祖郎


このエントリーをはてなブックマークに追加

祖郎

 

 

生没年:?~?

 

所属:呉?

 

生まれ:揚州丹陽郡陵陽県

 

 

 

 

祖郎(ソロウ)という人物は……まあ、知らなくて当たり前くらいのドマイナーな人物ですね。かく言う私も、史書を片手にこうしてサイトを作ろうと思うまではまったく知らなかった人物です。

 

さて、この人は何をしたかというと、まあ孫策(ソンサク)のライバル的存在とでも言いましょうか。太史慈(タイシジ)辺りと妙にかぶる人物ですが……二人で同時に孫策のライバル群雄と位置付けてもいいかもしれません。

 

 

今回は、そんな祖郎について記述を追っていきましょう。

 

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

死闘、孫伯符

 

 

 

祖郎という人物は元々一揆勢力を束ねるボスであり、呉郡(ゴグン)周辺に根城を構える厳白虎(ゲンハクコ)と並び、非常に強力な民間勢力として有名でした。『江表伝』によれば一種の宗教勢力ともされており、天災と戦乱によって困り果てた民も彼の勢力下に収まっていたのかもしれませんね。

 

さて、そんな祖郎ですが、父・孫堅(ソンケン)を失った孫策が、父の主君であった袁術(エンジュツ)の元に身を寄せてしばらく。袁術の勧めで叔父の呉景(ゴケイ)らが治める丹陽(タンヨウ)にて募兵を行ったときに名前が出ています。

 

 

祖郎にとって、敵対勢力である孫策が自分の根城付近で兵を集めるのは面白くありません。しかも丹陽の兵は精強で知られており、そんな地元の精兵を敵対勢力が率いるのは、祖郎にとってはなはだ不愉快な話だったようです。

 

 

結果、祖郎は徴兵を行って数百の軍勢に膨れ上がっていた孫策軍を襲撃。大軍にて包囲し、全滅に近い大打撃を与えて大敗北を与えました。

 

しかもこの時、孫策を討ち取る寸前にまで追い詰め、『江表伝』には馬の鞍に傷をつけるほどに迫っていたと言われています。

 

 

が、その快進撃も、孫策を打ち漏らしたことによってチャラとなってしまいます。

 

 

孫策は帰還した後、袁術から父の直属兵であった千の軍勢の返還を受け、より巨大な勢力に膨張。祖郎にとって、安易に戦いを挑めない勢力になってしまったのです。

 

 

『江表伝』の記述によれば、袁術から兵を返してもらった後、孫策は祖郎を急襲。祖郎軍は一旦壊滅し、そのまま逃げ去ってしまったとされています。

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

宿敵との戦いの果て

 

 

 

後に祖郎が史書に姿を見せたのは建安2年(197)のこと。呉(ゴ)や会稽(カイケイ)を占拠した後、将来性のない袁術と手を切った孫策袁術を打ち滅ぼさんとする反袁術連合に加わりましたが、後に連合の一翼である陳瑀(チンウ)が反逆。

 

祖郎は陳瑀の誘いに乗って、厳白虎らと共に孫策と敵対。今一度彼と雌雄を決することになりました。

 

 

この時は祖郎の動きは史書には載っていませんでしたが、孫策は彼の同盟相手である陳瑀と厳白虎を撃破。もともと周辺に大きな勢力を持つ祖郎でしたが、この孫策の快進撃に、いよいよ苦しくなり始めます。

 

孫策は自らの信頼する指揮官らをそろえると、自ら軍を率いて祖郎討伐に出向。祖郎もこれを迎撃する構えを見せます。

 

 

かくして両軍入り乱れての総力戦となりましたが……その序章を制したのは、なんと祖郎の軍勢でした。

 

祖郎軍はなんと大部隊を持って孫策を包囲。今一度孫策を追い詰め、今度こそ討ち取らんと一斉に攻めかかります。

 

 

こうして戦いは祖郎の勝利に終わるかと思われましたが、ここで思わぬ事態によって、戦況は一変してしまいます。

 

なんと、孫策軍の猛将・程普(テイフ)が、名も知らぬ旗本一人と共に単騎駆けを実行。孫策を追い詰めた包囲網の網が食い破られ、孫策を取り逃がしてしまったのです。

 

 

これによって孫策軍は再び体制を整えて祖郎は劣勢に追い込まれ、そこから逆転することができず敗北。祖郎は孫策軍に生け捕りにされてしまい、以後史書から姿を消してしまいました。

 

 

ちなみに『江表伝』によれば、捕まった祖郎は孫策の元に引き立てられ、彼から以下のようにスカウトされています。

 

 

「お前はかつて馬の鞍を斬りつけて俺を殺しかけたことがあったが……でも今は、そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない。俺は天下のため、才ある者の力が欲しい。今、多くの降伏者が、今俺に従っている。心配はいらない。お前もその一人になってくれ」

 

 

かくして祖郎は孫策に完全に降伏し、以後は門下賊曹(モンカゾクソウ:護衛官?)に任じられ、これら反乱討伐の凱旋時には同じく群雄として孫策に敗れた太史慈と共に先導役として軍の先頭に立ったのでした。

 

