿(シバイ)を失脚させ排除。いよいよ権勢も大いに高まり、大国・魏を一派の手に収めることに成功したのでした。
……しかし、失脚したといえども才覚実績共に飛び抜けている司馬懿が相手。一度名誉職に追いやる程度では、難癖付けて処刑されるまで待ってくれる人物ではなかったのです。
正始10年(249)、司馬懿はついに曹爽に対してクーデターを敢行。恐れをなした曹爽は大した抵抗もできず司馬懿に降伏。一派丸々が一連のクーデターにより全員罷免され、逆に失脚してしまったのでした。
何晏も当然そのあおりを受け、曹爽らと共に処刑。妻のおかげで息子は殺されずにすみましたが、何とも寂しい終わりを迎えたのでした。
『魏氏春秋』では、何晏は曹爽一派の裁判を司馬懿の命令で主導。
自分が助かるために仲間を厳しく裁き、自分だけは助かろうとしました。
そこで司馬懿に云われるがままに、曹爽一派の仲間の名前を次々と書面し告発。
しかし司馬懿は、「まだ一人足りないぞ」とあくまで厳しい顔を隠さず追求。いよいよ追いつめられた何晏が「私のことですか?」と訊くと、司馬懿も「まさしく」と頷き、そのまま何晏は罪人として逮捕されたのでした。
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人物像
何晏は政治家としてはご覧の有様ですが、学者としては非常に大きな功績を打ち立てています。
まず、儒教のバイブルともいえる論語を注釈し、この世に残すことに成功。これだけでも功績は計り知れないと断言してよいでしょう。
それだけでなく、自分は王弼(オウヒツ)という人物と共に道教に傾倒。ついには玄学(ゲンガク)という道教系の新たな哲学思想を創立。大いに隆盛し、後に迎えた南北朝時代の時はを儒学・文学・史学と並んで「四科」と言われ、後に仏教が隆盛するまで大きく親しまれてきたのです。
さて、ではそんな何晏の性格はというと……ナルシストでヤク中。
白粉と手鏡を常に手放さずに持ち歩き、鏡で自分の顔を見ては恍惚に浸るほどの強烈な自己愛の持ち主で、歩く時の影をしばしば振り返って眺めるほどにアレな人だったことが記されています。
『魏氏春秋』によれば交友関係も意外と広く、当時厚い人望を得ていた夏侯玄(カコウゲン)やあの司馬懿の息子である司馬師(シバシ)とも交友があったとされ、何晏が2人を評する言葉もあります。
「『易』にある、『表面に現れない道理を決めるのは難しく、それゆえ天下の人々の意思に通暁する』という一文。これは夏侯玄にピッタリな言葉だ。
また、『機微を絶妙に察すれば天下の仕事を完成する』という文は司馬師にこそふさわしい。
『神秘であれば、速く動かなくても速く、わざわざ行くまでもなく至る』という言葉に関しては、俺は聞いただけでそんな人を見たことがないね」
ちなみにこの人物評は、「神にでも自分をなぞらえたのだろう」というツッコミがなされており、なんかもうこれだけで彼の性格がわかるような……
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あの言葉の語源がこの人?
さて、ヤク中に関しては、『世説新語』に書かれた話ですね。
何晏はいつも『五石散(ゴセキサン)』なる、鉱物を粉にした麻薬を愛用していました。そして、彼が五石散を高く評価したことから一時ブームになったとのこと。
ちなみにこの話は散歩という単語の語源になったという説があり、なんかもういろんな意味で世の中に関わってるんです、この人。
なんかもう何でもありですね……すげえなこの人。
性格は身勝手で自分大好きで薬物中毒、おまけにピンチになったら仲間を見殺しにしようとするとんでもない人物ですが、そんな人間が昨今の文学や、あろうことか日常用語の元になっていると考えると、なかなか面白いですね。
すごい英雄の事績だとか、武人のトンデモな武勇伝、ハイパー軍師の会心の策など、歴史には見どころも多いですが……たまにはこういった残念な、そのくせ妙に有能で別方面で歴史に名を残した人物を調べてみるのも面白いかもしれませんね。
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