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程秉 徳枢

 

 

生没年:?~?

 

所属:呉

 

生まれ:豫州汝南郡南頓県

 

 

 

 

程秉(テイヘイ)、字は徳枢(トクスウ)。呉には大勢の名士が北部から流れ着いており、その影響か専門の学者が官位を得て、独自の伝をあてがわれていることも少なくありません。

 

程秉も、そんな独自の伝を持っている学者のひとりですね。

 

 

しかし、この人はどうして伝を当てられたのでしょうか? 見る限りは働きも記述も他の伝に比べれば何とも……皇太子の結婚式で重要な役割を担った、はたまた当代有数の学者という顔が買われたのか……

 

 

 

 

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人に教わり学士となる

 

 

 

 

とはいえ、ぼやいていても始まりません。というわけで彼の伝を追っていくと、やはり高名な学者としての顔が見えてきますね。

 

 

まず、彼は鄭玄(テイゲン)という当代でも超一流の儒学者に師事して学問を修めました。

 

鄭玄は貧困に負けずに学を修めて漢王朝の重役にまで招待された、まさに儒教の始祖・孔子を彷彿とさせる人物。また官職を断ってまで学者としての生を全うしており、こうした生き方が非常に根強い人気を得た人物だったのです。

 

 

そんな鄭玄の教えを受けたという事は、程秉も家柄や人格で光る部分を持っていたのでしょう。

 

 

ともあれ学問を超一流の塾で修めた程秉でしたが……時代は乱世。地元も戦禍に見舞われており、程秉はほどなくして、はるか南、南端の交州(コウシュウ)へと疎開していきました。

 

 

そこでも程秉は己を磨くことを徹底し、疎開先で出会った劉煕(リュウキ)なる人物と議論を重ねて切磋琢磨。結果、当時学士のバイブルとされた五経という書物すべてに深く通じることができたのでした。

 

 

 

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政界の大物学者

 

 

 

当時の学者といえば、人の上に立つべき偉い人たちというイメージが強い人たちでした。その結果、多くの群雄がその名声にあやかろうと、学者たちに声をかけて軍中に誘っていたのです。

 

交州を治める士燮(シショウ)なる人物は、程秉の博識さを高く評価して、自身の属官として招聘。程秉もついに、学者として政界に乗り出したのです。

 

 

しかし、すでにこの頃の程秉はかなり高名な学者の一人。辺境の士燮のみならず、もっと大きな群雄からも目をつけられていたのでした。

 

その群雄こそが、呉の主である孫権(ソンケン)。彼は程秉の話を聞くと手厚く歓迎することを約束して彼を勧誘。程秉もこの誘いに乗って孫権勢力に加入すると、なんと彼の太子である孫登(ソントウ)の太傅(タイフ:主君を導く顧問役)のポストが与えられたのです。

 

 

そして黄武4年(225)に孫登が嫁を娶ると、程秉は太常(タイジョウ:儀礼や祭祀の総責任者)に昇進。孫登の妃を迎えに行くという政治的に重要な役割を担ったのです。

 

孫権も程秉の出発前には自ら顔を出し、丁重な礼で彼を迎えだしたと言われています。

 

 

こうして花嫁を迎えに行き、無事に婚礼を済ませたある時。程秉は教育者らしく、何気ない場で孫登に対して自身の結婚観を述べてこう語りました。

 

 

 

「結婚とは人倫の基本ともいえる物であり、王者が仁政を敷く基でもあります。ならばこそ昔の王も結婚を大事にして手本を示し、『詩経』にも最初に夫婦仲睦まじい鳥の歌があるのです。

 

どうか太子さまはよきご夫婦でいらしてください。そうすれば人倫を定める基にもなり、下に立つ者も褒め歌を歌うこともできるのです」

 

 

孫登もこの言葉に感銘を受けて程秉を寵愛しましたが、程秉は在官中に死去。さらには孫登も若くして亡くなり、孫権の跡継ぎはそのまま呉国全土を巻き込んだ争いに発展してしまうのでした。

 

 

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人物評

 

 

程秉は学者として非常に名高い人物だったようで、やはり後世で褒め称えられているのは学者として……といった部分が大きいようです。

 

三国志を編纂した陳寿は、彼を以下のように記しています。

 

 

程秉は厳畯(ゲンシュン)や闞沢(カンタク)と共に、一代の学者であった。

 

 

 

ちなみに、伝になるほど有名な人は、他の人の伝でも密かに名前が出てくることも少なくはありません。が、この程秉は、名前が出てくるのが程秉だけ。要するに、高名な学者として孫登の指導役になった……くらいしか記述がないのです。

 

まあこの辺は厳畯や闞沢も似たり寄ったりではありますが、それぞれ軍のトップに推されたり国家を揺るがす一大事件に関わったりと、程秉よりは出番があります。

 

 

……とまあ、こんな感じで出番があまりないということは、つまり問題も起こさなかったという意味にもつながります。おそらく飛び抜けたところが良くも悪くもない、至って癖のない優等生だったのでしょう。

 

 

 

ちなみに三国志演義ではこの記述の無さを拾われ、諸葛亮(ショカツリョウ)に一方的に論破されたり劉備(リュウビ)に和睦の使者としてあいさつしたところを殺されかけたりと……まあ、その辺の雑魚文官のような扱いを受けています。

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