孫礼


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孫礼 徳達

 

 

生没年:?~嘉平2年(250)

 

所属:魏

 

生まれ:幽州涿県容城県

 

 

 

 

孫礼(ソンレイ)。字は徳達(トクタツ)。後期の武将文官はどうにも影が薄く、ショボい印象を受けるのが、三国志の少し残念なところ。

 

しかし、知名度のショボさと実際のショボさは話が別。やはり万能な人物や戦争が異様にうまい人物、トンデモな政治家もいるわけで……。

 

 

孫礼も、そんな後期の隠れたトンデモ人物の1人。剛毅な武人でありながら政治家としても大臣格に上り詰める、超万能人物でした。今回は、そんな孫礼の伝を追っていきましょう。

 

 

 

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母の恩人のために

 

 

 

孫礼は曹操(ソウソウ)による河北平定の折に召し出されて彼の属官になっており、おそらく血筋はそこそこ以上のものだったと考えられるでしょう。

 

……が、時は乱世。名士といえども決して平穏な暮らしはできず、家族との突然の別れが避けられないケースも少なくありません。孫礼の母親も乱世の波に飲まれ、行方不明になったという事があったのです。

 

そんな折、孫礼の母を一緒に探して見つけ出してくれたのが、馬台(バダイ/バイ)という人物。孫礼は母を見つけてくれた馬台に感謝してもしきれず、なんと全財産を彼に譲渡してしまったのでした。

 

 

また、曹操に仕えるようになったある時、馬台は死刑相当の罪に問われて投獄されてしまったことがありました。この時にも、孫礼は恩人を見捨てずとんでもない行動に出たのです。

 

なんと孫礼は曹操の属官であるにもかかわらず、牢獄に忍び込んで馬台を救出。そのまま脱獄させたのです。

 

その後、孫礼はすぐに自らの罪状を白状し出頭。同じく馬台も、「臣下に逃亡の道義無し」と温恢(オンカイ)の元に自首することとなりました。

 

 

この一連の流れに感動した温恢、そしてそれを聞いた曹操は彼らの罪状を軽減。二人して一級軽い罰を言い渡され、死刑を免れることができたのでした。

 

 

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文武両道の万能選手

 

 

 

その後、孫礼は河間(カカン)郡の丞(ジョウ:補佐官?)、滎陽(エイヨウ)の都尉(トイ:警察署長)を担当した後、魯(ロ)国一帯の統治を任されるようになりました。

 

魯国にそびえたつ魯山ではこの頃数百人の盗賊が周辺地域を荒らしまわって問題になっていましたが……孫礼は盗賊の首に県賞金を懸け、同時に降伏者を使って盗賊のアジトを撹乱することで盗賊団の鎮圧を成功させました。

 

この功績により軍の太守を任されるようになった孫礼は、その後あちこちの太守を歴任。やがては呉への外征にも参加するようになります。

 

 

太和2年(228)、曹休(ソウキュウ)を中心として大規模な攻勢を開始。いわゆる石亭の戦いと言われる大戦になりますが、聞き入れられなかったとはいえ敵陣に深追いする曹休を諫めています。

 

 

その後、尚書(ショウショ:尚書令。宮中の文書管理)として中央に赴き、財政に不安を抱える中で労役を普請する明帝・曹叡(ソウエイ)を諫め、さらに「労役を1ヶ月継続したい」と訴える現場監督の上奏を握りつぶし、勅使であるとして労働者を即座に解散させました。このように、政治的にもしっかりとした意見を言える人物であることがわかります。

 

 

その後、曹叡の死後に後事を任された曹爽(ソウソウ)の補佐官として付けられましたが……孫礼が元来剛直な性格だったのこともあってか、どうにも馬が合わずといったところ。

 

結局、孫礼は伏破将軍(フクハショウグン)、揚州刺史(ヨウシュウシシ:刺史は州の監査官、長官。州牧よりは格下)として対呉戦線の渦中へと放り投げられてしまったのです。

 

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対呉戦線、孤軍奮闘

 

 

 

ここまでに孫礼が軍を率いた記録と言えば、たかだか数百人の盗賊団を相手にしてにしての官民指揮と、あとは石亭での大敗北くらい。正直なところ、孫礼の軍事的才覚はこの時未知数だったのではと思われます。

 

そんな孫礼が最前線の一軍の大将に抜擢されたのは、果たして史書に書かれていない活躍があったか有能さを嫌いなりに曹爽に買われたか、あるいはどさくさ紛れに死んでほしかったのか……。

 

 

ともあれ、そんな孫礼が前線に立ってしばらくした後の正始2年(241)、ついに呉軍が大規模な侵攻を開始。孫礼らの元へと軍を差し向けたのは、名将・全琮(ゼンソウ)が率いる主力部隊でした。

