このエントリーをはてなブックマークに追加

句扶 孝興

 

 

 

生没年:?~?

 

所属:蜀

 

生まれ:益州巴西郡漢昌県

 

 

 

 

句扶(コウフ)、字は孝興(コウキョウ)……とかいうガチで影が薄い人が、蜀にはいます。

 

史書に活躍の記述は無し。ただ王平伝についでとして付伝され、ザックリとした概要だけが書かれた事績不明の猛将の一人ですね。にもかかわらず、この妙な影の薄さはどうしたものか……

 

 

語ることもほとんどないので、まずはザックリと史書の解説を見てみましょう。

 

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

蜀後期を代表する猛将……だよね?

 

 

 

諸葛亮(ショカツリョウ)の北伐には、相応に粒ぞろいな猛将や名将たちが随行しています。その中でも特に代表的なのが、姜維(キョウイ)、魏延(ギエン)、王平(オウヘイ)辺りでしょうか。

 

で、句扶はその中でも、前線指揮官である王平に次ぐほどの名声、事績を持った人物。

 

 

その人となりは忠義に秀でて武勇に優れ、人柄も寛大だったとか。

 

 

そんな句扶は各地を転戦してたびたび戦功を立て、最終的には左将軍(サショウグン)に昇進、列侯として王平の故郷である宕渠(トウキョ)県に領地を持つほどの大身になったそうです。

 

 

孝興という字は、『華陽国志』に記載があります。という事は、おそらく彼は、地元名士かそこらの出なのでしょう。

 

 

張翼(チョウヨク)と廖化(リョウカ)が大将軍になった時に、人々は以下のように蜀の将を称えたと言われています。

 

「前方に王平と句扶が、後方には張翼や廖化がいる」

 

 

こういった逸話が残っている辺り、間違いなく実績十分の名将のはずなのですが……うーん……

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

結局マジで何した人なん?

 

 

 

蜀は資料の散逸が特に激しかったようで、特に当時は低級民族と名士から見下されていた武官職の記述は驚くほど少ないです。

 

そんな資料散逸で忘れ去られた人物のうち一人が、句扶という人物なわけですね。

 

 

さて、王平の活躍は、蜀でも飛び抜けたもの。諸葛亮の北伐てたびたび戦功を立て、対魏戦線のエースメンバーに入るくらいの活躍をしています。

 

バッサリと抜粋すると、街亭の戦いでは全滅を免れる活躍を示し、第四次北伐では祁山(キザン)にて敵将・張郃(チョウコウ)を撃退。挙句に興勢の役では劣勢の中奮戦し撃退という華々しい活躍を上げていますね。

 

 

そんな王平の次に名前が来るのが句扶という事は、ほぼ間違いなく蜀でもエースクラスの勇将……のはず。

 

 

そんな人物にもかかわらず、資料散逸の中でも蜀の功臣を称える『季漢輔臣賛』の中にもノミネートされていないとは、一体どういうことなのか。

 

個人的には、季漢輔臣賛作者の楊戯(ヨウギ)が北伐大万歳の姜維を徹底的に見下していた辺りにも、あるいは原因があるのではと推測はしますが……さすがに曲がりなりにも蜀の功臣を好き嫌いで選んで除外というのも、なかなか考えつかないもの。

 

 

もっとも、季漢輔臣賛には北伐で活躍した武将やただの武官は名前が上がりにくい傾向があり、いかにも名士の読み物といった感じのもの。

 

もしかしたら楊戯は、好き嫌い以前に「句扶がただの一部将に過ぎないから」という理由で句扶の記述を除外した可能性も否めません。何せ、王平すらも除外されてしまっていますしね。

 

 

……が、『華陽国志』に名が上がるという事は、少なくとも家柄はそれなりといったところ。そこそこの家に生まれた人間ならば、記述があってもいいかもしれませんが……謎は深まるばかり。

 

 

 

 

メイン参考文献:ちくま文庫 正史 三国志 5巻

 

 

正史 三国志〈5〉蜀書 (ちくま学芸文庫)

中古価格
¥500から
(2017/11/12 20:50時点)

 

メイン参考文献:ちくま文庫 正史 三国志 5巻

 

 

正史 三国志〈5〉蜀書 (ちくま学芸文庫)

中古価格
¥500から
(2017/11/12 20:50時点)

