涼茂 伯方


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涼茂 伯方

 

 

生没年:?~?

 

所属:魏

 

生まれ:兗州山陽郡昌邑県

 

涼茂

 

涼茂(リョウモ/リョウボウ)、字は伯方(ハクホウ)。間違ってもハカタではない

 

この人物は略歴も簡単に流れるだけ、素性も人物像も不明と謎の多い人物です。しかし、暴君タイプにもしっかり直言し、しかも気に入られるところを見る辺り、間違いなく優れた人物……のはず。

 

 

というわけで今回は涼茂伝。見ていきましょう。

 

 

 

 

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暴君すらも認めさせる知識人

 

 

涼茂は若い頃から学問が好きで、議論の際には古書を持ち出し、それを元に価値判断をするなど、儒教らしい古風な人物だったようです。

 

 

そんな評判を聞いた曹操(ソウソウ)は、ある時涼茂を招聘。司空掾(シクウノエン:土木治水などの民事を司る官僚部署の役人)となり、非常に優秀な成績を上げたため侍御史(ジギョシ:官僚内部の監察官)として取り立てられることになりました。

 

 

その後、涼茂は泰山(タイザン)郡の太守としてその地に赴任。当時泰山は大勢の盗賊や山賊でひしめく無法地帯でしたが、涼茂が赴任すると、その様子は激変。一年足らずの間に、幼子を連れた母親が千以上も泰山を目指してやってくるほどの安全地帯へと早変わりしていたのです。

 

 

 

その後、現在の朝鮮半島北部にある楽浪(ラクロウ)の土地の太守として北に渡ることになりましたが、その途上、遼東半島に一大勢力を築いて一応は曹操に従属していた公孫度(コウソンド)という人物に呼び止められてしまいます。

 

公孫度は遼東の名家を次々潰して自分に権力を集め「遼東王」を自称する集権国家の長で、実は裏で曹操に反攻しようと考えていたのです。

 

 

涼茂も公孫度により無理矢理配下に加えられる形になりましたが……涼茂はそんな公孫度に媚びる姿勢は見せなかったのです。

 

 

 

ある時、そんな公孫度が「曹操は遠征に出て、その遠征軍本拠地である鄴(ギョウ)は兵数が少ない。これこそ攻め込む好機だ」と述べ、曹操への叛逆を明確に示唆する発言をしました。

 

そんな公孫度に、重臣たちは「おっしゃる通りです!」とゴマをすり、野心家である公孫度に逆らおうとしませんでした。

 

 

しかし、公孫度は涼茂に対し意見を聞くと……涼茂はこの実質的に独立国家の王である公孫度に、真っ向から反論したのです。

 

曰く、

 

曹操様は天下の動乱を憂い、兵を挙げて戦っておられます。それが実り、今ようやく情勢は落ち着いてきたところなのです。世を乱さぬため、曹操様は公孫度将軍の行動に目をつむっておられますが、その上でもし直接刃を向けたとあれば……結果は夜が明ける前にでも出ることでしょう」

 

 

 

涼茂の真っ向からの反論に、震えおののく家臣団。しかし公孫度はしばらく押し黙ると、「その言はごもっともだ」と納得し、結局曹操との戦いは取りやめたのです。

 

 

 

その後涼茂は朝廷からの招きで曹操の影響下に帰還し、魏郡太守、甘陵国相(甘陵国の大臣)などを歴任。

 

曹操の息子の曹丕(ソウヒ)が五官中郎将(ゴカンチュウロウショウ:近衛隊指揮官)に任命されると長史(チョウシ)、その後左軍師(サグンシ)となって曹丕を支えます。

 

 

さらには魏国が建立されると尚書僕射(ショウショボクヤ:勅使を司る省の次官)に昇進し、その後は中尉(チュウイ:国防省の次官のような立場)と奉常(ホウジョウ:儀礼、儀式を司る高級官僚。太常とも)を兼任することになりました。

 

 

その後何かの功績を残した記述はありませんが、在官中にそのまま亡くなったそうです。

 

 

 

 

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本当に公孫度との話はあったの?

 

 

 

さて、涼茂の記述の中で目玉となる部分は、やはり公孫度を諫めた点に限るでしょう。

 

 

しかし、この逸話……どうにも嘘くさい

 

 

 

骨組みだけだった正史三国志に様々な逸話を継ぎ足した裴松之も、「曹操が鄴を落とした年に公孫度は亡くなっている。遠征はそこから年をまたぐことにないるため整合性がない」と指摘しています。

 

 

こういう事もあり、彼の息子の公孫康(コウソンコウ)との逸話というのが正解なのではないかとも指摘する説はありますが……結局のところ、現存する史書ではどうとも言えないのが現状。

 

 

結局、この逸話の出所はどこなんでしょうか?

 

 

 

ともあれ、その政治手腕は微妙としか言いようがない史書からでもきちんと伝わる辺り、やはり文官としての力量は本物と見るべきでしょう。

 

さらには気難しいとされる曹丕とも仲良くやっており、曹丕が帝位に就く前には政治の補助指導の役目も負っていましたし、『英雄記』では曹丕の八人の友人の一人に数えられています。

 

こういうタイプの人物と仲良くできる辺り、人格面も相当優れていたのではないでしょうか。

 

 

 

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