劉琰


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劉琰 威碩

 

 

生没年:?~建興12年(234)

 

所属:蜀

 

生まれ:豫州魯国

 

 

人物伝・蜀書

 

 

 

劉琰(リュウエン)、字を威碩(イセキ)。「誰だこいつ?」と思った方は、間違いなくその疑問は間違ってないです。

 

というのも、この劉琰は本伝こそ立てられているものの、書かれているのは見事に悪評や悪口ばかり。一応多少の才覚についての言及はありますが、挙がっている功績がひとつもないという特異な人です。

 

 

つまり、史書を見る限りでは何一つ役に立たない、単に性格が悪いだけのゴミという評価に落ち着いてしまう人で、そんな人物がまがりなりにも「正義」という体で書かれることの多い蜀で有名になるはずがない。というか黄皓や楊儀魏延あたりでおなかいっぱい

 

 

 

というわけで、この人の業績を上げていくと、どうしても悪口だらけの者になってしまいますが……まあ、とりあえず見ていきましょう。

 

 

 

 

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一応事績

 

 

 

劉琰が劉備に仕えたのは、劉備(リュウビ)が豫洲にいた頃の事でした。

 

劉備から見たら、彼が同姓であること、そして雅な風情で談論が好きという事に惹かれての事だったと言われています。

 

 

 

さて、こうして劉備に仕えることになった劉琰は、以後彼に随行し、順調に昇進。ただし、益州を得るまではあくまで賓客、つまりゲストの立場としての行動だったとか何とか。

 

劉備が豫洲にいたのが190年代後半あたりなので、おおよそ20年ほど……。それだけの期間をゲストという形で随行したわけですね。忠誠心が高いのか低いのか……

 

 

 

さて、何がともあれ、劉備が益州を無事に平定して支配下に加えると、劉琰もいよいよ劉備軍に正式採用。固陵(コリョウ)の太守としてしばらく郡の統括を行い、劉備の在位中はそのまま固陵から動くことはありませんでした。

 

 

 

しかし、劉禅(リュウゼン)が皇帝に即位すると、都郷侯(トキョウコウ)として列侯に加わり、衛尉(エイイ)、中軍師(チュウグンシ)、後将軍(コウショウグン)と交換を歴任し、ついには軍事最高級職である車騎将軍(シャキショウグン)まで上り詰めるほどの大物待遇でした。

 

 

……が、不思議なことに国政には参加せず、千ほどの部下だけを引き連れて批判や建議を繰り返すばかりだったとされています。一応VIPとも言うべき立場にはあったものの、やはりそこまでの人間ではなかった……という事でしょうか?

 

 

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史書に並ぶ小悪党伝説

 

 

さて、史書における劉琰の性格は、まさに小悪党といったところ。

 

彼の事績は上に描いた通りの物がすべてであり、以後は失態やダメ人間としての説明が続きます。

 

 

まず、「馬車も衣類も飲食も、すべてが奢侈」とあり、さらに従える侍女は数十人。皆一様に歌が上手く、「魯霊光殿の賦」なる宮殿の賛美歌を暗唱させたとのこと。

 

 

 

そんな劉琰はある時、将軍である魏延(ギエン)と喧嘩。腹を立てた劉琰はデマカセの言葉を吐き散らし、魏延を中傷するという事件が起きました。

 

それを聞いた諸葛亮(ショカツリョウ)はすぐに劉琰を詰問。諸葛亮から味方されないと知ってか申し訳なさからかは知りませんが、劉琰はすぐに諸葛亮に向けて謝罪の文書を送付しています。

 

「元々酒乱でダメ人間で素行の悪い私ですが、お許しいただけてありがとうございます」

 

とまあ、内容を端折ればこんな感じでしょうか。

 

 

この謝罪文を受け取った諸葛亮は官位も爵位も据え置きのまま元の待遇に置かれましたが、代わりに首都である成都に更迭。任地から引き剥がされ、以後は希望を失ってぼんやり過ごす日が多くなったそうな。

 

 

 

さて、こうして生きる希望を失った劉琰でしたが、さらに追い打ちをかける事件が発生します。

 

彼の妻は美人で有名だったのですが、建興12年(234)に蜀の太后に年賀の挨拶に行ったきり、そのまま引き留められて帰ってこれず、ようやく解放されて退出したのは1ヶ月も後のこと……というちょっとしたアクシデントがあったのです。

 

 

この時の劉琰は、妻の帰りが遅いと大激怒。

 

「蜀帝劉禅と浮気しやがったな!」

 

と、完全に勘違いの末にブチギレ。美人妻だからこそ、他の男がいるに違いないという発想に至ってしまったと言われています。

 

 

まともな精神状態を失った劉琰は、役人を呼んで妻を鞭で百叩きにし、さらに草履で顔を殴りつけて離婚。その後すぐに妻から告訴されて、罪に問われて投獄されてしまったのです。

 

 

この裁判での判決は、死刑。劉琰は悪人としてそのまま市に引き立てられ、そのまま処刑されてしまいました。

 

この何とも救いのない始末……。唯一救いがあるとすれば、劉琰による暴行事件によって、「妻の年賀挨拶での参内禁止」となり、この事件の原因となった風習がスッパリなくなったことでしょうか。

 

 

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小悪党というかなんというか……

 

 

 

 

とまあこんな感じに、本伝では見事に小悪党として書かれている劉琰ですが……よく見るとキャリアは40年近い大ベテランなんですね、この人。

 

 

ともあれ、劉琰が価値のないゴミのように言われる所以は二つ。

 

 

1.魏延との不仲で嘘八百を並べ立てる

 

2.宮中で1ヶ月過ごした妻への暴行事件

 

 

 

先に申し上げますが、どちらも劉琰が一番悪いですよ。目に見える誹謗中傷を叩いたらそりゃあダメですし、妻の言い分を聞かないDV野郎というのも、いくら女性軽視の当時といえどもいささかアレな物です。

 

 

とはいえ、よくよく考えると魏延はかなり我の強い将軍。ヒートアップして言い過ぎるというのも、まあその人の器が出ていますが有り得ない話ではない。

 

そして妻との揉め事に関しても、やはり太后側にも一因はあるわけで……

 

 

 

 

とはいえ、最初に言った通り劉琰の性格に問題があったのは間違いない事実です。

 

これといった功績も見当たりませんし、もしかしたら何かしらの影響力を持っていて、そのために身の丈以上の大身になってしまったある意味悲劇の人……なのかもしれません。

 

 

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