朱霊 文博
生没年:?~?
所属:魏
生まれ:冀州清河国鄃県
朱霊(シュレイ)、字は文博(ブンハク)。近年では三国志界隈で魏が取り沙汰されることも多くなり、その影響で五大将も注目されることが多くなっています。
魏の五大将と言えば、張遼(チョウリョウ)、楽進(ガクシン)、于禁(ウキン)、張郃(チョウコウ)、徐晃(ジョコウ)の5人。しかし、その陰に隠れ、密かに6人目と称されることもある人物がいます。
それこそが、今回伝を追っていく朱霊。
伝は徐晃伝の付伝、しかも具体的な事績のほとんどはオミットという地味に嫌がらせのような扱いを受けている朱霊ですが、今回は彼の伝を他の伝の事績と合わせて追っていきましょう。
スポンサーリンク
最初は袁紹配下
本文では、朱霊は始めは袁紹(エンショウ)配下。曹操(ソウソウ)が陶謙(トウケン)を討伐する際に袁紹からの援軍として軍勢を率いて合流し、そのまま曹操の大器に一目惚れしてそのまま曹操軍に鞍替えしたとあります。
この時の朱霊の言葉は、「これほどの名君は初めて見た!もうどこにも行く気はない」とのこと。実際にこの後曹操から干されるような仕打ちまで受けたのに恨み言ひとつ言った記述がない辺り、相当な入れ込みようなのがわかります。
この時、朱霊は自分の手勢以外にも兵を率いていたのですが、その兵たちもみな朱霊を慕って曹操軍に残留。まだまだ群雄として力不足だった曹操にとっては小さくない助けになった事でしょう。
さて、では袁紹軍で朱霊は何をしていたのかという話になりますが……その答えは『九州春秋』にあります。
袁紹が北方の群雄・公孫瓚(コウソンサン)としのぎを削っていた時、朱霊の故郷である鄃県(ユケン)は、季雍(キヨウ)という人物によって公孫瓚に鞍替え。朱霊は袁紹の命令で家族が人質として残る故郷を責めることになってしまったのです。
当然、公孫瓚は朱霊の家族を城壁に立たせて朱霊を寝返らせようとしますが……朱霊は「ひとたび君主を得て、家族惜しさに裏切れるか」と涙を呑んで鄃県の公孫瓚軍と対峙。家族の命を引き換えにして季雍を捕縛し、鄃県を袁紹支配下に取り戻したのでした。
憧れの曹操配下
かくして憧れの曹操軍に移籍した朱霊は、その後もちょくちょく史書に顔を出すようになります。
建安4年(199)には、曹操の配下に一時的に収まっていた劉備(リュウビ)と行動を共にし、袁術(エンジュツ)討伐に進発。しかしこの時の劉備は曹操を裏切る気満々であり、朱霊らが帰還した後にも徐州にとどまって反旗を翻してしまいます。
その後曹操が官渡の戦いに勝利、袁紹の死後に冀州(キシュウ)まで勢力を広めると、朱霊は袁紹軍の旧兵を率いて、曹操留守中の許都(キョト)の近郊である許南(キョナン)の守備に出向。曹操背後の劉表(リュウヒョウ)やその客将になった劉備に備えます。
この時に朱霊は曹操から「連中は勝手気ままを赦されてきた身であり、下手に締め付けすぎると反乱を引き起こすぞ」と注意を受けていたのですが……許都の西にある陽翟(ヨウテキ)という地に到着した時、曹操の忠告が現実のものとなってしまったのです。
朱霊はすぐに曹操に謝罪文を送りましたが、曹操は故事を引き合いに「内部分裂には相応の理由があり、必ずしも威厳を損なう事とも責任を追及すべき事とも言い切れないだろう」と朱霊の失態を不問にしたのです。
その後も、建安13年(208)の赤壁の戦いにも、趙儼(チョウゲン)率いる別動隊として張遼、楽進、于禁ら錚々たる面子と共に登場しました。
建安16年(211)に涼州の馬超(バチョウ)を中心に西方で反乱がおこると、朱霊もい軍を率いる武将として出撃し、徐晃と共に別動隊を率いて敵軍を圧迫。勝利に大きく貢献し、それからしばらくは夏侯淵(カコウエン)の主力部将のひとりとして西涼の征伐に参加しています。
また、そのまま建安20年(215)の漢中討伐にも参加し、後方を脅かす異民族を張郃と共に打ち破る活躍を見せています。
と、このように史書で散見されるだけでも各地を転戦している朱霊ですが、于禁伝ではなぜか曹操から憎まれており、時期は不明ながら朱霊軍は于禁軍に吸収されてしまったことがあるのです。
