向寵
生没年:?~ 延煕3年(240)
所属:蜀
生まれ:益州漢嘉郡
向寵(ショウチョウ)、字は今なお不明のまま。いつの時代にも、偉人から高い評価を得たにもかかわらずその能力に見合う事績が不明なまま憐れな死を迎える……そんな人物は存在します。
向寵はまさに蜀のそんな不遇の権化に当たり、蜀の国を一身に背負う偉人たちから高い評価を得たにもかかわらず、それに見合う功績を立てられないまま死亡しています。
今回はそんな向寵の生涯、そして悲しみと不完全燃焼に満ち満ちた最期を追っていきましょう。
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劉備に仕え、高い評価を……
向寵の叔父は、蜀の長生き爺さんにして馬良(バリョウ)馬謖(バショク)兄弟を神格化していたとして微妙にネタにされそうでそーでもない向朗(ショウロウ)という人物。向寵の記述は、彼の伝に付伝されています。
向朗はもともと荊州の長である劉表(リュウヒョウ)に仕えていましたが、彼が亡くなった時、北から大軍を率いて曹操(ソウソウ)が来襲。荊州の名士たちは曹操に付くか、劉表の客将として影響力を振るっていた劉備(リュウビ)に付くかで分かれてしまったのです。
この時、向朗は劉備の味方をすることに決定。向寵もこの時から劉備に仕えたと言われています。
その後、向寵は劉備の益州討伐や漢中平定に従軍……したのでしょう、多分、きっと、記述は無いけど。
とにかく、向寵は劉備の軍事行動に指揮官として参加し、手柄を立てたことは間違いありません。劉備は向寵の軍事能力を褒め(証拠・出師の表)、彼をエリート軍人コースのスタート地点である牙門将軍(ガモンショウグン)に任命しました。
向寵はその後、蜀軍が壊滅的打撃を受ける夷陵の戦いに従軍。この時は敵軍の奇策により全軍が壊滅状態になるという地獄絵図となりましたが、向寵の陣営だけは無傷で整然としていたとか。
有能さを表す記述はここだけですが……蜀軍惨敗の記述が並ぶ中で無傷の撤退をやってのけたのは地味にすごい事……だと思います。
ともあれ、惨めなまでの完敗を喫した中で一人だけ軍勢を保って帰ったのは、ある意味では大勝して錦の旗を飾るよりも大功と言える大手柄。向寵はこの功績から都亭侯(トテイコウ)の爵位が与えられ、さらに中部督(チュウブトク)として近衛兵を率いるようになったのでした。
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留守番役故に……
夷陵の戦いの後、劉備は都に戻ることもかなわず、翌年に死去。蜀帝国は新たな時代を迎え、諸葛亮(ショカツリョウ)を丞相(ジョウショウ:総理大臣)に据えて、彼を中心に回っていくことになります。
諸葛亮は、まず手始めに壊滅状態になった蜀の軍事力と生産力を補うため、南方の異民族や反乱組織を平定。失われた国力を回復します。
そして軍備を整えて魏との決戦に臨む時、かの有名な『出師の表』を上奏。この時に諸葛亮が名指しした人物の中には、向寵の姿もありました。
向寵は性格や素行が善良で公平、そして軍事に通暁しております。以前試しに軍事を任されたとき、先帝劉備は彼を有能であるとお褒めになりました。だからこそ、司令官の立場に彼が任用されているのです。
思うに、軍事のことは彼にご相談いただければ、きっと軍同士を結束させてその力を存分に発揮させることができるでしょう。
ここまで評価されれば、当然ながら向寵も中領軍(チュウリョウグン:近衛隊の統括者)に昇進。留守中の皇帝直属軍を指揮するという大きな役割を担ったのです。
しかし留守番役という立場もあってその後はキッパリと記述を断ち、最後に出てきたのは延煕3年(240)、西の国境で暴れる異民族にして蜀でももっとも反抗的とされた捉馬族(ソクバゾク)の討伐に乗り切った時の事。
向寵はこの異民族征伐に乗り切った際、首都・成都(セイト)より西に位置する漢嘉(カンカ)郡にて異民族と戦って討死。戦闘の詳細は不明ですが、劉備や諸葛亮が手放しに絶賛した人物にしてはあまりに呆気ない死でした。
列伝最後に載せられる陳寿評には、向寵の名前はありません。
メイン参考文献:ちくま文庫 正史 三国志 5巻
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