楊俊


このエントリーをはてなブックマークに追加

楊俊 季才

 

 

 

生没年:?~黄初3年(222)

 

 

所属:魏

 

生まれ:司州河内郡獲嘉県

 

 

 

 

楊俊(ヨウシュン)、字は季才(キサイ)。隋の煬帝の弟にも同じ名前の人物がいますが、そちらではありません。

 

 

ニート時代の司馬懿(シバイ)の才覚を見抜く等、この人は人の才覚や本領を見抜く才覚を持っていたように思われます。

 

が、やはり時勢や本心を見抜く力がなかったか、はたまた何かしら思うところがあったか……曹操(ソウソウ)の後継者争いの時には曹植(ソウショク)に加担。後に災厄を引き寄せてしまっています。

 

 

さて、今回はそんな楊俊の伝を追ってみましょう。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

金も名声も関係なし

 

 

 

この時代の名士は師匠の元で学問を習うのが通例でしたが、楊俊はそれに則って陳留(チンリュウ)の辺譲(ヘンジョウ)なる人物の元を訪問。彼から学問の教えを受け、高く評価されました。

 

しかし楊俊が学問を修了して帰郷した後、やがて兵乱が発生。全土で乱世の予兆が生じ、楊俊の故郷である河内(カダイ)周辺の空気は不穏なものとなりつつありました。

 

 

楊俊は、河内が交通の要衝となっていることから戦乱に巻き込まれることを予見し、楊俊は同行者を連れて山間部の集落付近に避難。この時に同道した人たちは百世帯余りに達し、彼らと助け合いながら険しい道を超えていったのです。

 

 

こうして疎開先に着いた楊俊でしたが、彼にとって財貨の有無はどうでもいい話だったらしく、身分や家柄問わず多くの人たちと交際。果ては貧困層の救済や、奴隷にされていた親族や旧友を買い戻すようなことも行ったとされています。

 

 

 

また、こういった生活の中で、ひょんなことから名門一族の長男である司馬朗(シバロウ)とも知り合いにあり、その弟の司馬懿や従弟の司馬芝(シバシ)とも顔を合わせることになりました。

 

この時も楊俊は彼らの才覚を感じ取り、高く評価。

 

 

まだ年若い司馬懿に対しては「普通の人間ではない」、名声皆無の司馬芝には「早熟という意味では司馬朗に劣るが実質は上」と評価し、後々この評価が的中することになります。

 

 

さらには孤児からそのまま奴隷になった王象(オウショウ)なる人物を高く評価。勝手に本を読んでは鞭でしばき回されていたのを見て見どころを感じ、なんと赤の他人であるはずの彼を自分のポケットマネーで買い戻し、さらに嫁と家まで与えて去っていったのでした。

 

 

 

 

暗雲、そして……

 

 

 

後に楊俊は、梁習(リョウシュウ)の推挙によって曲梁(キョクリョウ)の県長に就任。

 

その後曹操の属官などを経て、南陽(ナンヨウ)太守に転任します。学校を立てて学問を奨励し道徳の教化に腐心したため、非常に高く評価され、後に魏が建国すると、中尉(チュウイ:首都近辺の警護)にまで昇進しました。

 

 

しかしここまできて、楊俊の運勢に陰りが見え始めます。

 

 

この時曹操の勢力下では、曹丕と曹植の間で後継者争いが勃発。楊俊は公共の場で意見が求められたとき、双方の美徳を説きながらも「曹植様の方が優れておいでです」と、まるで曹植を推すかのような発言をしていました。

 

が、この後継者争いは、結局曹丕が皇太子に任命されたことで終了。

 

さらに折が悪いことに、建安24年(219)、魏諷(ギフウ)が魏王国の都となっていた鄴(ギョウ)で反乱を計画していたことが明らかになり、関係者ともども誅殺。これを阻止できなかった楊俊は責任問題を問われ、そのまま左遷されることとなったのです。

 

 

しかもこの左遷に先んじて曹丕に手紙で別れを告げると、彼からは「随分気高い事だな」と嫌味を言われる始末。

 

 