この時に朱霊や彼の兵たちは一切抵抗しなかったとあるのですが……いつの時期、何のせいで恨まれたのかは諸説あり不明のままです。
スポンサーリンク
五大将幻の6番目
曹操死後、曹丕(ソウヒ)が帝に即位して魏を打ち立てると、朱霊は故郷である鄃県を領土として鄃侯に取り立てられ、曹丕からは「いにしえの名将を超える働きを見せた」と大絶賛されます。
そして、曹丕からは「さあ、願いがあれば何でも言ってくれ」と言われると、朱霊は即座に「鄃よりも高唐(コウトウ)を領土に賜るのが、私の望みです」と返答。時を待たずして高唐に移封となりました。
鄃県と言えば、朱霊の故郷以前に、仕方ないとはいえ自身が家族を見殺しにした土地でもあります。やはり何か思うところがあったのでしょう。また、後将軍(コウショウグン)にまで上り詰め、ついには五大将の徐晃らに次ぐほどの名声を得る名将と名が知られるようになったのです。
そんな朱霊の最後の記述が、太和3年(229)の、石亭の戦いと呼ばれる大敗北を喫した戦い。
この時、総大将である曹休(ソウキュウ)は敵軍の罠にかかって全滅の危機を迎えていましたが、朱霊はこの時に駆けつけた救援部隊のひとつとして参戦。敵軍の追撃ルートを封鎖して敵に当たり、退路をこじ開けるのに貢献しています。
その後正始4年(243)には他の魏建国に貢献した功臣らと共に祀られたとあり、それ以前に亡くなっているのは間違いありません。
スポンサーリンク
間違いなく功臣なんだが……
さて、このようにあちこちを転戦して曹操軍や魏軍を支えた人物なのですが……活躍時期が飛び飛びで、曹操に干された時期やいつどの地位にいたのかなど、魏では非常に大身な人物でありながら不明点が多すぎるのが現状です。
そのため、五大将、あるいはその次くらいに位置する人物とされてもおかしくないのに、一切目立たず注目すらもされることが少ないという有り様。
楽進辺りと並んで、思わず誤植や別名記載で別人扱いされている同一人物を疑いたくなるものです。
その筆頭格が、呉の孫権(ソンケン)が魏へ腹芸謝罪文送った時に名が挙がっている朱横海(シュオウカイ)という人物ですね。
こちらは実際にほぼ朱霊ではないかと言われており、張遼が将軍位で「張征東」と言われているのを考慮して、朱霊が横海将軍という将軍位に就いていたとする説が濃厚です。
他にもいろいろと言われていたり否定されたりもしていますが……朱霊を別の人物と同一に括るのはあくまで仮説に過ぎません。何にしても、朱霊の立場と記載の多さがマッチしていない将軍の一人であり、まだまだ謎が多い人物です。
関連ページ
- 曹操
- 三国志の主人公と言えば、一般的には劉備が思い浮かばれるかもしれませんが、正史基準に考えてマジで答えを出すなら、この人こそ主人公にふさわしいと言えるでしょう。
- 曹丕
- 魏の初代皇帝は実はこの人。悪ふざけが過ぎたりする辺りやはり曹操の子ですが、こちらはおふざけの質が心理攻撃に偏っているためドS王子と呼ばれることに……
- 曹叡
- 別名・土木の鬼。宮殿を大量に増設して国の財政を傾けた暗君みたいに言われることもありますが、それは貧民層に仕事を与えて救うための政策という説も……
- 卞氏(武宣皇后)
- 貴賤でいえば「賤」に属する身分の人でしたが……曹操は才女を見つけるとそんなものお構いなしにかっさらうのです。実際、よくできた人だったんだなと。
- 曹彰
- 本当はもっと下の方に伝が記載されている人物……。曹操の息子の中で、武勇ひとつのみを、それもかなり色濃く継いだ人物です。
- 曹昂
- 死んで孝行息子となった長子。その実力は史書からは計れず未知数……
- 夏侯惇
- 魏の重臣筆頭格。曹操軍のメインヒロインです。
- 韓浩
- 屯田制で有名な人。他にも何人も携わっていますが、彼ばかりが有名に……
- 史渙
- 曹操軍初期の勇将……なんだがどうにも影が薄い……
- 夏侯淵
- 別名・白地将軍。これは蔑称だから敬意を表してこう呼んじゃあかんよ。
- 曹仁
- ( ゚∀゚)o彡゜てっぺき!てっぺき!!
