李典 曼成
生没年:?~?
所属:魏
生まれ:兗州山陽郡
勝手に私的能力評
統率 | B+ | 正史での主な兵士統率は超地味な兵糧輸送の一件くらいだが、よく考えると味方や山賊に物資を奪われないようスムーズな輸送が行えるかが勝負の大仕事。というか輸送部隊で敵軍を蹴散らすなんて無茶もした。強い。 |
武力 | C | 地味に書かれているだけだが、合肥の戦いでは張遼と共に城外での迎撃担当。生き延びて少なからぬ貢献をした辺り、武力はあったのだろう。もっとも、当人は軍事より学問派だったようだが。 |
知力 | A- | 劉備の計略を見破り、冷静に「勝てる」と踏んで輸送部隊で敵軍に突撃し……。さすが勘の冴える男。 |
政治 | B | 意外かもしれないが、実は李典は学者志望だったという話がある。曹操も試しに人民統治を任せたら、思いのほかうまくやった。 |
人望 | B | 謙虚な姿勢と優れた人物への尊敬を忘れず、周囲から「若いのに」と妙に年寄りくさい褒められ方をした。諸将と功を争うのも嫌い、敵を作らなかったらしい。 |
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李典(リテン)、字を曼成(マンセイ)。最近有名ゲームにも顔を出している武将で、三國志をかじっているなら、知っているって人も多いでしょうね。
実際に、学者志望でありながらも戦争、さらには人格とあらゆる面に秀でたハイバランスな武将で、親族の活躍でそのまま取り立てられた人物ながら、それに見合った、いや、それ以上の功績を立てた人物と言えるかもしれません。
李氏一門の旗印
李典の叔父は李乾(リケン)という人で、李典の属する李一門は、はじめこの人に率いられる形で存続していました。
李乾は雄々しい性格で知られる猛将で、曹操軍でも主力武将の1人として戦いましたが、興平元年(194)に呂布(リョフ)を中心とした反乱が起こると、李乾もその中で死亡。その最期は、呂布の反乱に誘われるものの一切を拒否した結果、呂布側についた味方に殺されるというものでした。
その後しばらくは李乾の子がその軍を率いていたのですが、彼もまた天命に恵まれずに早世。こうして李一門の兵を率いる直系がいなくなってしまったために、ついに李典にそのお鉢が回ってきたのです。
はじめは従兄弟よりも立場の低い穎陰県令(エイインケンレイ:県令は大きい県のトップ。低いと言っても普通にVIP待遇)からのスタートでしたが、最終的に太守の位にまで昇進。中郎将(チュウロウショウ:校尉以上将軍未満)に昇進し、李一門の兵を率いることを許されたのでした。
建安5年(200)に官渡の戦いが勃発すると、李典は一族郎党を指揮して軍需物資を曹操に提供。曹操領内のほとんどの豪族が袁紹に靡いていく中で数少ない味方として曹操を支援した事実は、少なからず曹操を喜ばせました。
この声明の見返りとして、曹操は李典を裨将軍(ヒショウグン)に昇進させ、重臣の1人として扱う事を決定。
後に袁紹が亡くなると曹操はその旧領を攻めますが、この時、李典は程昱(テイイク)らと共に水路を使っての兵糧輸送の任務にあたっていました。
しかしこの動きを読んでか偶然か、李典船団の行く先には敵の一軍が港の前で待ち構え、補給線を遮断していたのです。
すぐに輸送隊の主だった将たちは対策を話し合うことになりますが、その中で李典は敵軍の攻撃を主張。
「敵は重装兵が少なく、さらに敵がいないとタカをくくって油断している。これならば攻撃すれば十分に勝てるだろう。要するに全体の役に立てばいいのだから、ここは独断専行に抵触しても敵軍を攻撃すべきだ」
李典の強気の発言に程昱も大いに賛同し、結局李典ら輸送船団は敵軍に攻撃を開始します。すると敵軍は李典の読み通りに算を乱し、あっさりと敗走。かくして李典は兵糧の輸送ルートを再び開放することに成功したのでした。
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人知勇のきらめく星
その後、李典は袁紹旧領を攻める間の留守役として南の戦線に転属。建安8年(203)には夏侯惇(カコウトン)らに随行し、領域を侵犯してきた劉備(リュウビ)の一派を迎え撃つことになりました。
この時、劉備軍はどういうわけか、突如として陣を焼き払って退却。夏侯惇らは追撃を加えようとしますが、李典はこれを怪しんで「罠の可能性もあります。追撃は控えましょう」と慎重策を唱えます。
が、そこは何かとポカに定評のある夏侯惇。李典のそんな進言を笑い飛ばし、そのまま共に従軍していた于禁(ウキン)らと共に追撃を開始してしまったのです。
