この言葉、いかにも「古事!」って感じの響きがありますよね。
まあ、そんな前置きをしたところで結局古事は古事なんですが。
意味合いとしては、「人は三日もあれば成長する」、そこから転じて、「最初の先入観をいつまでも引きずっていると、正しい評価は下せない」「常に古い価値観や評価は捨てて物事や人を見ろ」と。
過去の事績や周囲の評価を気にする凡人の我々には、ちっとばかし耳の痛くなる言葉ですね(´・ω・`)
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三国有数のチートと化したアホ将軍・呂蒙
この言葉も、明確に三国志に記されています。
言葉の由来は、呂蒙(リョモウ)という人のエピソードから。
関羽を殺したという事実から一説では有名になったり、なんか蜀ファンから蛇蝎通り越して悪魔や人間としても見られないゴミのような評価を下されたりするあの呂蒙です。
実は彼、大変な凝り性&努力家であり、その辺の彼の性格が生んだ言葉が題名の小難しい一文なのです。
若かりし頃の呂蒙は大変ヤンチャな武闘派で、勝手に戦争に紛れ込んで参加したり、馬鹿にされてついカッとなって殺人を犯したりと、まあいろいろと荒くれな逸話が残っています。さらに家も裕福とは言えず、簡単に言えば貧乏人の無教養人だったのです。
それでも前半生は持ち前の才能だけで順調に出世を重ねてきましたが、そこはやはり無教養人。荒くれ者はインテリ層から見ると、言ってしまえばただのアホ。特に教養を積んだ名士からは、内心軽蔑されることも少なくなかったようです。
さて、そんな呂蒙(とついでに同じく荒くれの蒋欽)は、主君である孫権に呼び出しを食らいます。
言ってみると、「この機会に勉強しなさい」とのこと。
学問などなくてもかなりの出世を遂げた呂蒙(と蒋欽)は「忙しいから無理です」と拒否。
孫権はこれを聞いて折れるどころか、逆に二人を説得。
「主君の俺や、あとお隣の曹操さんだって勉強してるんだ。まあいいから、最低限の知識と教養は身に着けてみなさい」とのこと。
他ならぬ主君の猛プッシュともあれば、無下にできません。そこで呂蒙(と蒋欽)は、騙されたつもりで勉学をスタート。
はじめは嫌々のスタートでしたが、凝り性の呂蒙はそれからしばらく勉強漬け。そしてしばらくのガリ勉時代を過ごした後、気付けば学者も真っ青のハイパー教養人になっていたのです。
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さて、アホからハイパー教養人へと変貌を遂げた呂蒙。当時孫権軍でも随一の知恵者であった魯粛(ロシュク)という人の後任として、彼の任地を訪れることになります。
この時、魯粛といろいろと談義を交わしたそうなのですが、この時の受け答えがスラスラと、アホには真似できないレベルのスムーズ&シャープな物だったようで……話を聞いた魯粛は破顔一笑。「呉下の阿蒙に非ず(もう昔のアホさがチャーミングな呂蒙ちゃんじゃないな)」と評価。
その魯粛の評価に対する呂蒙のコメントが、題名の通り。「士別れて三日なれば、即ち更に刮目して相待すべし」と。
呂蒙はその後、見事関羽を討ち取って孫権劉備間の荊州問題も解決させ、正史三国志を手掛けた陳寿をして「国士である」と評されるに至ったのです。
対義語:呉下の阿蒙
上記の魯粛の呂蒙評にあったものですね。
この呂蒙の豹変ぶりとは真逆の、
「いつまでも進歩しない人間」との意味。これまた耳が痛い……。
この言葉は遥か後世、毛沢東のプロパガンダにも使われたらしく、「無教養のハンデをものともしなかった呂蒙にならうしかない」と部下に語ったそうです。