曹昂 子脩
生没年:?~建安2年(197)
所属:魏
生まれ:豫州沛国譙県
曹昂(ソウコウ)、字は子脩(シシュウ)。魏の武帝・曹操(ソウソウ)の長子で、彼のポカに巻き込まれて亡くなった悲劇の人。と同時に、死の間際に曹操の身代わりにも近い形で戦死を遂げた逸話から、彼を孝行息子と賞賛する声も……
当人の伝にはたった数行の記述しかなく、後は死後の諡号や追悼目的で割り振られた領地の話がほとんどですが……曹操伝に載せられた逸話から一躍有名になり、今でも三国志をかじった程度の知識の人にも名前を覚えられる程度の知名度を誇っています。
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曹昂伝の記述
まず初めに、曹昂伝に描かれた、彼の生前の記述を見てみましょう。
正真正銘、誇張も削りも無くこれだけです。
基本的に皇族の人物らはその活躍に関わらず、ただ生まれて生きて死んだだけという記述でも伝に記載されるため、別段おかしなことではないのです。むしろ、曹昂の場合はその死に様のために、非常に知名度の高いほうと言えるでしょう。
ちなみにその後、弟の曹丕(ソウヒ)が魏帝国を建国した翌年の黄初2年(221)には、悼公の諡号と領地が与えられ、「豊の悼公」と呼ばれるようになります。
しかし、仮にも曹操の宗室に連なり、曹丕の兄である人物。その家を継ぐ子がいないのではあまりにむなしすぎます。そこで、曹操の実子の一人である曹均(ソウキン)の息子である曹琬(ソウエン/ソウワン)なる人物が曹昂の跡継ぎとなり、その年のうちに国替え。
黄初5年(224)には諡号が悼王に格上げされ、さらに太和3年(229)には今度は愍王と諡号が変更。その後は曹琬の血族が、曹昂の正式な後継ぎとして君臨するようになったのです。
結局何が偉いのか
さて、そんなわけでただ不幸にも張繍の反乱で戦死しただけの曹昂ですが、いったいなぜ、三国志好きは彼を評価するのか……。
その答えは、『世語』にあります。
その前置きとして……『魏書』によれば、曹操は張繍の反乱を受けた際には絶影(ゼツエイ)という馬に乗っていました。しかし、敵はあちこちを動き回り、戦場は矢の雨あられ。乗っていた曹操だけでなく絶影も怪我をしてしまい、そのまま走れなくなってしまったのです。
この時、颯爽と現れたのが曹昂。世語にあるのは、以下の文です。
儒教では、何よりも自身の親は大事にすべき存在です。それを身代わりになる形で助けたとあっては……中国の代表者も同然である儒学者たちは、それはもう手放しに賞賛します。
この行動のおかげで現代にまでその名声は伝わり、「曹昂は性格の悪い曹丕と違い、復古的な名君になれたかもしれない」なんて言われるわけですから……死後の名声だけでいえば、弟たちよりも勝ち組という言葉が似合うかもしれません。
もっとも、曹昂は才を発揮することなく倒れた身。あくまでその力量は未知数ですが……。
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ちなみに……
これは『魏略』での話です。
曹昂は劉(リュウ)夫人という女性から生まれた男児でしたが、まだ幼少期に劉夫人は死去。その後は、曹操の最初の正妻である丁(テイ)夫人が彼を引き取り、実質的に曹昂の母親として立派に育て上げたといわれています。
また、張繍の反乱の一因として「曹操が彼の亡き叔父の元妻を側室にしてイチャコラした」という部分もあり……そのせいで実子同然であった曹昂が死んだのが、丁夫人には耐えられなかったようです。
結果、丁夫人は曹操と顔を合わせるたびに「愛しの子が死んだのに、随分平気な顔をなさるのですね」と嫌味を言うほど、その仲は冷え切ってしまったと言います。
それでも曹操は丁夫人をあきらめきれず、郷里に帰ってしまった彼女に会いに行き、その背中をさすって「一緒に車で帰ろう」と優しく声をかけるものの、丁夫人は完全無視。
これでもダメかと渾身の謝罪を行う曹操に対しても心開くことはなく、結果として曹操は丁夫人をあきらめる事しかできなかった……とされています。
曹操はこの事がかなり大きなトラウマになったようで、亡くなる少し前には病床にて、こんなことを口にしています。
「俺は自分の好きに生きてきた。悔いはない。ただ、曹昂が化けて出てきて『母上はお元気ですか?』とか訊いてきたら、俺はどう答えればいいんだ……」
妻も子も替えが十分利くほどに大勢いた曹操ですが、どちらも大事にしていたのでしょうね。
ちなみに曹丕は同書にて、「彼は生きてても限界があった。それよりも弟の曹沖(ソウチュウ)が早死にしなかったら、俺の今の地位は無かったかもしれん」と語っています。
実際のところ、彼が曹操の後を継いだらどうなったのか……。証拠が少なすぎてどうとも言えませんが、少し気になる所ではあります。
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