吾粲


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吾粲 孔休

 

 

生没年:?~赤烏8年(245)

 

所属:呉

 

生まれ:揚州呉郡鳥程県

 

 

 

 

吾粲(ゴサン)、字は孔休(コウキュウ)。伝が立つほどの優れた人物とは言え実体はただの優れた一軍政官で、正直目立つような立ち位置の人物ではありませんが……なんと言うか、ぶっちゃけ昭和の主人公。

 

たった一つのエピソードからこの人の人となりと格好良さはにじみ出ており、そのためにごくごく一部の限られた人たちから一目置かれている、そんな人です。

 

 

ただ、惜しむらくは性格とは裏腹の、主人公補正の無さ。普通に処刑されて終了という、本当に惜しいというか締まらないというか、そんな終わりを迎えています。

 

今回は、そんな吾粲の伝を追っていきましょう。

 

 

 

 

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庶民出身の宰相の器?

 

 

 

吾粲が史書に姿を現したのは、孫権(ソンケン)の皇族である孫河(ソンカ)が故郷の県長をしていた時。庶民の身分という事もあって下っ端小役人としての器用でしたが、吾粲の仕事は群を抜いていて孫河も密かに目をつけていたとか。

 

孫河が後に将軍となると、孫権軍の人手不足というのもあって一気に上級役人にまで出世して、さらにさまざまな仕事で高い業績を打ち立ててどんどん有名人に。

 

やがては庶民出身でありながらも、まだ若かりし日の名族・陸遜(リクソン)らにも並ぶほどの名声を得たのでした。

 

 

後に吾粲は、孫権に目をつけられて幕府の主簿(シュボ:秘書官)に就任。やがて山陰(サンイン)県令、そして参軍校尉(サングンコウイ)と、中央と外の役職を行き来しています。

 

 

ここでの活躍は特に記されてはいませんが、恐らく立派に職務を果たしたのでしょう。黄武元年(222)には、魏の曹丕(ソウヒ)の侵攻を阻むために水軍部隊指揮官のひとりとして戦いに参加しています。

 

 

 

『呉録』によると、吾粲は数歳の時にとある老婆と出くわし、その老婆は吾粲の顔を見るなり、「この子は大臣レベルの器の相だよ」と吾粲の母親に述べたとか。

 

 

 

 

溺れた味方は捨て置けん!

 

 

さて、黄武元年(222)の、曹丕による魏帝国を挙げた大攻勢の時のこと。

 

この時吾粲らは敵将曹休(ソウキュウ)率いる軍勢と対峙していましたが、ある夜、突如として突風が発生。水上で敵とにらみ合っていた呉軍は船を風に流され、転覆して溺れたり敵陣に乗り込んでしまったりして大損害を受けてしまったのです。

 

船が沈んで溺れた味方は、なんとか無事だった味方の中、大型船に殺到。そのせいで大型船までもが傾きかけ、「自分たちも死んでしまう」と思った大型船の船員たちは、よって集まる味方を矛で突き落として船のバランスを取っていたという有り様でした。

 

 

しかしその惨状を見ると、吾粲は「窮地にある人を放っておけるか!」と発起。ともに軍を率いていた黄淵(コウエン)なる人物とただ二人だけが水夫に命じて、船が沈む危険もお構いなしに救える者を救っていきました。

 

結果として、助かった人数は百人以上。この功績か別の功績かはわかりませんが……戦後吾粲は揚州政治の要である会稽(カイケイ)の太守に任じられることになったのです。

 

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庶民破格の出世の果て

 

 

 

会稽太守として認知に赴いた吾粲は、当時まったくの無名無官であった謝譚(シャタン)という人物に注目。彼に人事評価を任せようと自らの元へ呼び寄せることにしました。

 

しかし謝譚は、病気を理由に出世せず、吾粲の元に訪れませんでした。

 

 

吾粲はあくまで謝譚の才を惜しみ、文書を直接送りつけて説得。

 

「応龍(オウリュウ:翼のある龍)は時が来ればその力を振るうからこそ喜ばれ、鳳凰は見事な鳴き声をしているからこそ尊ばれる。それほどの才を持ちながら、なぜに隠遁して出てこようとしないのだ」

 

どこか教養臭い気取った文章ではなく、民間にも知られる神界の生物に例えてのこの言葉。歴史を題材にした堅苦しいものではない辺り、なんとも吾粲らしい説得文です。

 

 

さて、吾粲はその後軍事でも活躍し、志願兵を集めて呂岱(リョタイ)と共に山越(サンエツ)の反乱軍を討伐。後に中央へと戻り、ついには孫権の太子の教育係にまで上り詰めたのです。

 

 

……が、今度は二宮の変と呼ばれる後継者争いが呉の領内で勃発。

 

この争いは孫和(ソンワ/ソンカ)と孫覇(ソンハ)という二人の太子のどちらが後継者となるかで行われましたが……吾粲はこの政争に、年上で始めに嫡子と決められていた孫和の派閥に属しました。

 

この時の吾粲は正論を一切の遠慮なく述べてみせ、孫覇派の重鎮である楊竺(ヨウジク)の排斥を直訴。また、孫和派のトップである陸遜との橋渡し役なども務めましたが……こんな派手な動きを見せた人物が、敵対派閥からマークされないはずがありません。

 

とうとう孫覇や楊竺らに標的にされた吾粲は激しい弾圧を受け、そのまま投獄、殺害されてしまいました。宰相にまで登ると言われた異例の平民の、あまりにあっけない最期でした。

 

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人物評

 

 

さて、こんな補正に恵まれることなくモブとして果てた主人公・吾粲ですが、三国志を編纂した陳寿は彼のことを以下のように評しています。

 

困難な状況下で正義を貫こうとしたが、悲しいことにそれが仇となって身を滅ぼしたのである。

 

 

これはまた別の状況で殺された朱拠(シュキョ)という人物とセットで語られたことですが……まあ、言ってしまえば巻き込まれた同情が評のメインといったところでしょうか。

 

優れた才覚と何より主人公的な熱い性格、そして平民スタートという主人公要素をこれでもかと詰め込んだ人物にも関わらず、非情な現実は味方してくれず、その他大勢として消えていった吾粲。

 

 

「お前誰?」という評を除けば、おおよそ同情的な人物評と身の危険を顧みない熱い献身が半々といったところか。

 

結局政争は楊竺の方が一枚上手でしたが……中心人物の相次ぐ病死で孫覇派の弱体化が始まるまでの数年間活きていられれば、吾粲の立場はどうなったのでしょうか?

 

少しばかり、気になる所ではあります。

 

 

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