陳表 文奥
生没年:建安9年(204)~嘉禾6年(237)
所属:呉
生まれ:揚州廬江郡
陳表(チンヒョウ)、字は文奥(ブンオウ)。三国志に限らず、史書には父親の伝に付属して子に伝が立てられることが多いのですが……中には父親以上の存在としてその伝を食ってしまう人物も少なくありません。
陳武伝は、陳武(チンブ)、そしてその子供2人の列伝として構成されていますが、その半分以上が陳表の伝。陳表は父親以上の活躍を残した人物として、歴史に名を連ねているのです。
今回は、そんな陳武伝付、陳表伝を追っていきましょう。
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貴人聖人(ガチ)
陳表は陳武の妾の子であり、元来は庶子という事で、彼の跡継ぎからは程遠い人物でした。
そんな陳表が見つけた新たな生活の道は、孫権(ソンケン)の皇太子である孫登(ソントウ)の側仕え。陳表は諸葛恪(ショカツカク)、張休(チョウキュウ)、顧譚(コタン)といった重臣の二代目たちと共に孫登の宮殿に住まい、彼らと共に「太子四友」と言われる孫登の側近になったのです。
また、その他にも曁豔(キエン)なる人物と仲良くしていましたが……後に曁豔は呉の重臣を讒言で失脚させたとして大罪人となってしまいました。
この時、曁豔にすり寄っていた多くの官僚たちはこぞって手のひらを返し、曁豔の行動を徹底弾圧。その中でも陳表だけは彼に対して何も言わず、筋を通したことで名士層からも一目置かれるようになったのです。
また黄龍2年(230)、兄の陳脩(チンシュウ)が死去したことにより、陳一家の屋敷でトラブルが発生しました。
この時陳武の正妻がまだ存命中であり、女性間の序列は彼女が一番上でしたが……妾というコンプレックスからか、陳表の母は陳武の元妻の言いつけを完全無視。正妻に対して驕慢な態度を取るようになっていったのです。
この時も、陳表は道理と筋を通すことを良しとし、自分の母に対して以下のように言い放っています。
「兄上が亡くなったために、私は家中を取りまとめて正妻様にお仕えすることになったのです。もし母上がお気持ちをやわらげ、正妻様の言葉に従っていただけるのなら幸いです。が、もしそのようにしていただけないのなら、ここを出て別居していただく必要があります」
この言葉に心を打たれたのか、陳表の母は正妻の言う事に従順になり、家中の混乱は未然に避けられたのです。
その後陳表は、父に倣って自身も武将になる事を志願。兵士500を率いる身分となり、陳表は彼らを手厚く遇することにしたのでした。
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いい人過ぎて逆に怖い
さて、こうして父や兄と同じく軍の指揮官となった陳表でしたが……そんな軍人スタートを切ったある日のことでした。兵卒の施明(シメイ)なる人物に罪の容疑がかかったものの、勇猛な施明は毅然として口を割らず取り調べが難航していました。
困り果てた孫権は、この手の勇士の心をうまくつかんでいると評判の陳表を呼び寄せ、事由に取り締まってよいと詔を出して施明の取り締まりを主導させます。
こうして取り調べを受け持つことになった陳表は、なんと施明の手枷を外して風呂に入れ、立派な衣服を着せて酒の席を設けてやったのです。この手の輩は拷問をしても頑なに心を閉ざすばかり。ならば逆に温情を与えてやり、善意と報恩の心に訴えかけて白状を呼び掛けた訳ですね。
この方法は大成功で、施明はすぐに罪を認め、共犯者を告発。報告を受けた孫権は共犯者を次々と摘発処刑しましたが、陳表の心意気を裏切らないよう施明だけは特別に助命したのです。
後に陳表は、施明の所属する軍の右部督(ウブトク:督は指揮官)に昇進し、都亭侯(トテイコウ)の爵位が与えられる事に。
また、陳脩の死後空白になっていた位を継いで、実質的に陳武や陳脩の後継者になるよう孫権からほぼ強制的に命じられ、陳脩に子がいたにも関わらず、その家督を継ぐことになったのです。
嘉禾3年(234)には、諸葛恪の援軍として山越(サンエツ)の不服従民討伐に乗り出し、その後しばらく山越の討伐、鎮圧に力を注ぐようになったのです。
この時に陳表は、山越の不服従民にはしきりに自軍への帰順を呼びかけ、気付けば帰順兵力は1万を超し、隣の郡で大規模な反乱がおきた際にも敵将を追い詰め降伏させる功績を上げています。
こうして異民族との戦いで大きな手柄を挙げた陳表は、陸遜(リクソン)の推挙もあって偏将軍(ヘンショウグン)に昇格。爵位も都郷侯(トキョウコウ)に格上げされて将来を渇望されましたが……その後何年としないうちに、34歳の若さで死去。
陳表は生前に兵士を厚遇するあまり家に財貨が無く、その死後に遺族が路頭に彷徨うほどに落ちぶれ、見かねた孫登によってようやく生活が安定することになったとか。
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人物像
元々父や兄も気前が良く無欲だったとのことですが、この陳表は気前の良さでいえばさらに格上。あえて悪い言い方をすると、病気を疑いたくなるくらいの“いい人”であり続けました。
実際に兵たちへの配慮も十分すぎるくらいで、兵卒は全員陳表のために喜んで戦ったともあります。実際、父や兄に劣らぬ、下手をするとそれらを超える統率力や人望を持っていたと言えるでしょう。
そんな陳表を、陳寿は評で以下のように語っています。
しがない武将の、しかも庶子であった。にもかかわらず大物のところのお坊ちゃまや名士と肩を並べ、最後には同輩すらも追い抜いてしまった。素晴らしい事ではないか。
また、裴松之も「父親を超えたのではないか」とも語っており、陳武伝の実質的な主役に恥じない評価を与えられた人物です。
さすがに家族まで巻き添えにするほどの気前の良さは行き過ぎという気もしますが……陳表は理想の上司の一人と言っても過言ではなく、大役を任されて花開く前に亡くなったとはいえ、その人物像を知るには十分すぎるほどでしょう。
小作人を兵士に
さて、陳表の記述の中には、孫権から賜った200世帯の小作人を兵士にジョブチェンジさせたというものがあります。
陳表が孫権から新たに200戸の小作人を賜った際、よくよく調べると彼らは全員兵士にするのに十分な人物でした。
陳表はすかさず孫権に対し、「彼らをお返しします。兵士として使ってやってください」と上奏。孫権から「これくらいは受け取れる功績がお前にはあるんだから黙って受け取りなさい」と言われると、今度は以下のように返答したのです。
「天下を平定し父の仇討ちを行うには、何よりまず人材です。彼らは兵士として十分な資質をもっているのに、それを活かさずただの召使にするのは、本意ではありません」
そうキッパリ告げると、陳表はすぐに小作人の中から兵士に向いている者を選別し、実戦部隊として投入。後に報告を受けた孫権は怒るどころか逆に喜び、兵役についていけない者を選んで、新たに陳表の小作人として送り込んだのでした。
まあこれはいい人というより適材適所の知性的な話になってきますが……陳表の軍勢は先ほども述べた通り厚遇される名誉の役職。召使よりも待遇が良いでしょうし、そういう意味でもいい人伝説の中に組み込まれる話かもしれませんね。
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