- 曹純
- 曹仁の弟で、曹仁伝のついでに記述あり。 文句なしの名将……のはずなんですが、活躍期間がネック……
- 曹洪
- ドケチでがめつい人。ですが、忠義に厚くここ一番で魅せてくれる頼れる人物です。
- 曹休
- とうとう無双最新作にも出演が決まりましたね。無能脱却なるか?
- 曹真
- ハイパーチートデブ。人知勇すべてを持ち合わせる贅沢ぶりは、まさに将の中の将。 息子が残念なことでも有名です。
- 曹爽
- 豚になったさわやかさん
- 鄧颺
- 曹爽の取り巻きその1
- 丁謐
- 親父はそこそこ面白い人なんだけど、この人は……いや、司馬懿に喧嘩吹っ掛けたんだから大したものか。
- 畢軌
- みんな大好き曹爽軍団の一員だよー
- 何晏
- ヤク中にして仲間を見殺しにしようとする外道、そのくせ文学の才能は随一と言えるほどに突出……なかなか面白な人物です。
- 李勝
- 名前通りにはいかなかったよ
- 桓範
- 曹爽の取り巻きで唯一まとも・・・と思ったらDVの逸話があったでござる。
- 夏侯尚
- ヤンデレ感漂う曹丕のマブダチ。
- 夏侯玄
- 優秀な外戚の人材なんですが……下手に人望があり過ぎても自滅するんだなって……
- 荀彧
- 穏やかで頭が良く、漢室への忠誠心の高い宰相…………と思っていたのか。
- 荀攸
- 打つ手に失策無し。賈詡と共にそう評されたガチ軍師。この人は戦場で策を練っている方が強く、むしろそういう仕事が専門だったのでしょう。脳筋絶対殺すマン。
- 賈詡
- 三国志の最優良軍師の一人。暗黒……?
- 袁渙
- 袁紹らと同族、つまり名族!
- 張範
- なんつーかニート。すっげえニート。立派な人ですがニート。
- 涼茂
- 暴君相手に啖呵切って諫めた人。でもこの話の信憑性は微妙な物で……
- 国淵
- 史書の記述に大穴を開ける正論屋。俺この人好きやww
- 王脩(王修)
- 田疇はしばしば胡散臭いと言われますが……この人の忠義が胡散臭いとケチをつける声はまず聞きません。すげぇよ……仕えたのは袁譚なんだぜ。
- 田疇
- ぶっちゃけ独立勢力でしょ、この人。
- 鮑信
- 曹操は後漢末の乱世において天下を統一寸前まで平定した英傑。その前半生で彼を評価した人物は数少ないですが、やはり見る人は見ているのです。
- 鍾繇
- 鍾会の親父さん……ですが、それ以上のアピールポイントが山ほどあるのに目立たないのが不思議だなと思いました。山椒。
- 華歆
- 正史では持ち上げられすぎなくらいの聖人君子、演義ではどうしようもないクズ。落差が激しすぎやしませんかね←
- 王朗
- ただの国賊扱いとか遺憾でござる
- 程昱
- けっこう有名どころですが、やはり知名度はまだ二流。 ガチムチの、気骨あふれるおじいさん。
- 郭嘉
- 天才軍師。そこに何らかの間違いがあるわけではありませんが……傅子の誇張表現どうした←
- 董昭
- 演義ではベジタリアン。本当この人って暗黒よね。なんだかんだいい人っぽい感じもするけど。
- 劉曄
- こっちはガチな皇族。にもかかわらず人を殺したりアグレッシブ!
- 蒋済
- キレッキレ酔いどれ軍師。この手の策士や謀臣はどうにも情に薄いとか心無いとかそういう印象を受けますが……この人を見ればその先入観も薄れるはず。
- 劉馥
- 短歌行で反発して斬られた人物として有名ですが、それは演義のお話。正史だと、「トンデモな能力を持った名政治家」の一人として、ひっそりと歴史に名を馳せてます。
- 温恢
- 合肥の緩衝材にしておそらく軍事の専門家。
- 賈逵
- かきふらい
- 李孚
- 袁紹軍の文官で、後曹操軍に。こんなマニアックな人物、誰が知ろうってんだよ……
- 任峻
- 屯田政策試用の実行者。扱いは武官でいいのかな?
