孫賁 伯陽
生没年:?~?
所属:呉
生まれ:?
孫賁(ソンフン/ソンホン)、字は伯陽(ハクヨウ)。孫堅(ソンケン)の兄の子で、孫策(ソンサク)、孫権(ソンケン)らとは従兄弟同士という関係の人物ですね。
曹操(ソウソウ)の大ファンであり、純粋な孫権軍の家臣というわけではない人物でしたが、何だかんだ最期まで叔父の子たちを支え続けた影の番人です。
が、どうにも裏で暗い部分が見え隠れする孫呉の人々と同じく、この人もちょっと影が見え隠れするような……
とはいえ扱いは親族のそれであり、裏切りや反乱のようなことはしなかったので、真っ当な人物だったのは間違いない……はずです。
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孫策が育つまでは孫家の当主!
孫賁の父親は孫羌(ソンキョウ)と言いますが、彼はまだ若いうちに命を落としました。
また、母親も早世してしまったため、孫賁はまだ赤ん坊の弟・孫輔(ソンホ)と二人っきりに。結局親がいなくなった孫賁は、孫輔の面倒をよく見て育ててやることになりました。
ちなみに「弟思いだった」という記述も正史にはあり、彼が弟を大切に思って育てたことが伺えます。
そんな不遇の幼年期を過ごした孫賁ですが、やがて官吏の道に出て出世。郡の督郵守長(トクユウシュチョウ:政務官の官吏監督役)になりましたが、叔父である孫堅(ソンケン)が挙兵すると官吏を辞め、彼の軍の一員に加わりました。
しかし叔父について各地を転戦すること数年。孫堅は劉表(リュウヒョウ)との戦いのさなか、突如命を落としてしまいました。
こうして当主不在となった孫家の軍閥でしたが、孫賁は一族として軍閥を率い、叔父:孫堅の棺を守って故郷まで無事に送り届けることに成功します。
その後、孫堅に所縁のある群雄・袁術(エンジュツ)が揚州の寿春(ジュシュン)に本拠地を移すと、孫賁は軍を率いて袁術軍に加入。以後は、彼から猛将:孫堅の甥として期待がかけられることになるのです。
袁術配下として
袁術は従兄の袁紹(エンショウ)と折り合いが悪く、お互い一触即発の状態でした。そんな中、袁紹が自分の息のかかった周昂(シュウコウ)を袁術影響下の九江(キュウコウ)太守に任命したことで、両者の関係は完全に決裂。
袁術は目の上のたんこぶである周昂に対し、孫賁に軍を預けて派遣。孫賁は袁術の期待通り、周昂を追い払うことに成功します。
さらに袁術は朝廷に働きかけて、孫賁を豫洲刺史(ヨシュウシシ)に任命させ、政務に当たらせました。
そしてその後も丹陽(タンヨウ)の都尉(トイ:軍事長官)、さらには征虜将軍(セイリョショウグン)などを歴任。袁術軍でも中数部を占める武官としてしっかり働きました。
後々、袁紹と組んで肥沃な揚州南部に割拠していた劉繇(リュウヨウ)が圧力を強めてくると、袁術はこれをどうにかすべく孫賁と、呉景(ゴケイ)という人物を派遣。
早速孫賁らは劉繇軍を攻撃しますが、思いのほか手ごわく苦戦します。そこで袁術は孫堅の子、孫策に援軍を預けて援軍に向かわせました。
こうして孫策が援軍が来ると、とうとう膠着状態だった戦線が好転。劉繇軍の迎撃部隊を撃破し、彼を追いつめることに成功したのです。
その後、孫賁は呉景と共に、袁術への戦勝報告に残り、そのまましばらく、袁術軍に残留。
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孫一族の影の番人
さて、皇帝となった袁術は孫賁を九江太守に任命しますが、孫賁は袁術を見限ったか恐怖を覚えたか、そのまま任官せず、しかも妻子を置いての逃避行。おそらく、袁術の支配下から抜け出すにはそのタイミングしかなかったのでしょう。
かくして、孫策の配下に鞍替えした孫賁は、江東を平定した孫策の仕上げともいえる劉勲(リュウクン)討伐、そして孫堅の仇である黄祖(コウソ)の攻撃に参加。
そして勝利を得たのちの凱旋途中、劉繇が亡くなったという話を聞くと、彼の勢力下に残っていた豫章(ヨショウ)を支配下におさめ、そこの太守として孫策をバックアップする体制をとりました。
後に、孫賁は貴重な一族の人材として都亭侯(トテイコウ)の爵位に封ぜられました。
建安13年(208)には、朝廷からの勅使が孫賁の元へ訪れ、袁術の独断で任じられていた征虜将軍に正式に就任。
その後もしばらく豫章太守としての仕事に励みましたが、任官から11年後に亡くなり(後述)、息子の孫鄰(ソンリン)に後を託しました。
曹操ファン?
さて、孫賁はこのように孫家に尽くしていましたが、本当に純粋な配下かと言われると、やはり疑問が残る部分もいくらかあります。
まず、孫策が独自に勢力を広げた後も袁術配下として独立した地位にあったこと。
そしてもう一つが、まさかの曹操(ソウソウ)との接点です。
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208年に孫賁は朝廷から将軍位を得ますが、実は当時の朝廷は曹操の庇護下にあり、いかに最高権力と言えども、保護者である彼の意見は無視できなかったはず。つまり、曹操自身が孫賁の将軍就任を黙認した可能性が高いわけです。
……いや、これはあくまで可能性。懐柔のためにあえて敵勢力の配下に官位をバラまくようなことは無いとは言い切れません。
しかしこの少し後、孫賁は、最終的に朱治(シュチ)から止められたものの、娘を差し出して曹操に帰順しようとしたという記述もあります。
信憑性の高い資料ではないものからの出典になりますが、……志林では官渡の戦いの折に曹操の腹心・夏侯惇(カコウトン)から「孫賁に長沙郡(曹操と敵対していた劉表の背後の郡で、孫堅との所縁も深い土地)を授ける」と手紙が送られたとありますし、実際に愛する弟・孫輔(ソンホ)は孫策死後に曹操に寝返ろうとして処刑されています。
もしかしたら、孫賁の心は実は曹操にあり、しかも孫権らとは主従関係というより半ば独立した盟友のような関係だったのかもしれませんね。
ちなみに在官11年での死去という話が出ていますが、これに関しては豫章太守に就いてからと言われていますが……朝廷から征虜将軍就任の詔を受けてから数えて11年など、諸説あって確定的なものはありません。
ただ、孫賁死後の豫章太守には、孫賁・孫鄰・顧邵(コショウ)・蔡遺(サイイ)の順に就いており、蔡遺に関しては219年に亡くなる呂蒙(リョモウ)が推薦して豫章太守になったという記述があります。
とすれば、208年からの10~11年後……つまり218年や219年に死去したと見ると1年足らずの間に3人も亡くなって太守が入れ替わるという自称が起きており、なんとも現実的とは思えません。
そこで、巷では豫章太守に就任してからの11年後……建安15年(210)卒という説がもっとも有効であると見られているようですね。
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