桓範 元則


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桓範 元則

 

 

生没年:?~正始10年(249)

 

所属:魏

 

生まれ:豫州沛国譙県

 

 

桓範

 

 

桓範(カンハン)、字は元則(ゲンソク)。曹爽(ソウソウ)の取り巻き一派は腐った連中として史書に上げられているわけですが、この桓範だけは扱いは別格。

 

名家の出身でありながら、小役人から実力で出世した人物。そして、正始の政変でも司馬懿(シバイ)はじめ知将らから唯一才覚を認められた人物です。

 

 

今回は、そんな桓範の事績を追ってみましょう。

 

 

 

 

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魏の小役人、出世する

 

 

桓範は明確な時期こそ謎ですが、建安年間の末期(だいたい210年代後半と思われる)に曹操(ソウソウ)に仕官。

 

丞相府(ジョウショウフ:内閣みたいなもの)に小役人として仕えましたが、その息子の曹丕(ソウヒ)が跡を継ぐと、延康元年(220)には羽林左監(ウリンサカン:近衛兵の内の一部隊を管轄)に出世。

 

元々文学にも造詣があったことで曹丕に気に入られ、『皇覧(コウラン:中国最古の書物と言われる)』の編纂という大仕事を任されるようになりました。

 

 

そして曹丕の息子の曹叡(ソウエイ)の代で、ついに中領軍(チュウリョウグン:首都防衛指揮官。魏では実質名誉職)と尚書(ショウショ:軍事や政務それぞれの要職を分担する官吏5人の総称)に出世。

 

 

さらに地方に出て征虜将軍(セイリョショウグン)・東中郎将(トウチュウロウショウ)となり、都督青徐諸軍事(トトクセイジョショグンジ:青州と徐州の軍事総司令)として強力な軍事処罰権である持節(ジセツ)も持たされるほどになりました。

 

 

しかし、この時は徐州刺史(ジョシュウシシ:徐州の長官)と揉め事になってしまい、非を責められて免職。故郷に帰ることになってしまったのでした。
その後も兗州刺史(エンシュウシシ)に復帰、冀州牧(キシュウボク:冀州長官。刺史より偉い)に昇進の噂も立ちましたが、家庭内でトラブルを引き起こしてしまったため赴任はしなかったとされています。

 

 

 

 

再び出世するものの……

 

 

 

さて、こんな感じで色々と折り合いのつきにくい人物でもあったため日の目が長続きしなかった桓範でしたが……年号が正始に代わってしばらく、なんと中央の高官である大司農(ダイシノウ:財務大臣)に大抜擢。ついに尚書以来の中央要職にこぎつけたのです。

 

桓範は尚書時代に「職務に精通している」と太鼓判を押された辣腕を振るい、清潔簡明な仕事ぶりを披露。司馬懿にすら認められる智謀の士は、ようやくその本領を発揮したのです。

 

 

……しかし、この頃から大権を握っていた曹爽が桓範に急接近。彼の父である曹真(ソウシン)以来の、沛国2番目の仕官者であるとして、大変な敬意を払い桓範を派閥に取り込もうと動いたのです。

 

これに対して桓範は必要以上に接近することを避けていましたが……正始10年(249)、ついに恐れていたことが現実となったのです。

 

 

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正始政変

 

 

 

皇帝である曹芳(ソウホウ)が先祖の墓参りに行こうと都を発った時、曹爽もまたこれに同行。桓範は今洛陽を離れるのは危険と反対していましたが、結局曹爽には聞き入れられませんでした。

 

こうして洛陽で危険分子がいなくなった隙を見計らうと、曹爽の政治に限界を覚えていた司馬懿がついにクーデターを起こし、桓範を名指しで自陣に呼び込もうと声を掛けたのです。

 

 

曹爽と司馬懿。相対する2人の板挟みとなった桓範でしたが、彼はやがて、息子らの急きたてるような勧めもあって洛陽を脱出。曹爽の陣営に付くことにしました。

 

……しかし、これが桓範の命運を決める事になってしまったのです。

 

 

もはや曹爽の派閥に合流するしかなくなった桓範は、関所を封鎖していた元の部下を怒鳴りつけて無理矢理開門させると、曹爽らに合流。

 

すぐに曹爽に対して南の許昌で再起を図るよう進言しましたが、曹爽は失敗リスクを恐れて黙ったまま何も言わず。さらに彼の弟の曹羲(ソウギ)に対しても決定を促しましたが、2人とも黙って何も言おうとしなかったのです。

 

 

それもそのはず。2人とも司馬懿が本気で自分たちを殺そうとしているとは露ほども思わず、曹爽に至っては「自分が富豪でいられるなら軍権くらいは別に……」といったスタンスだったのです。

 

結果、曹爽は緊迫状態に心が折れ、司馬懿の勧めによって降伏。完全に罷免、軟禁されてしまったのでした。

 

 

桓範は司馬懿の手によって一度は赦免、元の官位に復帰しましたが、後に司馬懿を誣告した罪を着せられ逮捕。他の不穏分子と共に処刑され、一生を終えることとなってしまったのです。

 

 

 

 

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その人間性は狂暴?

 

 

 

桓範は曹爽伝の中で取り巻きの一人として挙げられるだけにとどまっており、その人物評に関しては事績の合間に描かれた逸話から見えてくる気がします。

 

桓範は非常に優れた才覚を持た頭のいい人物だったのは間違いないのですが、同時に頭に血が上りやすく手が付けられないプライドの高さと凶暴さも合間合間で語られています。

 

 

まず、徐州刺史と揉め事を起こした際には、家の奪い合いからキレて処罰権限を使って殺そうとしたところを上奏されて罷免、といった流れだったと語られています。

 

 

さらには冀州牧に昇進するかどうかのタイミングで妊娠していた妻に対して、「今の冀州を管轄するのは、昔俺より下だった奴だ。安南に頭下げるとか絶対ヤダ」と愚痴をこぼしていますね。

 

しかもこの後、「徐州刺史を斬ろうとしたあなたの下にいるのを、当時の部下は恥ずかしがっていましたよ。そのくせ昔の部下に頭を下げたくないとあっては、出世は無理そうですね」と嫌味を言った妻にマジギレし、お腹の赤ちゃんごと殺す暴挙に出ています。

 

 

 

極めつけは、同じく自重しないタイプの蒋済(ショウサイ/ショウセイ)との喧嘩沙汰。

 

彼は蒋済に自身の渾身の著書をレビューしてもらおうと彼に差し出したものの、軽くペラペラ読みされたことで大激怒。

 

よりによって別の会議にその怒りを持ち出し、蒋済を面罵。「うちは名家だぞ!テメーみたいな貧乏人の出とは違うのだ!」と散々に怒鳴り散らし、荒れるのを避けて睨み返すだけにとどめた蒋済に対して延々と罵声を浴びせ続けたというのです。

 

 

この性格は曹爽に対しても健在で、彼が軟禁状態にされたときにも「富豪でいられるなら何でもいいんだ」とのたまった際にも「あの曹真の息子がこれとは……この豚野郎!」と大いに罵ったとか罵っていないとか。

 

 

 

とかく才能と家柄を併せ持っていたばかりにプライドが高く怒りが先行しやすいタイプの桓範。彼は周囲が認める優れた知者であるのは間違いありませんが、誣告罪の濡れ衣を着せられたのはある意味必然なのかもしれませんね。

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