呉班 元雄
生没年:?~?
所属:蜀
生まれ:兗州陳留郡
呉班(ゴハン)、字は元雄(ゲンユウ)。夷陵の戦いに北伐にと、蜀後期の主力武将の一人として行動した人です。にもかかわらず、その記述は散逸したのか非常にまばら。結局は伝すら立てられていないという人物になっています。
彼は呉壱(ゴイツ)とは従弟の間柄なのですが……彼ともども、与えられた官位の割に活躍の事績があまりに少ないですね。
では、さっそく呉班の事績を追ってみましょう。
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夷陵の大敗北を経験
呉班の父親は呉匡(ゴキョウ)といって、漢帝国の代将軍である何進(カシン)の属官でした。
しかし、それが戦乱にの中で故郷を離れることになり、従弟の呉壱らと共に益州に移住。そのままそこに居つくことになったのです。
後に劉備(リュウビ)が益州を平定すると、これに帰順。呉壱の妹が劉備の妻となった事から蜀の皇族の仲間入りを果たし、領軍(リョウグン:近衛隊統括者)にまで出世しました。
章武元年(221)、劉備が関羽(カンウ)の仇討ちを名目に呉と開戦すると、呉班も遠征軍に参加。数千の兵を率いる指揮官として、砦を守る敵将の李異(リイ)を破って戦線を押し進めます。
しかし、険阻な山中を突き進んだところで、呉軍本隊と対峙。そのまま戦線は膠着し、翌年の夏まで押しても押し切れない状況が続きました。
こうして進むことができなくなった蜀軍は次第に気力が萎えはじめ、遠征軍の疲れもあって士気が激減。
呉班は挑発の為にたびたび呉軍を攻撃するような動きを見せましたが敵の総大将である陸遜(リクソン)に看破され、逆に士気が衰えた隙を突かれて火攻めを受け、蜀軍は未曽有の大敗北を喫してしまったのです。
多くの味方武将が軒並み戦死していく中、呉班はなんとか撤退に成功。この戦役を生き残った数少ない将軍の一人として、劉備の次の世代にも前線に立ち続けることになります。
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北伐とその後
劉備が無くなってその息子である劉禅(リュウゼン)が蜀帝に即位すると、呉班も引き続き忠誠を尽くし、数年の地には後将軍(コウショウグン)として仮節(カセツ:軍法違反者を処罰できる権限)と安楽亭侯(アンラクテイコウ)の爵位を与えられました。
そして、諸葛亮(ショカツリョウ)の北伐にも将軍の一人として参加。
第四次北伐に当たる建興9年(231)の戦いでは、諸葛亮の指示により魏延(ギエン)や高翔(コウショウ)らと共に、攻撃を仕掛けてきた司馬懿(シバイ)を大いに打ち負かして撃退します。
この時の成果は、敵兵の首三千に鎧が五千。そして弩が三千丁。わざわざ史書に成果が載せられるほどの大勝利を得たのです。
しかし、この大勝利の後、呉班の記述はぱったりと史書から消えます。
三国志演義では五丈原の戦いの際に戦死しますが、どうやら正史の呉班はその後も生き続け、蜀を支えてきたようですね。
功績によるものか血縁によるものかは知りませんが、呉班は最後には将軍でもトップクラスの位である驃騎将軍(ヒョウキショウグン)にまで出世。綿竹侯(メンチクコウ)の爵位を受けて、1つの郡がほぼ丸々領土に与えられたようです。
史書には、そんな呉班の人となりがこのように書かれています。
男伊達として知られ、常に呉壱に次ぐ官位を与えられた。
結局この高位が能力によるものか皇族としての立場によるものなのか、その答えは史書からではわかりません。劉備にわざわざ囮挑発の役割を任される辺りを考えると、やはり相応の実力はあったようですが……
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