こうしてまんまと罠にはまった夏侯惇は、劉備の用意していた伏兵部隊に奇襲を受けて窮地に陥ってしまいました。この時は戦力を温存していた利点が救援に駆けつけて事なきを得ましたが……その場に李典が不在だったら、曹操の華北統一はもっと遅延していたかもしれません。
ともあれ、こうして夏侯惇の窮地を救った李典は留守を他の将と交代し、再び北方の袁紹領切り崩しに参加。袁紹軍残党の本拠である鄴(ギョウ)を攻め落とすと、今度は楽進(ガクシン)と共に各地を転戦し、勝利を重ねていったのでした。
それらの功績が認められて捕虜将軍(ホリョショウグン)、都亭侯(トテイコウ)に取り立てられた李典でしたが、彼の胸中には一つの考えがありました。
それは、李氏一門の魏郡(ギグン)への移住。魏郡は切り取ったばかりの袁紹旧領のひとつであり、まだ曹操の影響力が完全とは言えませんでした。なので、李典は一族を上げて曹操たちの影響力を北方に根付かせようと考えたのですね。
それを聞いた曹操は最初冗談かと思って李典をからかいましたが、「才もないのに取り立てていただいた以上、相応の活躍をせねば」と一族を本気で移住させてしまった李典に感激。そのまま彼を破虜将軍(ハリョショウグン)に昇進させました。
その後はしばらく、李典は後方安定のために主戦場からは姿を消しますが……建安20年(215)に孫権(ソンケン)の大軍が合肥を攻めると、主立った将の1人としてその防衛に参加。
友軍の張遼(チョウリョウ)と協力して城の外で孫権軍を迎撃し、七千対数万という絶望的な戦力差を跳ね返すのに少なからず貢献したのでした。
と、このように知勇兼備の活躍を見せた李典は、後世には「五大将に次ぐ」とまで言われるほどの人物と言われましたが、残念なことに36歳という若さで病を得て死去。
『魏書』には「軍事より学問が好きだった」と書かれており、もしかしたら体のどこかに重大な欠陥を抱えていたのかもしれません。
曹操はそんな李典を尊重して最初は住民統治を任せて、李典もそこで大きな成果を上げていましたが……どういうわけか途中から普通に戦争のための武官やってますね。体は虚弱でも、そっちの才はやはり大きすぎたのかもしれません。
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謙虚で冷静な性格イケメン
と、このように知勇を併せ持って人格面も言う事無しのハイスペックな李典という人物。三国志ライト層に知られるようになったのはつい近年のことですが、それ以前からも根強い人気を誇っていた武将のひとりです。
三国志の編纂者・陳寿には、彼はこのように評されています。
儒教の教養を尊重し、同義によって個人の仲違いを忘れた。
仲違いとは、つまり元々呂布の軍勢に所属していた張遼とのことですね。
滅多なことでは敵を作ることが滅多にない李典でしたが、やはり呂布がいらん事をして一族郎党が悲惨な目に遭ったという過去からか、張遼とだけは日頃からどうしても関係が最悪に近かったのです。
合肥の戦いの折、主将の張遼はそんな李典(あと楽進も)がきちんと指示を聞いてくれないことを危惧し、2人に対して疑念に近い態度をぶつけてしまったようです。これに対してイラっと来た李典は、とうとう我慢ができず張遼に詰め寄ってしまいます。その時に言い放った言葉は、以下の通り。
「こんな国家の危機に、つまらん私情を持ち出すような馬鹿がいますか!私も楽進殿も、個人的ないさかいをこの後に及んで持ち出したりは致しません!」
憤然として言い放った李典に対して、やはり張遼と馬が合わなかった楽進も全力で同意を示します。
結局、3人は嫌いな者同士の即席とは思えない連携によって、圧倒的多数の孫権軍を逆に圧倒、そのまま敗走させてしまったのでした。
また、正史本文には「儒教を重んじ、諸将と功績を争わず、優れた名士を尊敬して謙虚に接した」とあり、割と性格がフリーダムな魏軍上層部においてはなかなか珍しい、優等生タイプの扱いやすい人物だったのかもしれませんね。
関連ページ
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- ブンペイペーイ(゚Д゚)
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- 許褚
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- 龐徳
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- 桓階
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