- 杜畿
- 激流に身を任せどうかしてしまった結果亡くなった人。つまり死因:溺死。報われねぇ……
- 倉慈
- ネットで検索すると、大抵「掃除」に関するあれこれが出てくるような人。政治家としては、「恐れられながらも敬愛される」という最高の資質を持った辺境伯です。
- 張遼
- 魏の中でも最強クラスのレジェンド。
- 楽進
- ちっちゃい突撃大将。最近無双シリーズにも顔を出しましたが、それまではどうにも地味。しかし、魏でも五本指に入る大将とも言われた武将で、その実力は折り紙付きです。なお資料の少なさ……
- 于禁
- スミマセン、擁護のためとはいえ、記述と比べてもいろいろ書きすぎました……
- 張郃
- 無双だとなぜか美しい人。武官で食邑4300戸ってすごくね?
- 徐晃
- 用意周到な無敗の将軍。この人のやってること、再現しようとすると気が遠くなりそうです。
- 李典
- 無双では勘の人、三國志シリーズではハイバランスながら凹凸のないフラットな能力。武官だけど学者志向。そんな人。
- 李通
- 魏が誇るTHE・勇将の一人。なんか魏って猛将タイプの影薄いよね。
- 臧覇
- どっかで「めっぱ」とか間違って読まれてた人。 まあ、マイナーだから仕方ないね!
- 孫観
- 臧覇の部下代表。
- 文聘
- ブンペイペーイ(゚Д゚)
- 呂虔
- これまたマイナーどころ。名太守です。
- 許褚
- ゲームではだいたいほんわか癒し系。
- 典韋
- どのゲームでも人情派の荒くれとして出るゲームですが、実際の出自もそんな感じだったとか……。なおスキンヘッドだったかどうかは不明。
- 龐徳
- ヘッポコ于禁との対比として祭り上げられる勇将。
- 王粲
- 三国志の文学者代表格。前半生がブサメンの悲哀を物語っている……
- 桓階
- 正義のためなら伝統も破る。不義理のイメージをとことんぶち壊す帝王擁立論者です。
- 陳羣
- 謹厳実直なエリート官僚ですが、九品中正法や曹操への物騒な提案などから、腹黒な食わせ物の可能性が……
- 楊俊
- やる気のないニート・司馬懿の実力を見抜いた眼力の持ち主。
- 趙儼
- まったくと言っていいほど目立たないものの、曹操軍の影の柱石と言ってもいい大人物。
- 孫礼
- 猛獣狩りと孤軍奮闘に定評のある人物。というか孤立無援の中戦うとか虎を徒歩で追い払おうとするとか、本当何なんこの人。
- 満寵
- 誰かがこの名前をオンラインゲームで名乗っていた時、三国志ファンを名乗る腐女子から「卑猥な名前をつけるな」と怒られたことがあるらしい。なぜだ。
- 田豫(田予)
- 北方にて異民族と戦い続けた定住型傑物。陳寿も 「あの程度で終わる人間じゃないだろ」と述べていますが……
- 牽招
- 田豫に次ぐ北方エキスパート。この人も地味に劉備と関係持ちなのね……。というか、この人も大概モーヲタなのが面白いです。
- 郭淮
- 魏軍きってのピンチヒッター。しかし病気には弱いようで、大事な局面で二度も……
- 徐邈
- 酒、聖人、酒ェ!!
- 王淩
- 言う事聞かない人。後戻りできず専横路線に乗り切った司馬懿に対し、齢80で喧嘩を吹っ掛けるという剛毅なお方です。
- 毌丘倹
- 連鎖反応に巻き込まれての反逆、処刑。おまけに名前が覚えにくいから覚えても貰えない。何とも不遇な……
- 鄧艾
- 吃音で有名ですが、たぶんアスペルガーも併発してたんじゃないかな?
- 薛悌
- 誰この人と思って調べたら普通に傑物だったでござる
- 閻行
- 人物伝第一号がまさかの超マイナー武将。 「こいつ誰だよ」って人も多いでしょうが、実はとある有名武将を一方的に叩きのめしたことも……
- 殷署
- 微妙に強そうな人……だし実際に大物くさいが、記述は……うん。
- 棗祗
- 屯田は大反対の嵐で曹操自身も難色を示したのですが、一部部下が強固に主張したので結局実行、思いがけない成果を上げました。棗祗は、特に強固に主張した人物ですね。
- 高祚・解𢢼
- 正直、ただの一発屋。人物伝の主役に取り上げるのも同化という人物ですが、面白いのでやります。
- 師纂
- 彼が悪なのか鄧艾が悪なのか……