 

しかもこの時、折悪くも兵は休暇中。守りは最低限しかおらず、そんなタイミングで奇襲攻撃を仕掛けてきた全琮軍に孫礼らはあっという間に押し込まれ、絶体絶命の危機に立たされたのです。

 

 

孫礼はそんな危機に瀕しても、決して退かずに力戦奮闘。休暇中の兵が救援に集結するまでの丸一日、圧倒的少数の兵を率い、自らも陣頭に立って全琮軍の猛攻撃を耐えしのいだのです。

 

人数がそろえば、もともと奇襲が目的であった敵軍に勝つ見込みは無し。あとはそのまま押し返し、対呉の防衛線を見事に守り切ったのでした。

 

 

この時の死者は防衛兵の半数以上。孫礼自身も馬が傷だらけになる等危険にさらされながらの戦いでした。

 

孫礼はこの活躍で受け取った褒美をすべて将兵の遺族に分配。戦死した兵士の祭祀場を建設し、自らも祭祀に出席し号泣したのです。

 

 

 

 

曹爽との確執再び

 

 

 

その後、再び中央に戻ったものの、またしても荊州刺史(ケイシュウシシ)、今度は冀州牧(キシュウボク)と地方の要職を転任。

 

冀州牧に任命された際、孫礼は司馬懿から「冀州では郡の境界線で揉め事が起きているが、上手く捌いてくれよ」という声を受け、着任前から以下のように返答をしています。

 

「亡き明帝が、すでに領土の境界をきっちりと区分けしておられます。それ以上に遡って問題を蒸し返す必要はありますまい」

 

孫礼はこの言葉通りに地図を持参し、領内の問題を取りまとめようとしましたが……ここで曹爽から思わぬ横槍が入ります。

 

 

「地図を持っていくな。両者の言い分を参考にしろ」

 

 

いかに国を操るお偉方といえども、自分なりの解決法を邪魔されて愉快な気分になる孫礼ではありません。彼はすぐに曹爽に向けて上奏文を書き上げ徹底抗議。これによって曹爽を怒らせて5年の禁固刑を言い渡されることになったのです。

 

結局、多くの人からとりなしがあって1年で城門校尉(ジョウモンコウイ)に復職。冀州に隣接する幷州(ヘイシュウ)で異民族の動きが活発化していた為にすぐ幷州刺史、そして振威将軍(シンイショウグン)、護匈奴中郎将(ゴキョウドチュウロウショウ)として異民族討伐を期待されましたが……孫礼はあくまで不満を隠さない様子でした。

 

そして挨拶に来て「一回り小さい幷州に回されたのが不満かな?」と尋ねる司馬懿に対して、孫礼は胸の内を明かしたのです。

 

「明帝のご遺志の元、国が正常な形でまとまるものと思っていました。それが、今はいかがですか。国家は危機に瀕し、民衆は不安を覚えています」

 

つまり好き勝手に専横する曹爽、そしてそれに対して行動を起こさない司馬懿に対して、孫礼は内心怒りを溜めこんでいたのですね。司馬懿はこの時は「まあ落ち着いて。今は耐えるのだ」とだけ述べて帰っていきましたが……この数年後、ついに曹爽排除の兵を挙げ、見事に曹爽一派を取り除いたのでした。

 

 

曹爽の死後、孫礼は中央に入り司隷校尉(シレイコウイ:中央の警察署長)として広大な土地を管轄。さらに最後には司空(シクウ:法務大臣)になり、国家の要職にまで上り詰めたのです。

 

しかし孫礼の余命はもはや長くなく、嘉平2年(250)に逝去。景侯と諡されました。

 

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人物評

 

 

 

三国志を編纂した陳寿は、孫礼についてこのように評しています。

 

 

剛毅果断で気性が激しかった。

 

 

賞賛というよりも性格を感じの表現が近い評ではありますが……まさに孫礼は、激しい性格で肝の据わった人物だったことが伺えます。

 

曹叡に付き添って狩りに出た時には、遭遇した虎に徒歩で応戦。曹叡から「さすがに馬に乗って戦えよ」と厳命された記述もあり……本当に豪胆というか、凄まじい人物だったようですね。

 

 

また、同郷の同年代に盧毓(ロイク)というこれまた同レベルに優れた人物がいましたが……孫礼は彼とはどうにも馬が合わず、関係はギクシャクしていたとか。やはり、激しい性格から忌避されていた部分もあったのかもしれません。

 

そのせいでとんだ災難を呼び寄せたりもしましたが……やはりそれらの欠点を余裕で押し返してしまうくらい、彼は優れた人物だったのでしょう。

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