楊俊は曹丕により魏帝国が建立されると、かつて助けた王象の推挙で朝廷に戻るチャンスを手に入れるのですが……魏帝の曹丕は楊俊の復職を快く思っていなかったようです。

 

王象推挙に前後して楊俊は南陽太守となっていたのですが……南陽の一都市である宛(エン)に曹丕が立ち寄った時、なんと曹丕が大激怒。

 

 

「市場がまるで繁盛していないではないか!」

 

 

曹丕は、はじめから曹植派であった楊俊を赦すつもりはなかったのです。

 

結局、楊俊はそのまま逮捕。司馬懿や王象らかつての友人たちは、こぞって楊俊の赦免を曹丕に願い出ましたが……結局楊俊は「己の罪はわきまえております」と述べると、そのまま自害。

 

世の人々は「冤罪だ!」とその死を悲しんだとされています。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

人物像

 

 

 

さて、人を見る目を持ちながら、最期に外道王子曹丕の事を見誤った楊俊。魏諷の件と含めて、才覚を見る目はあっても本心や本質を見る事は出来なかったのかもしれませんね。

 

そんな楊俊をして、陳寿は以下のように評しています。

 

 

人間関係を大事にして道義を行った。

 

 

豪族とのつながりなどを重視する後漢末の人事に対し、楊俊は貧富をまるで気にせず、才ある者をただ世に出すことを重要視していたようですね。これは曹丕の次代から始まる人事的な考課ともつながる所があるはずですが……やはり曹植派というのが大きかったという事でしょうか。

 

 

楊俊は深く曹植に肩入れしたわけではありませんが、それでも曹植派として数えられる発言をしてしまったことに変わりはありません。

 

こういった後継者争いは基本的に名士同士の派閥争いの側面も兼ねており、敵対派閥が少しでも残っていると、そういった人物が祭り上げられてまた派閥対立が起きてしまうケースも歴史上にはあります。

 

そういった意味でも、楊俊の存在は曹丕派の名士たちには邪魔だったのかもしれませんね。

 

 

司馬懿や王象といった曹丕派の面々が助命歎願している辺り、必ずしも曹植派を危険人物として見たというだけではないようで、やはり彼の死も曹丕の外道エピソードのひとつとして彩られるのは間違いとは言い切れません。

 

彼もまた、優れた人物でありながら後継者争いの闇に呑まれて消えた、そんな人物の一人なのでしょう。

 

 

メイン参考文献:ちくま文庫 三国志:4巻

 

正史 三国志〈4〉魏書 4 (ちくま学芸文庫)

新品価格
¥1,620から
(2018/9/27 12:58時点)

