孟獲
生没年:?~?
所属:蜀……?
生まれ:益州建寧郡滇池県?
孟獲(モウカク)。言わずと知れた南蛮の長であり偉大なる大王……と言いたいところですが、それは三国志演義での話。実際のところは有力土豪の一人といったところで、王というほど位が高いでもなく、そもそも異民族の統括者ではありません。
ただし、辺境の有力豪族として漢民族、南蛮の異民族双方に太いパイプを持っており、蜀の南の辺境において並外れた人望と名声を持ち合わせた人物でした。
正史三国志の本文に姿が見えないため、架空人物との説も有力ではないものの存在しますが……今回はそんな孟獲の事績を追ってみましょう。
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辺境の大物
三国志の時代に限らず、中国史は常に異民族との闘いの日々。近年でもチベットやウイグルといった種族に対する中華民族の弾圧は続いており、そういう意味ではまだ異民族との抗争の歴史は終わっていないと言えるかもしれません。
そんなわけで異民族を懐柔したり滅ぼしたり、逆に滅ぼされたりの中国史ですが、その中でもうまく異民族と交易したり、服従させたりした人物や家も複数あります。
例えば烏丸はじめ北方民族とよしみを結んだ袁紹(エンショウ)や遼東公孫氏、西の羌族との混血となった董卓(トウタク)や馬一門だったりがこれに当たりますね。
言ってしまえば、孟獲もおおよそこういった人たちに近いような立ち位置。一説によれば、現在のタイ民族との混血とも言われており、南蛮の異民族と深いつながりがあった、南中の名士です。
正史三国志の本文にはその名前はありませんが、裴松之による注釈としてつけられた資料のうち『漢晋春秋』や『襄陽記』、そして三国志以外にも、各県の有力者について述べた風俗史である『華陽国志』にその名前が出ています。
さて、孟獲らの名前が出てきたのは、劉備(リュウビ)が夷陵の大敗北の末に亡くなった後、建興元年の事。
この年よりしばらく、南方の辺境では騒乱が頻発。蜀の行く末に不安を持った土豪たちが、次から次へと呉に鞍替えしようと反乱を引き起こしたのです。
この時、反乱に一枚噛んでいたのが孟獲でした。彼は反乱首謀者である雍闓(ヨウガイ)に同調。上手く味方を集められなかった雍闓の代わりに、周辺の異民族に呼び掛けて次々と反乱を決起させていきました。
「蜀のお上が、かなりの無茶ぶりを振っかけてきたらしいぜ」
孟獲のそんな流言に対し、日和見をしていた部族の多くが動揺。孟獲自身の人望もあって、人は次々と雍闓に同調していったと言われています。
こうして徐々に大きくなっていった反乱軍は、いつもお世話になっております。いよいよ国内の大問題へと発展。滅亡寸前となった蜀再興の手札である南蛮との交易すら封じられたことにより、ついに諸葛亮(ショカツリョウ)率いる討伐隊が派遣されるようになったのです。
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反乱の末に
満を持して討伐軍と戦うことになった反乱軍でしたが、意外なまでの蜀軍の強さに苦戦。形勢不利に傾きつつあることからやがて軍中にも諍いが発生。雍闓は、なんとやる気満々で反乱した仲間である高定(コウテイ)の部下に殺害されてしまいます。
孟獲はそれでもなお蜀軍に抵抗しますが、諸葛亮の軍勢に対して連戦連敗。ついに蜀に服従を誓ったとされています。
この時、やる気満々で危険因子として浮き彫りになっていた高定や朱褒(シュホウ)といった人物らは皆排斥されましたが、孟獲ら危険の少ないと判断された者らは皆許され、孟獲を含め特に有能な人材は官吏へと登用されました。
諸葛亮はその後、反乱の起きた地域の土豪の中から特に有力な者らを土地の指導者と定め、彼らを南中の支配者として任用することにしたのです。
この戦いの過程に関しては、諸葛亮伝の注釈にある『漢晋春秋』に詳しく載っています。
諸葛亮は反乱鎮圧を順調に進めていく中、地元民だけでなく南蛮の異民族にも声望のある孟獲の存在に注目。彼に懸賞金をかけ、「必ず生け捕りにして連れてくるように」と軍中にお触れを出しました。
かくして、諸葛亮と決戦して捕らえられた孟獲は、諸葛亮の勧めにより軍中を見回すと、「敗因は情報不足。軍中の様子が分かった以上、次は負けん」と言い放ち、釈放されると再び諸葛亮と決戦。
結局その後も孟獲は敗北して捕縛されてを繰り返し、延べ七回目。反乱を起こした南中の郡をすべて平定し、滇池(テンチ)県に到達した時、ついに孟獲は観念し敗北を認めました。
孟獲は元の領地をそのまま任され、かくして南中の騒乱は終わりを迎えたのです。
また、諸葛亮は後にこのように述べています。
「我が軍には辺境に兵を多く置くほどの余裕がないから、反発の少ない方法を採るのがもっともよい。今回の行動や戦争による被害を見ても、やはり余所者を恨む声もあるだろう。」
さて、こうして官吏に登用された孟獲でしたが、最終的には御史中丞(ギョシチュウジョウ:官吏不正の取締役)にまで上り詰め、蜀国内でもかなりの高位に上り詰めたようです。
メディアでの「南蛮王!」なイメージから豪快な猛者をイメージしがちですが、どうやら正史の孟獲はインテリな名士のひとりだったようですね。
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