馬良 季常


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馬良 季常

 

 

 

生没年:中平4年~ 建武2(222)年

 

所属:蜀

 

生まれ:荊州襄陽郡宜城県

 

馬良

 

馬良(ばりょう)、字は季常(きじょう)。
白眉の語源にもなった人ですね。

 

若いころから非常に優秀だったらしく、他の四人の兄弟とともに「馬家の五常」と呼ばれ(5人兄弟全員が字に「常」の漢字を持っていたため)、その中でも眉に白い毛が混じっていた馬良は「白眉最も良し」などと言われ、上記の通り諺にもなっています。現代でも……まあ、それなりに使われてますね。本当ですよ?←

 

 

 

 

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諸葛亮の義弟?

 

 

さて、そんな馬良ですが、赤壁の戦いで主に周瑜ら呉将の力で勝利した劉備が、彼の地元である荊州を完全に掌握した時に召し抱えられています。おそらく「優秀な人材である」という噂を聞いての事だと考えられ、ここで馬良の兄たちも一緒に劉備に仕えたのだと思われますが……どうにも彼の兄たちに関しては全く話を聞かない(´・ω・`)
ご存知の方がいらっしゃいましたら、名前が載ってる史書とか教えていただけると幸いです←

 

 

さて、ともあれ劉備に抱え込まれた馬良ですが、劉備が蜀取りに動いた時も弟の馬謖は劉備に従軍しましたが、彼自身は荊州でお留守番していた様子。
劉備が益州を奪ったのは油断させてからの不意打ちのようなものでしたし、関羽をはじめ多くの有名武将は軒並み荊州でお留守番役。ともすれば、馬良も不意打ちを失敗させるだけの評判を得ていた人物だったのかもしれませんね。単純に劉備のお眼鏡にかなわなかっただけかもしれませんが……

 

 

そして劉備がまんまと不意打ちを成功させて難所を攻略した時、馬良は諸葛亮に向けてこんな手紙を書いています。

 

ラク城はすでに陥落したと聞きおよんでおりますが、天が与えてくれた幸いであります。

 

尊兄は機運に応えて世の立て直しに力を貸され、大業の樹立に加わり、国家に光輝をもたらしておられますが、成功の曙光はあらわれています。

 

そもそも、変化に対して必要なのは優れた思慮であり、判断において必要なのは明察を広く働かせることです。才能のある者を選べば、時代の要求に適合するでありましょう。

 

もしも英智をあらわにせず、遠国の日を喜ばせ、天地にまで徳を発揮し、この時代の人々が服従を当然と考え、世間が道理に帰服し、高雅な音を並べて鄭・衛の淫らな音を正し、全ての音がその機能を果たし、他の音を乱すことなく調和を保ったならば、これこそ至高の演奏であり、伯牙・師曠の調べであります。鍾子期ではないものの、拍子を取らないでおれましょうか。

 

 

尊兄。つまりお兄さんという漢字の意味合いですね。これを、諸葛亮に向けて送っているのです。
この事から、実は馬良は諸葛亮と義兄弟であったのではと、昔から推測されています。
が、ゲームでは滅多に描かれない!

 

 

 

白眉の外交手腕

 

 

その後馬良は劉備の元へ呼ばれ、同盟者である孫権の元に使者として挨拶に行くことになります。

 

この時に諸葛亮に「孫権に自分を紹介してほしい」とお願いしますが、諸葛亮は「試しに自分で書いてみたらどう?」と勧めてきました。

 

 

そんなわけで、即座に孫権宛の自己紹介文を書いた馬良。

 

その内容は、だいたい以下の通り。

 

 

この人は立派人で、荊州でも一番の善士です。その場での爆発的な華やかさはありませんが、最後まで持続できる美しさを備えています。

 

 

まず謙虚に下げて、その後に上げる。今現在でも通用する自己PRですね。

 

これを見た孫権は、敬意をもって馬良をもてなしたとされています。

 

さて、そんなこんなで天下の英傑からも認められる才能を持った馬良でしたが、劉備が大敗北を喫したとされる夷陵の戦いに参加しており、その中で戦死。享年は36歳であったとされています。

 

 

白眉の語源にもなった傑物でしたが、相応の功績を立てるより前に、その生涯を閉じたのでした……。歴史にたらればは御法度とは言いますが、彼が生きながらえていたら、案外蜀も少しはマシに動けたのかもしれませんね。

 

 

ちなみに馬良の死がよほどショックだったのか、諸葛亮は彼の弟である馬謖を重宝し、大失敗を犯しています。こう考えると、やっぱり天才軍師も人なんですねえ(*´ω`)

 

 

 

 

メイン参考文献:ちくま文庫 正史 三国志 5巻

 

 

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