人物評
さて、まず後世の甘寧評を見てみましょう。
三国志を編纂した陳寿は、甘寧についてこう評しています。
粗暴ですぐに人を殺したが、あけっぴろげで将来の見通しを立てる先見性を持っていた。
有能な人材を惜しみなく礼遇して勇士たちを育て上げることに注力したので、兵士はみな彼のために喜んで働いた。
さすがに独自の伝を立てられているだけあって、その能力についてはかなりのものであることが明言されています。
また、なにより人格面のプッシュ。その人物像は、まるで任侠ヤクザといったところ。粗暴ながらも冷静さと爽快さを兼ね備えており、その性格は配下の兵士たちを魅了して多くの人望を得ていたようです。
反面、粗暴さや血の気の多さは上層部に多くの敵を作り、流れ者の名士層が多い点や自身の荒っぽさもあって、職場内の付き合いは上手く行かなかった様子が記されている逸話も少なくありません。
能力はあるが、自身の人物面はあまり信用されない。そんな様子が、史書の端々に残っています。
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合肥の鬼神は張遼のみならず
建安20年(215)、孫権は曹操領の合肥(ガッピ)に軍を進めましたが、張遼(チョウリョウ)をはじめとする敵軍の勇将らに出鼻をくじかれ、伝染病も流行ったのもあって、圧倒的優位にもかかわらず撤退することになってしまいました。
さて、その撤退の折に孫権自らが殿軍として、呂蒙や凌統(リョウトウ)、蒋欽(ショウキン)、そして甘寧らを連れて味方の撤退完了を待っていました。
この時、孫権が後方に残っていることを知った張遼が再び兵を率い、孫権軍に向けて突撃。怒涛の攻勢の前に孫権軍は散り散りになり、大混乱に陥ったのです。
そんな中、甘寧は凌統と共に自ら命を張って奮戦。自失状態で呆然としていた軍楽隊にも「この時に何故音楽を鳴らさない!」と怒鳴りつけ、その勇ましさは何物にも負けないものでした。
孫権はこの時の甘寧の働きを、殊の外喜んだのでした。
また、『呉書』には濡須で曹操軍に強襲をかけた際にも敵兵の首を数十ほど挙げ、混乱した敵軍の陣が赤々と燃え盛る頃には既に陣中に帰還。笛や太鼓を鳴らして大勝利を祝ったことが記載されています。
その後孫権に目通りした時に、孫権は「曹操軍には張遼がいるが、うちには甘寧がいるのだな」と大喜びで、その場で大量の褒美を下賜したのでした。
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甘寧と凌統
さて、このように武勇に非常に秀でた猛将甘寧ですが、軍中ではなかなかどうしてギスギスした人間関係を築いていたようです。
人間関係の軋轢として一番有名なのが、凌統との関係性。
演義はじめ創作では和解して無二の知己となった2人ですが、正史では終始剣呑な関係なまま、最後まで分かり合う事がありませんでした。
というのも、甘寧は孫権と敵対していた時に凌統の父を討ち取った張本人であり、凌統からすれば甘寧は肉親の仇。凌統は常に甘寧を恨み、対する甘寧も警戒して一切かかわりを持とうとせず……
そんな2人でしたが、『呉書』によればある時、呂蒙の家で宴会を開くことになり、偶然2人がその場に集まってしまったのです。
この時凌統は宴もたけなわとばかりに刀を持って剣舞を披露。すると凌統から殺気が放たれていることを知った甘寧も、自分もとばかりに双戟を手にして踊り始めたのです。
結局気を利かせた呂蒙が「俺の方が踊りは上手いぜ」と言い放ち、刀と盾を手にして二人の間に割って入って踊り始めたことで事なきを得ましたが……ここで呂蒙が動かなければどちらかの血を見るよ大騒ぎになっていたかもしれません。
後々この事を聞いた孫権は、甘寧の任地移動を決定。以後、甘寧は凌統と任地が被ることはありませんでした。
他にも孫権の従兄弟と喧嘩したり(向こうが先に吹っ掛けた&その後和解して仲良くなった)、些細なことで人を殺したりなど、その荒っぽい性格は結構な問題を呼び込んでいます。
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甘寧と呂蒙と料理人
甘寧は元々同じ荒くれだった呂蒙とは何かと馬が合ったようで、何か問題を起こしても咎められはしても大きな処罰は言い渡されなかったのですが……そんな呂蒙が甘寧に対して本気で怒りを覚えたエピソードがあります。
ある時、失敗をしてしまった料理人が甘寧の元から脱走し、呂蒙の元に逃げてきました。
呂蒙は「このまま追い返したら料理人は殺されるのでは……」と考え、しばらく家に匿う事に。
そんな折、甘寧は呂蒙の母に贈り物を届け、呂蒙との引見を希望。それに先立って、料理人は「絶対に殺さない」という約束の元に甘寧の元に送り返されたのです。
しかし甘寧は、そんな約束を真っ向から反故にしました。
桑の木に料理人を縛り上げ、自ら弓を引いて射殺。そして悪びれる様子も無く船に向かい、上半身裸になってゴロンと寝っ転がり、日向ぼっこを始めたのです。
この話はすぐに呂蒙の知る所となりましたが、この時、ついに呂蒙の中で何かがはじけました。
「俺、甘寧殺すわ」
太鼓をけたたましく叩いてその場に控えていた兵士を招集すると、呂蒙は一直線に甘寧のいる船に乗り込み、甘寧を攻め殺そうと攻めかかったのです。
一方の甘寧はそんな様子を見ても横になったまま。むしろその様子は「殺すなら殺せば?」と開き直ったかのような有り様でした。
と、このまま甘寧は殺されてしまうのかという今わの際で、意外な人物が呂蒙を止めにやってきたのです。
なんと、この騒動に終止符を打ったのは呂蒙の母。
「お前はもう大身にもなったのに、こんな私事で使える将を殺す者がありますか! 仮にこの事で問責を受けなかったとしても、お前の行動は臣下としてあるまじき物なのですよ!」
もともと孝行心の厚い呂蒙は、母の懸命の叱責を受けると怒りは一気に霧散。そして自ら甘寧の元に向かうと、「母が食事に呼んでいる。さあ、急いで岸に上がれ」と笑いながら呼びかけて和解を呼びかけました。
この呂蒙の対応を見て甘寧は何かがはじけたのか、嗚咽を漏らしながら呂蒙に謝罪。一緒に戻ると呂蒙の母に目通りし、呂蒙母には終日頭が上がらなかったとか。
まるで中学生の反抗期
とにかく実力だけで高い評価を受け、人物面では問題行動の多い甘寧ですが、その幼少期にいったい何があったのか……少し気になる所です。