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加

関連ページ

孫堅
通称堅パパ。孫呉の礎を作った、孫権の父親にして先々代にあたる人物です。
孫策
小覇王。しかしその影響力とカリスマは、本人の死後呉の末期にまで影響を与え……
孫権
三国の一角である呉の君主。地味だけど派手。派手だけど地味。
歩夫人(練師)
顔も性格もいいって最強じゃね?
太史慈
まさかの群雄枠。
劉基(呉)
孫権のお気に入りの一人。イケメンで道徳観と知能を持ち合わせた人物です。
孫静
何というか典型的ご隠居キャラみたいな。
孫瑜
孫静が生んだ宗室の名将1号。
孫皎
孫静の子で、こちらはなんと言うか、孫静自身より孫一門の血筋が濃い人。
孫賁
配……下……?
孫輔
一族の中でも珍しい親曹操派。この人の内通疑惑からして、孫呉の並々ならぬ裏事情が見えてくる気がします。
孫翊
孫策の弟で、その跡継ぎとして期待された人。兄・孫権から短命の呪いを吸い取ったかのごとき短命ぶりは、ある意味兄の跡継ぎに相応しいかもしれませんね。
孫韶
裴松之の注釈も含めると、記述のほとんどが叔父と彼を殺した連中を取り巻く復讐劇……
孫桓
ディフェンスに定評のある名将。もっと長生きしていれば、いろいろと歴史も変わった……かも。
張昭
孫権の重臣であり親父代わりであり喧嘩友達であり宿敵……
顧雍
寡黙でありながら法家思想の徹底したモラリスト。名士の名に恥じぬ大物です。
諸葛瑾
虎になった驢馬
歩隲
呉のグダグダ丞相リレー中継ぎ陣。冷静沈着な人となりと貧乏を凌ぎながら磨き上げた一流の知略の持ち主。
厳畯
プルプル、ぼく、悪い呉臣じゃないよ
程秉
呉にはほぼほぼ専門学者枠で列伝にノミネートされる人物も多いですが、彼もそんな中の一人。
闞沢
元貧乏人の超重臣。孫呉はこういう成り上がりがいるから面白い。
周瑜
イケメン大正義。憎いくらいの完璧超人。
魯粛
威風堂々。建前ばかりを重んじる乱世の中で、主君に対して堂々とその野心を語ったアブナイ人ですね。
呂蒙
関羽を仕留める大手柄が、逆に人格、能力を不当に低く見積もられる要因に……歴史の闇の深さを象徴する人物。
程普
記述こそ少ない物の、間違いなく期待の名将と評しても間違いない功績を残した万能の武将です。隙?なにそれおいしいの?
黄蓋
けっこう有名どころ。ゲームでも割と出てきてますよね。あと便所マン。
韓当
孫堅時代からの幽州出身者多くね?
蒋欽
周泰と呂蒙を足して2で割る
周泰
傷だらけの仕事人。
陳武
孫権軍の武勇担当。地味に孫乾より本人の記述が少なく、むしろ息子のおまけみたいな気がしなくも……
陳脩
優れてるんでしょうが、ぶっちゃけ早死にしたせいでモブ。孫家のみならず、陳家も相当短命な家系のようです。
陳表
陳武伝のメイン人物。恩義と仁愛に厚い人物で、武人でありながら、その姿はさながら儒学者でした。が、ちょっとこれはやりすぎじゃないですかね……?
董襲
義に厚く、その心は君主をも感涙させる……。 孫呉でも生粋の猛将ですが、影が薄いのはなぜか。
甘寧
ただの鉄砲玉か、有望な名将か……当時の人にはどう見られていたのか?
凌統
りんとーんりんとーん
徐盛
演義では丁奉とコンビのあの人だが、正史の活動時期がイマイチかみ合わないのはどうしてか。
潘璋
ミスタージャイアニスト。出世払いと俺の物が口癖のイカれた剛将。
丁奉
某ゲームの顔グラのせいで、ついた仇名はスターリン。
朱治
ゴリ押し☆名士紹介大会!
朱然
快活ですごくいい人なオーラがあるのに、結構いろんなところで直属上司に突っかかってるイメージもある、そんな人。名将で、かつ背が低いです。
呂範
目立たぬものの、呉の柱石の一人。有能感あふれる抜擢をされた贅沢マン。
朱桓
孫呉名物ヤベー奴。知勇兼備、呉に五虎将軍があるならばその筆頭を狙えるくらいの勇将ですが、気質はまさに猛獣。実力がある分、なおのこと危険人物です。
陸績
みかんの人。ぶっちゃけ孫権から見ると敵対勢力に近い存在だったのかも……
吾粲
熱血☆救出☆大吾粲!
陸遜
呉での中心人物の一人。若いイケメンとして描かれますが実際の年齢は……
賀斉
とある動画での活躍により神の称号を持つ男。演義ベースの作品ではほとんど出てきませんが、近年徐々に注目され……
全琮
陸遜を憤死するまで追い詰める等の事績からして後世の評判の悪い人物ですが……アレに関しては陸遜あたりもどっこいだと思うの。
呂岱
黄忠よりも長生きの?ハイパーおじいちゃん
周魴
石亭の戦いの立役者。その他にも異民族との戦いで功績を上げています。
潘濬
歴史上、ここまで忠義に厚い裏切り者は何人いるだろうか?
呉範
この時代にもいたんですよ、こういう大宇宙ともつながってそうな人。
孫夫人(孫尚香)
あの武人(つーかDQN)の家系の女がマトモでおしとやかな女性であるはずもなく……
孫邵
謎が多すぎる人物。一応、呉の初代丞相という立場上かなりの偉人のはずですが……
谷利
呉の典韋や許褚的な存在なんですが、如何せん登場資料が信憑性グレーなため……

ホーム サイトマップ
お問い合わせ