このエントリーをはてなブックマークに追加

関連ページ

曹操
三国志の主人公と言えば、一般的には劉備が思い浮かばれるかもしれませんが、正史基準に考えてマジで答えを出すなら、この人こそ主人公にふさわしいと言えるでしょう。
曹丕
魏の初代皇帝は実はこの人。悪ふざけが過ぎたりする辺りやはり曹操の子ですが、こちらはおふざけの質が心理攻撃に偏っているためドS王子と呼ばれることに……
曹叡
別名・土木の鬼。宮殿を大量に増設して国の財政を傾けた暗君みたいに言われることもありますが、それは貧民層に仕事を与えて救うための政策という説も……
卞氏(武宣皇后)
貴賤でいえば「賤」に属する身分の人でしたが……曹操は才女を見つけるとそんなものお構いなしにかっさらうのです。実際、よくできた人だったんだなと。
曹彰
本当はもっと下の方に伝が記載されている人物……。曹操の息子の中で、武勇ひとつのみを、それもかなり色濃く継いだ人物です。
曹昂
死んで孝行息子となった長子。その実力は史書からは計れず未知数……
夏侯惇
魏の重臣筆頭格。曹操軍のメインヒロインです。
韓浩
屯田制で有名な人。他にも何人も携わっていますが、彼ばかりが有名に……
史渙
曹操軍初期の勇将……なんだがどうにも影が薄い……
夏侯淵
別名・白地将軍。これは蔑称だから敬意を表してこう呼んじゃあかんよ。
曹仁
( ゚∀゚)o彡゜てっぺき!てっぺき!!
曹純
曹仁の弟で、曹仁伝のついでに記述あり。 文句なしの名将……のはずなんですが、活躍期間がネック……
曹洪
ドケチでがめつい人。ですが、忠義に厚くここ一番で魅せてくれる頼れる人物です。
曹休
とうとう無双最新作にも出演が決まりましたね。無能脱却なるか?
曹真
ハイパーチートデブ。人知勇すべてを持ち合わせる贅沢ぶりは、まさに将の中の将。 息子が残念なことでも有名です。
曹爽
豚になったさわやかさん
鄧颺
曹爽の取り巻きその1
丁謐
親父はそこそこ面白い人なんだけど、この人は……いや、司馬懿に喧嘩吹っ掛けたんだから大したものか。
畢軌
みんな大好き曹爽軍団の一員だよー
何晏
ヤク中にして仲間を見殺しにしようとする外道、そのくせ文学の才能は随一と言えるほどに突出……なかなか面白な人物です。
李勝
名前通りにはいかなかったよ
桓範
曹爽の取り巻きで唯一まとも・・・と思ったらDVの逸話があったでござる。
夏侯尚
ヤンデレ感漂う曹丕のマブダチ。
夏侯玄
優秀な外戚の人材なんですが……下手に人望があり過ぎても自滅するんだなって……
荀彧
穏やかで頭が良く、漢室への忠誠心の高い宰相…………と思っていたのか。
荀攸
打つ手に失策無し。賈詡と共にそう評されたガチ軍師。この人は戦場で策を練っている方が強く、むしろそういう仕事が専門だったのでしょう。脳筋絶対殺すマン。
賈詡
三国志の最優良軍師の一人。暗黒……?
袁渙
袁紹らと同族、つまり名族!
張範
なんつーかニート。すっげえニート。立派な人ですがニート。
涼茂
暴君相手に啖呵切って諫めた人。でもこの話の信憑性は微妙な物で……
国淵
史書の記述に大穴を開ける正論屋。俺この人好きやww
王脩(王修)
田疇はしばしば胡散臭いと言われますが……この人の忠義が胡散臭いとケチをつける声はまず聞きません。すげぇよ……仕えたのは袁譚なんだぜ。
田疇
ぶっちゃけ独立勢力でしょ、この人。
鮑信
曹操は後漢末の乱世において天下を統一寸前まで平定した英傑。その前半生で彼を評価した人物は数少ないですが、やはり見る人は見ているのです。
鍾繇
鍾会の親父さん……ですが、それ以上のアピールポイントが山ほどあるのに目立たないのが不思議だなと思いました。山椒。
華歆
正史では持ち上げられすぎなくらいの聖人君子、演義ではどうしようもないクズ。落差が激しすぎやしませんかね←
王朗
ただの国賊扱いとか遺憾でござる
程昱
けっこう有名どころですが、やはり知名度はまだ二流。 ガチムチの、気骨あふれるおじいさん。
郭嘉
天才軍師。そこに何らかの間違いがあるわけではありませんが……傅子の誇張表現どうした←
董昭
演義ではベジタリアン。本当この人って暗黒よね。なんだかんだいい人っぽい感じもするけど。
劉曄
こっちはガチな皇族。にもかかわらず人を殺したりアグレッシブ!
蒋済
キレッキレ酔いどれ軍師。この手の策士や謀臣はどうにも情に薄いとか心無いとかそういう印象を受けますが……この人を見ればその先入観も薄れるはず。
