楊戯 文然
生没年:?~景耀4年(261)
所属:蜀
生まれ:益州犍為郡武陽県
楊戯(ヨウギ)、字は文然(ブンゼン)。
この人もまた、マイナーな人ではありますが……まあ、独自に伝も立ってるすごい人です。「十人十色」の逸話でも、ちょろっと出てきた人ですね。
とはいえ、もしかしたら彼の著作した蜀の偉人伝『季漢輔臣賛』を題材にすることで、蜀の人たちを賞賛しようとする陳寿の策謀とか何とか言われることもありますが……
さて、では楊戯とはどんな人なのか、見ていきましょう。
面倒事は避ける主義
この人は若いころから評判が高く、かの諸葛孔明にも目を付けられていた人物でした。
蜀に仕えたのは、だいたい20歳ごろ。最初のうちは軍事裁判の仕事をしており、この頃から「公正で納得できる裁判をする人だ」と、その仕事ぶりはかなり評価されていたようです。
やがて中央にも呼び出され、順調に出世。彼にまつわる逸話が多く出てきたのは、諸葛孔明の死後の事。
ある時蒋琬に呼び出されて会議を開いた時も、上司である彼の面目を気にして、反対意見をあえて黙りこくってやり過ごすことで無礼との批難を回避。
しかし、いざ意見を求められると、スラスラと単純明快に、しつこくならないよう答えてみたりと、答弁の力量に特に優れていたように思われます。
どうでもいいことでしょうが……この、「わかりやすく簡単に、かつしつこくならないように」という返答って、けっこう難しいんですよね。たいていの人は話が長くなるか短すぎてよくわからないかのどちらかで、私なんかは回りくどく難しくなりがちです。
この辺り、楊戯の優れたコミュニケーションスキルが伺える話です。
この楊戯、さらには人物眼にも優れていたようです。
というのも、譙周(ショウシュウ)という、当時「大したことないな」と言われていた人物を、彼だけは高く評価したとか。しかも、「俺や今後生まれる俺の子孫以上だな」と、それはもう大絶賛だった様子。
実際、譙周はその後も蜀が降伏と徹底抗戦の二択を迫られた際に、戦う意思を持つ人間の前で堂々と降伏を説いたり、正史三国志の生みの親である陳寿の師匠として有名になったりと、彼の評価の通り、譙周は見事に歴史に名を残したのです。
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一方気に入らない相手には……
とまあこんな感じで、頭が良く気遣いのできる楊戯でしたが、気に入らない相手に対してだけは、その素晴らしい人物という姿は跡形もないくらいに崩れ去った様子、口も態度も悪い影の姿が浮き彫りになるのでした。
さて、その気に入らない相手とは、諸葛孔明の後継者として今なお高い評価を受けている姜維(キョウイ)。
彼を卑しい人間と思ったのかどうなのか……楊戯は酒の席で姜維をちょくちょく馬鹿にして、心底軽蔑したような対応をしたのです。
姜維も表立っては笑って許してはいましたが、内心でははらわたが煮えくり返るような思いだったようで……
結局、キレた姜維の陰謀によって失脚し庶民に落とされ、その後復職はならなかったようです。
陳寿の評では、「怠惰で手抜きすることもあったが、公正な態度を崩さず、プライベートでは義理堅かった」とあり、けっこうな硬骨漢というか、どこか一昔前の、芯の強い昼行燈を彷彿とさせる性格だったのかもしれませんね。
実際のところ……
さて、ここまでつらつらと書いていきましたが……実際のところ、楊戯が立伝されているのは蜀伝の最後。しかもその後に、彼が記した蜀の人物伝、『季漢輔臣賛』という書物に沿って、立伝するほどの資料が現存しなかった人物についての捕捉がなされています。
蜀では特に武官に関する資料の取り寄せに苦労したようで、そういった人物は伝が省かれています。
陳寿はそういった、飼料不足のため伝を立てるに至らなかった人物について記載するために、楊戯伝を立てたのではないかという見方ができますね。
また、一部では、「晋の検閲をうまくスルーして蜀の人物を極力良く書こうと苦慮した結果、季漢輔臣賛の記述という名目で蜀の名臣に賛辞を送った」という意見もあります。
実際、晋は形の上では魏からの引継ぎをした国家。その敵である蜀(と呉)は、どうしても悪く書かなければならない事情があります。
陳寿はそういったやむを得ない事情の中で、祖国をこうして称える最大限の努力を行った、その結果が楊戯伝という伝なのかもしれませんね。
メイン参考文献:ちくま文庫 正史 三国志 5巻
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