龐徳 令明
生没年:?~建安24年(219)
所属:魏
生まれ:涼州南安郡狟道県
龐徳(ホウトク:正史では「龐悳」名義)、字は令明(レイメイ)。その散り様から、メディアでヘッポコ扱いされる于禁(ウキン)の対比(というか当てつけ?)として、しばしば格好いい役割をもらっている人物ですね。
実際に正史においても西涼の勇将として活躍し、人の下ではイマイチ力を発揮しきれない馬超(バチョウ)に代わって活躍。散りざまも彼の伝の約半分を占めるという書かれ方をしています。
今回は、そんな龐徳の伝を追って行こうと思います。
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西涼の猛者・ホーレーメー
龐徳は若い頃から涼州の役人となり、そのまま馬超の父である馬騰(バトウ)に仕官。
異民族の反乱に際してはたびたびその討伐で戦功を挙げ、順調に修正を重ねて高級軍官職である校尉(コウイ)に任命され、部隊を率いる将としてその活躍を期待されました。
建安7年(202)、馬騰が曹操と同盟を結ぶと、馬超を大将とした1万の軍が曹操の援軍に出陣。この時龐徳も将として戦いに臨み、曹操軍を苦しめていた高幹(コウカン)、郭援(カクエン)らと対峙しました。
戦いは大将の馬超が負傷するなど苛烈さを極めましたが、龐徳は先鋒隊を率いて奮戦。大将の一角である郭援を自ら討ち取り、位を中郎将(チュウロウショウ)に昇進させて都亭侯(トテイコウ)の爵位も賜ったのです。
その後再び高幹が曹操軍に敵対すると、馬騰軍は再び曹操の援軍に出向。高幹に呼応して後方で反乱を起こした勢力の討伐に向かいました。
龐徳はこの戦いでも次々と敵陣を打ち破り、軍功第一を飾ったと言われています。
馬超軍の将として
後に馬騰が曹操に乞われて朝廷に出向すると、馬超がその軍勢を引き継ぐことになり、龐徳は今度は馬超の下で将として働くことになりました。
そうこうして建安16年(211)。西涼ではこの時、激動の時代を迎えたのです。
曹操が西に目を向けたことにより、「自分たちが併呑されるのではないか」と恐れた西涼の諸侯が曹操軍と敵対。馬超を盟主として、曹操軍との決戦に臨んだのです。
結果は、曹操を討ち取ろうかという瞬間こそあったものの、敵軍の策に敗れて総崩れ。龐徳は馬超らと共に西へと逃げ延びましたが、連合軍は瓦解してしまったのです。
尚もあきらめない馬超は曹操軍に反抗。龐徳もこれに続きましたが、もはや連合軍としての体を為していない西涼の軍勢では到底曹操に勝てず、結局馬超らは涼州を追われて漢中(カンチュウ)の張魯(チョウロ)の元へ逃げ延びることになってしまいました。
馬超はその後も諦めずに曹操軍に挑もうとしますが失敗し、結局は益州の劉備の元へと逃走。対して龐徳は張魯軍の武将としてしばらく漢中に身を置きましたが、やがて曹操軍が攻めてくると降伏し、彼の軍門に降ることになったのです。
かねてより龐徳の武勇を知っていた曹操は彼を歓迎し、すぐに将軍としての職と関門亭侯(カンモンテイコウ)の爵位を以って龐徳を優遇することにしました。
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忠義の死
建安24年(219)、関羽(カンウ)らの扇動もあって侯音(コウオン)らが反乱を起こすと、龐徳は荊州方面の総大将である曹仁(ソウジン)と共にこれを討伐。その後南下して、関羽と戦うことになりました。
しかし、この時関羽の兵は意気高揚しており、さらに曹仁らよりも多勢とあって、非常に切迫した状況でした。
そのため将兵も疑心暗鬼に駆られており、その結果、龐徳の兄が劉備軍にいることもあって寝返りを警戒する声が多く寄せられていたのです。
しかし龐徳は、そんな猜疑の声を否定。
「国から恩義を受けた以上、命をとして戦わねばならん。わしは関羽を討つ。今年討たねば、逆にわしが関羽に討たれるであろう」
そう言い放ち、いざ出陣となった際は前線に出て奮戦。なんと関羽の額に矢を命中させ、あと一歩で殺せる所まで迫ったのです。
龐徳はこの時白馬に乗っていた事から、「白馬将軍」と敵から恐れられたそうな。
しかし関羽の勢いはこの程度では止まらず、城の包囲をより強めてきました。
そして対する龐徳も、曹仁の指示により城の外に陣を構えていましたが……
折しもこの時強い雨が辺りに降り注いでおり、運悪く黄河が氾濫。あたり一帯は水没し、龐徳ら諸将は高台に避難せざるを得ない事態となってしまい、郡としての機能を完全に失ってしまったのです。
そしてそれを機と見た関羽は、用意していた船に乗って龐徳らに総攻撃を開始し、軍勢は一気に瓦解してしまったのです。
龐徳は自慢の騎射で敵軍を迎え撃ちますが、すでに焼け石に水。
それでもあきらめじと、降伏しようとした将軍らを叩き斬ってでも頑強に抵抗しますが押し切られ、水嵩もどんどん増していき、それにつられて周囲の味方は次々と降伏していったのです。
龐徳は将軍一人、部隊長2人を引き連れて曹仁の元へと逃亡を図りましたが、運悪く小舟が濁流に呑み込まれて転覆。川で溺れていた龐徳はついに関羽によって囚われてしまいました。
対面した関羽は、
「お前の兄は我らの軍中。にもかかわらず降伏しないのはどういうことか」
と龐徳をなじります。が、すでに覚悟を決めていた龐徳は、逆に関羽に対して強気に言い返したのです。
「わしは国家の鬼となろうと、劉備ごとき賊の将になどならぬ!」
この龐徳の言葉に関羽は感銘を受けたか怒りを覚えたかは知りませんが……魏に後ろ盾など無かった龐徳は、関羽によって処刑されてしまいました。
曹操はそんな龐徳の最期に涙を流し、彼の息子2人を列侯に加えたのです。
諡は壮侯。曹丕(ソウヒ)が王位を継いで少し後に贈られたものでした。
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評価
龐徳と同じ状況に立たされた結果、数多くの兵を抱えていたこともあって降伏した于禁。彼との対比もあって、龐徳の評価は昨今問わず高いと言えるでしょう。
陳寿は、彼をこう評しています。
命を投げ出して敵軍を威圧した。かつて項羽に捕われた際に鞍替えを断って殺された周苛(シュウカ)なる人物がいたが、龐徳の節義は彼にも似たものだった。
曹操も(主に于禁に対する失望がメインながら)「30年以上務めてきた于禁以上」とも述べており、この最期は誉れ高い武人のものとして、今でも多くの人に評価されています。
しかし、これまで「ヘタレでゴミのような雑魚キャラ」としての悪評ばかりだった于禁がその事績から再評価を受け始めたこともあって、その評価にも少々暗雲が立ち込め始めてきているような……?
特に降伏しようとした将軍を独自判断で斬り殺した点。当然降伏は士気にも関わる戦犯行為なので、それを阻止するのはむしろ正しい判断なのですが……
当時の樊城周りは、完全に水没しきって戦うにも戦えるはずもない絶望的状況下。そんな中で降伏を許さなかったことが、判断が是か非かの論点になっている様子ですね。
忠義の勇将・龐徳の明日はどっちだ?
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