楊儀


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楊儀 威公

 

 

 

生没年:?~ 建興13(235)年

 

所属:蜀

 

生まれ:荊州襄陽郡

 

楊儀 蜀 諸葛亮 魏延 費禕 小物 でも有能

 

楊儀(ヨウギ)。字は威公(イコウ)。はい、諡号でなく字です。

 

その能力はともかくと性格はとんでもなく残念な人として史書に名を残し、今なお忌み嫌われるというちょっとかわいそうな人物。何も楊儀が全部悪いわけではありませんが、最期にやらかすとこうなってしまうのですね……

 

 

さて、そんな残念人物、楊儀の伝を、今回は語っていきます。

 

 

 

 

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ひたすら残念なハイパー能吏

 

 

この人は元々は地元の高官でしたが、上司を裏切って関羽(カンウ)の元に投降、そして劉備(リュウビ)の元へと送られたという経歴をたどって、晴れて蜀の臣下となります。

 

この時楊儀は、劉備と政治の得失うんぬんについて語り合ったのですが……劉備は彼をいたく気に入り、そのまま官職に任じたのでした。

 

 

これを見るに、滑り出しは順調だったようですね。ひん曲がった性格ばかりが取り沙汰されていますが、少なくとも劉備には扱える人物だったようですね。

 

とはいえ、この頃からすでに、性格に難があったらしく……直属の上司とは馬が合わず、遠方に左遷された経歴も残っています。

 

 

 

さて、そうこうして劉備が死去した後、今度はその幕僚として実質蜀の国を取り仕切っていた宰相・諸葛亮(ショカツリョウ)に目をつけられると、一度下がっていた楊儀の運勢はまたしてもうなぎ上りとなります。

 

元々実務能力に優れていた楊儀は、その才能を以て戦争の前準備や経理の仕事を次々と片付け、才能を認められて諸葛亮側近の筆頭格に数えられるようになりました。

 

 

この時の楊儀に関する、正史三国志の記述がこちら。

 

楊儀は常に計画を立てて、部隊編成や兵糧の計算をしたが、考えあぐねて仕事が詰まることがなく、短時間で処理をし終わった。軍事上の必要品も、楊儀が担当することが多かった。

 

 

この一文から出る、超有能な官吏の匂い! むしろこの一文しか能力に関する話はないけど!

 

こんな感じに素晴らしい能力の持ち主だったため、楊儀は諸葛亮からも重宝され、その才能は、常に不利な状況で戦う蜀にとってなくてはならない存在だったのです。

 

 

 

 

その性格が落ち目に……

 

 

 

さて、楊儀の有能さについてはさっきから語っていた通り。

 

ここからは問題の性格についての話を、この後の顛末とともにお話します。

 

 

問題の性格についての言及を、正史には一文字で、わかりやすく記載されています。

 

狷介偏狭(ケンカイヘンキョウ)

 

 

要するに、無愛想で性格が悪く、狭量で視野が狭い。

 

うん、たった一言でその性悪さが表現されていますね。

 

 

ちなみにこの性格のせいで、とうの諸葛亮には後継者候補から除外されています。

 

 

で、その性格の悪さですが……上司である諸葛亮の死後の逸話に、嫌というほど記されています。

 

 

楊儀と同じく諸葛亮から信頼されていた人に、魏延(ギエン)という猛将がいました。

 

彼と楊儀は非常に折り合いが悪かったのですが……諸葛亮が亡くなった直後に、陣中で敵を前にして本格対立。自分の意のままにならないことを嫌う者同士、お互いを反逆者として告訴し、「お前らそんなことしてる場合か」と言いたくなるような泥沼の争いに発展していきます。

 

この時蜀の朝廷が肩を持ったのは、文官肌である分まだ危険の少ない楊儀。どちらも諸葛亮無くして扱える人物でもなかったため、どちらかを処分する必要があったわけですね。

 

 

結局楊儀は暴走した魏延を討ち取ると、世の首を踏みつけながら

 

「もう一回くだらねえことがやれるんなら、今ここでやってみろ! この馬鹿が!!」

 

と、まあ怨敵の死体を前に大興奮。さらには、魏延を誅殺した功績を鼻にかけて増長し、いよいよ態度が大きくなっていく始末だったとか。

 

 

こうしてついには蜀の重鎮になることが確定であると思い込み、

 

「ここまで頑張ってきた俺様が蜀の実権を握るのは当然だぜ!」

 

とまあこんな感じ。途中で占いをしたら「家人(家庭内の役割)」という、大役とは程遠い結果が出てイラついた様子になったとか何とか。

 

 

ともかく、そんな感じに、これからの花道に浮かれ、ルンルン気分の楊儀でしたが、帰ってきた時に改めて任命された職は、まさかの閑職。

 

ま さ か の 閑 職

 

名前だけで何もすることのない、しょーもない役職でした。つまり、扱いきれず完全に干されてしまったわけですね。

 

 

さらには、本来自分が座るはずだった席に着いたのは元部下の蒋琬(ショウエン)。楊儀的には、蒋琬は自分と比べると取るに足らない小物(だと思いこんでいた)。

 

この抜擢により、楊儀は不満と愚痴と怨嗟の化身となり果てたとか何とか。

 

 

 

 

 

 

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偏狭の者獄中に死す

 

 

 

プライドが完全にへし折られて挫折を味わった楊儀は、人を寄せ付けないくらいに空気の読めない発言を繰り返し、不遜な態度を取りまくって……まあ早い話が完全に腐れてしまったわけですが、同じく蜀の重臣である費禕(ヒイ)という人物だけは、彼を慰めに来たそうな。

 

 

さて、ここで費禕に対して親近感や友情の一つも覚えればいい話で終わったものの、そうは終わらせないのが楊儀という人物。

 

楊儀が費禕に対してぶつけた言葉は、感謝でも愚痴でもなく、ただただ溜まった恨みつらみの言葉ばかりでした。さらに最後には「こんなことなら、敵に寝返っておけばよかった」とトドメの一言。

 

 

これにはさすがに思うところがあったのかはたまた魏延を消して用済みになった容疑を始末するつもりだったのか、費禕はすかさず上層部に密告。

 

このせいで楊儀は庶民に落とされてしまったわけですが……

 

ここでも楊儀は反省せず、他人の誹謗中傷を書きまくった文書を上層部に送り付けて利権回復を図るという、突き抜けて逆にすっきりすることをやらかしたため、今度は逮捕。結局、獄中ですべてに絶望し自殺したのでした。

 

 

ちなみに兄は17歳で亡くなったそうですが、最低野郎な彼とは真逆のハイパー善人だったそうな。そんな兄を持ちながら、どうしてここまでプライドの塊になったのか。その真相がちょっと気になる昨今であります。

 

 

 

 

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