夏侯玄 太初
生没年:建安14年(209)~嘉平6年(254)
所属:魏
生まれ:豫州沛国譙県
夏侯玄(カコウゲン)、字は太初(タイショ:泰初とも)。魏の重鎮ながら立場よりも愛を選んだために不幸を呼んだ夏侯尚(カコウショウ)の息子にして、彼もまた大罪人として処刑された人物ですね。
こう聞くとどうにもダメ人間の匂いしかしませんが……実はそうでもない。というより、正直優れた人物と言って差し支えないです。
さて、そんな立ち位置と中身が矛盾した夏侯玄の伝を、今回はおっていきましょう。
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絵に描いた餅?
夏侯玄は若い頃から有能であると周囲から高く評価され、わずか20歳で散騎黄門侍郎(サンキコウモンジロウ:散騎侍郎と黄門侍郎の兼任。どっちも尚書や奏事の処理担当)に就任し、周囲を嘱望されていました。
しかし、明帝・曹叡(ソウエイ)は彼のことをイマイチ信用せず、羽林監(ウリンカン:近衛兵の部隊指揮官)に左遷。ほとんど日の目を見せなかったのです。
というのも、その理由は2つ。まず、夏侯玄は皇后の弟と席を共にした時、これを恥辱として不快感をあらわにしたのです。義弟を恥とされれば、嫌な顔をするのが人というもの。これを根に持って失脚させたというのが、史書に描かれている理由ですね。
そしてもう一つは、夏侯玄ら名士層はお互いを評価し合い名声を総なめするような動きを見せていたのが原因。曹叡は「名声だけで中身の無い奴は嫌いだ」とし、この動きに同調していた名士層を徹底弾圧。
夏侯玄もそのあおりを受けて失脚した、というのも理由の一つとされています。
とにかく、こうして明帝時代には名ばかりの仕事に就けられていた夏侯玄でしたが……正始年間、母方の甥に当たる曹爽(ソウソウ)が実権を握ると、夏侯玄もようやく日の目を見る瞬間が訪れたのです。
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絶頂と暗雲
曹爽の影響力で権勢を取り戻した夏侯玄は最終的に散騎常侍(サンキジョウジ:皇帝の命令伝達役)と中護軍(チュウゴグン:護軍は諸軍団の折衝監督役)にまで昇進。
後に司馬懿(シバイ)から現在の政治問題に対して解決案を求めると、それに対して自分なりの答えを提示しています。
「九品中正制によって上下権限がごちゃ混ぜになって、政治に混乱が見られます。おおよその標準を立てて官人権力を制定し、地方も官爵を減らして支配を簡潔化しするのがよろしいでしょう。権威の象徴にもなる服装に関しても、今一度ご検討を」
誇張無しで9割9分くらい削って簡略化しましたが……おおよそ訴えかけた内容はこんな感じ。
しかし、司馬懿は「すべて結構な意見である」としたうえで、「恐らく、飛び抜けて有能な者でなければそれは成し得ないだろう」と夏侯玄の案を棄却したのです。
司馬懿のこの対応に対して、夏侯玄は「心中納得できません」と返信。これは大きな亀裂にこそなりませんでしたが、後々引き起こされる悲劇の予兆にも見られます。
そんなことがあって正始5年(244)、実績の乏しさを危惧した曹爽は、自身の功績を打ち立てるために蜀討伐の軍を発足。夏侯玄も征西将軍(セイセイショウグン)、そして雍涼2州の軍事都督となり、この戦いに参加。
しかし蜀軍の抵抗は激しく、補給もままならないままに戦果が上がらず、そのまま敗北して曹爽派閥の名声を失墜させてしまったのです。
こうして反曹爽の動きが高まる中、正始10年(249)、ついに司馬懿がクーデターを起こし、曹爽一派を失脚、まとめて処刑してしまったのです。
夏侯玄はその後も大鴻臚(ダイコウロ:諸侯や味方する異民族の官吏統制)、その数年後には太常(タイジョウ:儀礼や祭祀、帝の行事予定を管理する)に昇進していくなど、扱いは悪い物ではありませんでした。
しかし、それはどうにも表面上のものらしく、やはり曹爽一派と友好的という事実がある以上、大いに警戒抑制されており、内心では不満がくすぶっていたのです。
その名声が仇に
……と、こんな感じで最終的に微妙な立ち位置に置かれた夏侯玄でしたが、そんな彼の名声は天下にとどろいており、それが最期には、逆に彼にとどめを刺す結果に終わることになります。
なんと、夏侯玄のことを慕っていた人物が彼にトップに立ってほしいと願い、水面下で司馬一族に対するクーデターを企んでいたのです。
この一連の事件は水面下で様々な人物を巻き込んで侵攻していましたが、やがて司馬懿の後を継いでいた司馬師(シバシ)に発覚。やがて主犯者らと共に、神輿に据えられていた夏侯玄までもが逮捕されてしまいました。
こうして、取り調べの末に死刑が確定。取り調べ担当であった鍾毓(ショウイク)に涙ながらに供述書を突き出されたときも黙ってうなずくだけで、処刑当日も顔色一つ変えず自然にふるまって見せたと史書には書かれています。
自身の高すぎる名声が我が身を滅ぼすのを、心の奥底でわかっていたのかもしれませんね。
『魏氏春秋』では、司馬師の弟である司馬昭(シバショウ)が彼の助命嘆願を行ったところ、「夏侯玄の名声のすごさを見ただろう! 生かしておけば、また似たようなことが起こる!」と叱責を受けたとあります。
重臣である趙儼(チョウゲン)の葬式では数百人が夏侯玄に挨拶に行っており、司馬一族からしても生きているだけで似たようなことが何度も起こる脅威だったのかもしれませんね。
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人物評
夏侯尚伝の付録という形での伝記ですが、この伝はどちらかというと夏侯玄がメインなのかもしれませんね。それだけに、陳寿からの評はしっかりと残されています。
厳格で度量が大きく、その名は世間で大きくたたえられていた。
しかし、曹爽とつるんでいながら、彼の悪事を諫めたり優れた人物を招いたりといった話はまるで聞かない。
この点を顧みるに、悲劇の最期をどうして避けられただろうか。
つまり、その人物や事績は問題なし。しかし曹爽一派と深く関わり、彼らの好き勝手を止めようとした形跡も賢者を登用した形跡も無しと。この点を上げて、最後に処刑されたのは必然である、と締めくくっています。
また、面白いところでは同じく後期の魏を代表する能臣・傅嘏(フカ)からは他の曹爽派ともども嫌われて原則深入りされなかったと言われています。
傅嘏の交友関係は正直な人が多かったなどとも言われており、もしかしたら外面や体裁を気にしすぎる風があった……のかも?
ちなみに『世語』では陳寿に否定された人を見る目を存分に発揮して数多の俊英豪傑を自身の部下に付け政治も後世の手本になったと言われています。
また、『魏略』では友人の司馬懿の死に際して許允(キョイン)が安心する横で恩義から自分を生かしてくれた司馬懿の死により拠り所がなくなったことを心配したりと、周辺史書ではなかなかいい扱いを受けていますね。
面白いものでは、危険を感じて蜀への寝返りを決めた夏侯覇(カコウハ)から声をかけられたものの断ったり、というものも。(これは先を見る目の無さともとれるか……)
演義においても司馬一族を苦しめる正義の人といった書かれ方がなされており、特に魏や晋のアンチ的立ち位置の人からははかなく散った救世主に見える……のかもしれません。
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