陳到 叔至
生没年:?~?
所属:蜀
生まれ:豫州汝南郡
陳到(チントウ)、字は叔至(シュクシ)。蜀の忠臣にしてきっとおそらく名将だろう、みたいな人物です。
蜀の武将には圧倒的記述不足に悩まされて立伝に至らなかった人物が大勢いますが、陳到もそんな中の一人。蜀の臣下をほめちぎった『季漢輔臣賛』では趙雲(チョウウン)とセットで語られるというすさまじい人物なのですが、活躍の記述は皆無というある意味すさまじい人です。
今回はちょっと力を抜いて、陳到について書いていきましょう。記述だけなら、数行で終わります……
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陳到武勇列伝
さてこの陳到、なんと劉備(リュウビ)が豫洲刺史(ヨシュウシシ)の時、つまり公孫瓚(コウソンサン)の元を離れて少しした後に、地元でそのまま仕官した人物です。
つまり、その後呂布(リョフ)の動乱や劉備の叛逆と失敗、客将時代、果ては逃走劇から国盗りと、明らかに臣下の義理を超えるレベルで劉備に付き従った古参中の古参ですね。
そんな陳到の名声は、あの趙雲の次に必ず名前が上がるほど。共に武勇と忠節によって大いに称えられる、劉備軍でもかなり上位に位置する実力の持ち主だったのかもしれません。
しかしその武働きが具体的に史書に載る事はおろか、裴松之の注釈でも語られることはなく、登場したのはわずか1回だけ。
「東方の永安(エイアン)で呉を警戒していた李厳(リゲン)が蜀内部に政庁を移したとき、護軍(ゴグン:軍の監督役)だった陳到がこれに代わって永安の抑えについた」。本当にこの1文だけです。
この事は建興の初年、つまり劉備の死後数年と絶たないうちにあったらしく、陳到は永安の軍事のトップになると、征西将軍(セイセイショウグン)に昇進。列侯の一人として領地と爵位を与えられましたが、その領邑の場所や規模も記されぬままにドロップアウト。
北伐に参加したかどうかも生没年もわからぬまま、陳到に関する事績は以後一切記されていません。
『季漢輔臣伝』においては、一応趙雲と並んで以下のように記されています。
趙雲は重厚、陳到は忠烈。共に当時選りすぐりの精兵を指揮し、猛将として殊勲を上げた。
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何もかもが謎!
蜀将にはいたって普通のよくある事ですが……この陳到、まったくもってすべてが謎です。結局何者なのか、どういう戦い方をしたのか、そもそも槍働きとは何なのか。何もかもがスルーされ、史書では一切の功績が書かれていません。
元々蜀は史書が作られていなかったという話もあり、敗戦国という事もあってもともと少なかった資料がさらに散逸し、結果としてこのようなことになっているのですが……正直、これではどうとも語れないのが現状。
趙雲と並び称されたのは凄い事ですが、具体的にどう凄いのかを語るのは至難の業です。そもそも水増しや虚構が当たり前なのが歴史書なので、本当に趙雲クラスの人物なのかどうかも……
ともあれ、永安で呉軍を抑えるというのは、地味にそれなり以上の将でなければ任せることができないことです。
呉蜀は同盟関係にあるとはいえ、その関係は握手した手にお互い画鋲を仕込むような関係。現にお互いの使者が両国を行き来する際にも、双方お国自慢と相手国や使者のディスりを行う外交合戦が行われる有様でした。
さらにはその数十年後に蜀が滅亡を迎える際、援軍に来たはずの呉軍が蜀の救援を断念、そのまま裏切って永安に攻め寄せたという記載すらあります。
そんな味方と呼ぶにも微妙な相手に睨みを利かせるのだから、まあ雑魚武将では務まらないでしょう。おそらくはそれなりの人物のはずなのですが……
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