劉馥
短歌行で反発して斬られた人物として有名ですが、それは演義のお話。正史だと、「トンデモな能力を持った名政治家」の一人として、ひっそりと歴史に名を馳せてます。
温恢
合肥の緩衝材にしておそらく軍事の専門家。
賈逵
かきふらい
李孚
袁紹軍の文官で、後曹操軍に。こんなマニアックな人物、誰が知ろうってんだよ……
任峻
屯田政策試用の実行者。扱いは武官でいいのかな?
杜畿
激流に身を任せどうかしてしまった結果亡くなった人。つまり死因:溺死。報われねぇ……
倉慈
ネットで検索すると、大抵「掃除」に関するあれこれが出てくるような人。政治家としては、「恐れられながらも敬愛される」という最高の資質を持った辺境伯です。
張遼
魏の中でも最強クラスのレジェンド。
楽進
ちっちゃい突撃大将。最近無双シリーズにも顔を出しましたが、それまではどうにも地味。しかし、魏でも五本指に入る大将とも言われた武将で、その実力は折り紙付きです。なお資料の少なさ……
于禁
スミマセン、擁護のためとはいえ、記述と比べてもいろいろ書きすぎました……
張郃
無双だとなぜか美しい人。武官で食邑4300戸ってすごくね?
徐晃
用意周到な無敗の将軍。この人のやってること、再現しようとすると気が遠くなりそうです。
朱霊
不遇の歴戦武将。徐晃伝に彼の伝が付伝されていますが、載っている事績は失態だけ。活躍はまったく別の人物伝ばかりという。なにこれ、いじめ?
李典
無双では勘の人、三國志シリーズではハイバランスながら凹凸のないフラットな能力。武官だけど学者志向。そんな人。
李通
魏が誇るTHE・勇将の一人。なんか魏って猛将タイプの影薄いよね。
臧覇
どっかで「めっぱ」とか間違って読まれてた人。 まあ、マイナーだから仕方ないね!
孫観
臧覇の部下代表。
文聘
ブンペイペーイ(゚Д゚)
呂虔
これまたマイナーどころ。名太守です。
許褚
ゲームではだいたいほんわか癒し系。
典韋
どのゲームでも人情派の荒くれとして出るゲームですが、実際の出自もそんな感じだったとか……。なおスキンヘッドだったかどうかは不明。
龐徳
ヘッポコ于禁との対比として祭り上げられる勇将。
王粲
三国志の文学者代表格。前半生がブサメンの悲哀を物語っている……
桓階
正義のためなら伝統も破る。不義理のイメージをとことんぶち壊す帝王擁立論者です。
陳羣
謹厳実直なエリート官僚ですが、九品中正法や曹操への物騒な提案などから、腹黒な食わせ物の可能性が……
趙儼
まったくと言っていいほど目立たないものの、曹操軍の影の柱石と言ってもいい大人物。
孫礼
猛獣狩りと孤軍奮闘に定評のある人物。というか孤立無援の中戦うとか虎を徒歩で追い払おうとするとか、本当何なんこの人。
満寵
誰かがこの名前をオンラインゲームで名乗っていた時、三国志ファンを名乗る腐女子から「卑猥な名前をつけるな」と怒られたことがあるらしい。なぜだ。
田豫(田予)
北方にて異民族と戦い続けた定住型傑物。陳寿も 「あの程度で終わる人間じゃないだろ」と述べていますが……
牽招
田豫に次ぐ北方エキスパート。この人も地味に劉備と関係持ちなのね……。というか、この人も大概モーヲタなのが面白いです。
郭淮
魏軍きってのピンチヒッター。しかし病気には弱いようで、大事な局面で二度も……
徐邈
酒、聖人、酒ェ!!
王淩
言う事聞かない人。後戻りできず専横路線に乗り切った司馬懿に対し、齢80で喧嘩を吹っ掛けるという剛毅なお方です。
毌丘倹
連鎖反応に巻き込まれての反逆、処刑。おまけに名前が覚えにくいから覚えても貰えない。何とも不遇な……
鄧艾
吃音で有名ですが、たぶんアスペルガーも併発してたんじゃないかな?
薛悌
誰この人と思って調べたら普通に傑物だったでござる
閻行
人物伝第一号がまさかの超マイナー武将。 「こいつ誰だよ」って人も多いでしょうが、実はとある有名武将を一方的に叩きのめしたことも……
殷署
微妙に強そうな人……だし実際に大物くさいが、記述は……うん。
棗祗
屯田は大反対の嵐で曹操自身も難色を示したのですが、一部部下が強固に主張したので結局実行、思いがけない成果を上げました。棗祗は、特に強固に主張した人物ですね。
高祚・解𢢼
正直、ただの一発屋。人物伝の主役に取り上げるのも同化という人物ですが、面白いのでやります。
師纂
彼が悪なのか鄧艾が悪なのか……

ホーム サイトマップ
お問い合わせ