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霍峻 仲邈

 

 

 

生没年:?~?

 

所属:蜀

 

生まれ:荊州南郡枝江県

 

 

 

 

霍峻(カクシュン)、字は仲邈(チュウバク)。記述は短く活躍も少ない言ってしまえばモブ同然の人物ですが……その少ない活躍の内容がとんでもないことになっている人物です。

 

コーエーの三國志シリーズでも統率のステータスは高く、11では100中の80という高い評価をたたき出しました。

 

 

まあ伝も息子の霍弋(カクヨク)がメインだったりするわけで、一発屋と言えばそれまでですが……今回は彼の伝を追ってみましょう。

 

 

 

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荊州動乱の末

 

 

 

霍峻には霍篤(カクトク)という兄がいましたが、彼は若くして死亡。霍峻は兄の主君・劉表(リュウヒョウ)によりその後を継ぎ、兄の集めた私兵数百の指揮を執るようになりました。

 

 

建安13年(208)、ついに北を制した曹操(ソウソウ)が南に目を向けると、これまで劉表一強だった荊州が慌ただしくなり始めます。

 

しかも折の悪いことに、劉表は動乱の風が強まりつつある中で死去。後を継いだ劉琮(リュウソウ)は曹操に降伏し、荊州の人たちは曹操に降るか、あるいは客将で反曹操を掲げていた劉備(リュウビ)についていくかで二分してしまったのです。

 

 

霍峻はこの時、劉備についていくことを選択。兄の軍勢を率いて劉備への帰順を表明し、そのまま中郎将(チュウロウショウ:指揮官。将軍のひとつ下の役職)に任じられました。

 

 

その後、霍峻は劉備について行って、益州(エキシュウ)の劉璋(リュウショウ)の元に出立。

 

劉備はこの時、劉璋を裏切ってその領地を丸々手に入れる算段であり、霍峻ら新参の部将を多く連れていくことで劉璋の油断を誘ったのです。

 

 

 

 

葭萌は!私が!守る!

 

 

 

まんまと益州に入り込んだ劉備がいよいよ劉璋に攻撃を加え始めると、霍峻は益州攻略部隊の本拠地である葭萌(カボウ)の守備を任されます。

 

しかし、葭萌はもともと益州北部の張魯(チョウロ)を迎え撃つための前線基地であり、しかもそれを守る兵はわずか数百。当然ながら、劉璋や張魯の魔手が葭萌に迫ってきます。

 

 

まず仕掛けてきたのは張魯。彼は劉備と劉璋が争い始めたのをいいことに、どさくさ紛れに葭萌へと謀略の手を忍ばせます。

 

葭萌にやってきたのは張魯の部将である楊帛(ヨウハク:楊伯のこと?)の軍勢。楊帛は霍峻の味方として、「共に戦うべく援軍にやってきました!」と霍峻軍に合流しようとします。

 

しかし霍峻は、「我が首は取れてもこの葭萌は奪えんぞ!」と一喝。張魯が何を企んで葭萌に来たのかはわかりませんが、楊帛は霍峻のこの一声で退散していったのでした。

 

 

さて、こうして張魯の介入を未然に防いだ霍峻でしたが、今度は劉璋軍が1万余りの大軍で葭萌に接近。未曽有の危機を迎えます。

 

数百対1万という兵力差では勝負にならず、霍峻らはまたたく間に包囲されてしまうのですが、なんと霍峻軍はそんな絶望的状況でも驚異の粘りを見せ、1年余りもの間、葭萌を死守。

 

しかも敵軍の隙を縫って出撃し、敵将である向存(ショウソン)を討ち取って撃退してしまったのです。

 

 

劉備は益州平定を完了した後で霍峻のこの活躍を聞くと大喜び。梓潼(シトウ)という郡を益州北部に設立すると、霍峻をそこの太守(タイシュ)に任命しました。

 

 

 

こうして劉備軍希代の名将としての活躍が期待された霍峻でしたが、梓潼太守を務めること3年、40歳の若さで死去。

 

劉備は霍峻の死を大いに悲しみ、自ら大勢の官吏を連れて葬儀に出席。酹(ライ:酒を地に注いで霊を祭る)なる儀式を催し、そのまま彼の墓で寝泊まりすることで、最大限の哀悼と敬意を表して霍峻を送り出したのでした。

 

 

 

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人物評

 

 

 

歴史上にありがちなただの一発屋でありながら、その一発がとんでもない大きさだった霍峻。数年前までは赤の他人だった劉備がとんでもなく肩入れするあたり、寿命さえ長ければ一発どころかとんでもない大物にまで上り詰める可能性すらあったのではないでしょうか。

 

 

さて、そんな霍峻に対する、陳寿の評がこちら。

 

 

孤立した城を守ってなお動揺することが無かった。記録に値する人物である。

 

 

まあ、葭萌の籠城戦しか書くことがないのは当然ですが……何がともあれ、1万の軍勢を数百でというのは偉業と言う他ありません。

 

もっともおおかた数字は盛っているのでしょうが、それでも数百対数千の戦いとか、そんなところ。どのみちとんでもない話である事には違いありません。

 

 

ちなみに霍峻が亡くなったと聞いたとき、劉備は諸葛亮(ショカツリョウ)に以下のように漏らしています。

 

「立派な上に功績もあった」

 

それが酹、そして墓で寝泊まりという最大限の敬意を引き出したのですから、やはり劉備にとっても非常にありがたい、優れた人物だったのでしょう。

 

 

演義においては光る所はあるものの凡将の域を出ず、記述の少なさからは目立つことなどほとんどない霍峻。しかし、こういう地味ながらとんでもない名将がいるからこそ、歴史上の隠れた逸材を探すのは面白いのです。

 

 

 

 

 

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