このエントリーをはてなブックマークに追加

関連ページ

劉備
我々の間で付いたあだ名は、森の聖者オランウータン。
劉禅
アホの代名詞とも言われる暗君ですが……その信憑性はどこまでのものか……
諸葛亮
「ほかに やることは ないのですか ?」
徐庶
本当は魏所属ですが、列伝の関係上蜀側に記載。
諸葛瞻
諸葛亮の息子にして、蜀の最後の星の一つ。ただし、その星は七色に光る流れ星だったのだ……
関羽
みんな大好き、神にもなった髭野郎。尊敬はされても親しみを持つには恐れ多いように見えますが、彼も人間らしいダメさは持っていた……
張飛
三国志のジャイアンともいえる人。ですが、実際の性格はスネ夫……
馬超
叛逆の貴公子、演義ではいいキャラしてますが、正史ではDQNエピソードを捏造されるくらいにはアレな性格してます。
黄忠
ハイパーおじいちゃんとして有名ですが、実際、彼は本当におじいちゃんだったんでしょうか?
趙雲
別殿にて熱く語られる主人公補正が最大の見所。
龐統
かの諸葛亮と並び称されるほどの天才軍師……のはずなのですが、大した実績もないままに亡くなってしまったため、実際の能力は謎。
法正
法正☆マイフレンド
許靖
有名な人物評論家なのに、これまた随分と苦労人……
麋竺
まさに大地主。そんな人が家を捨ててまでついて行こうと思うあたり、劉備のカリスマっていったい……
孫乾
地味に劉備軍外交官は面白い人が多い。なお記述……
簡雍
地味ながらもいい味出している人。 劉備の最古参の部下の一人です。
伊籍
法律を作った政治家の一人。外交も十分に行けるのですが、記述の少なさがすさまじい……
董和
偉大な息子を持ちながらも、本人もとんでもなく偉大だった人。清廉潔白で無欲、理想の政治家の一人ではないでしょうか。
劉巴
あんた実は劉備のこと嫌いだろ。
馬良
「白眉最も良し!」の語源となった人ですね。 しかし活躍期間はそんなに長いわけではなく……
馬謖
登山\(゜ロ\)登山(/ロ゜)/
陳祗
ちょっとレアキャラというかマイナーというか……。ガタガタになった蜀の中で頑張った数少ない人物の一人。が、絡んだ人物がアレなので悪党という声も……
呂乂
清きに魚も住みかねて……か。
劉封
運命は彼を裏切り者以外の何者にもさせなかった……。恨むぜベイベー。
彭羕
有能だったんだろうけど……問題児の書に伝が記されるのも、まあ納得。
廖立
見事な弁才、文才を扱き下ろしに使ったばかりに……
李厳
李厳、李厳、ぼくらの李厳♪九錫王位に野心を込めて遥か世界で戦えますか♪
劉琰
短所しかないゴミとして書き連ねられるくらいなら、闇に埋もれたほうがいい。そんな気持ちを教えてくれる人です。
魏延
反骨の相って後頭部が出っ張ってる事らしいぜ。
楊儀
魏延とはガキの喧嘩じみたいがみ合いをし、増長しまくった結果潰された、ある意味人間味にあふれた迷臣。こういう人、傍から見ると面白いですよね。
霍峻
めっちゃ地味な上に活躍もほとんどないですが、普通に逸材。
向寵
いつの時代にも、評価が高く期待されたのに無念の死を遂げる人物はいるものです……
黄権
夷陵の敗戦によって魏に仕えることになった忠臣。その忠義が買われて蜀の所属として名を広めている人物です。
馬忠(蜀)
中国は華やかな歴史の裏舞台で異民族との折衝や戦争を行う歴史。そんな歴史の裏舞台で地味に欠かせない役割を行う人物は、いつの時代にも存在します。
王平
蜀の名将。特に諸葛亮がいなくなった後の蜀の、数少ない頼れる存在の一人です。オウヘイヘイーイ
張嶷
知ってる人は知ってる名将。死に方が格好いいことで有名。
蒋琬
諸葛亮亡き後、まず最初にバトンが渡ったのがこの人。諸葛亮という巨大すぎる指導者がいなくなった蜀を混乱させずに上手く回していました。
費禕
ひいいいいいいいいいいいいい!!
姜維
ある時は生姜でありある時はキウイフルーツ。頑張ったで賞授賞も夢ではないほどの苦労人ですが、反面他人にも苦労を強いた人物でもあります。
楊戯
姜維を貶したばっかりに……ほら、あの人功名心強いから。
呉壱(呉懿)
蜀軍の主力武将のひとり……のはずなんですが、活躍の記述はほとんどなく、官位と昇進ぶりを他者の伝でたまに見かけるだけの人。
呉班
ご飯。嘘。この人は北伐の際には後将軍になっており、実際に有能な軍人だった……はず。
馬岱
会えてうれしいYO☆ 演義や他のメディアでは大活躍の馬超の従弟ですが、正史での事績はというと……
関平
演義だと強い。でも正史だと……?
厳顔
格好いい老将として知られるが……?
孟達
もはや立伝すら許されないレベルで、裏切り者として定着してしまった人物。しかし、意外にも能動的な裏切りは少なく……
孟獲
南☆蛮☆王 孟獲!等といいつつ、結局この人は南中土豪の中でも特に大物の一人といったところ。
陳到
趙雲と対になってるっても、記述がないんじゃ強いかどうかわかりにくいよね。

ホーム サイトマップ
お問い合わせ