厳畯 曼才
生没年:?~?
所属:呉
生まれ:徐州彭城郡
厳畯(ゲンシュン)、字は曼才(マンサイ)。彼は絵に描いたような良識派で、若いころから「いい人」として評判でした。
もっとも、彼は武将でなく学者がメインで、一度も戦争に出なかったので記述も少なく影は薄いですが……それでも、古今珍しい善性を貫く政治家であったため、挙げていきましょう!
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その生涯
若いころから学問をバリバリ積んでいき、詩経、書経、三礼(儀礼、周礼、礼記)といった本を読み漁っており、これらに非常に精通した人物でした。
わかりやすく言うなら、詩や歴史、儒教の教義や思想なんかに精通した一流の教養人といったところでしょうか。
これに加えて「説文解字」という漢字辞典のようなものも好んでいた、それはもうバリバリのガリ勉ともいうべき人物でした。
さて、そんな彼ですが、当時の中国は大荒れの乱世。特に中央の洛陽を中心に中国大陸中央から北部は荒廃した土地が広がっており、多くの名士がこれを嫌って土地を離れ、南の肥沃な地に疎開していきました。
厳畯もそうやって故郷を離れた人の一人で、後に孫権軍の中核を担う諸葛瑾(ショカツキン)や歩隲(ホシツ)といった面々と仲良くし、彼らと並ぶ名声を得ていました。
後に孫権の腹心である張昭(チョウショウ)に推挙される形で孫権の下に赴き、騎都尉(近衛兵長)・従事中郎(幕僚の官職の一つ)という、中央の栄誉職に就任。いきなり大抜擢ですね。
さらには当時の呉の大黒柱・魯粛(ロシュク)が死亡すると、孫権に「彼の後を継いで、1万の軍を率いて要衝を守ってほしい」とお願いされます。
この1万、演義とか見てるとなーんかショボい気もしますが……例えば赤壁の戦いの時の孫権軍は5万に満たなかったといわれています。
こう考えるとかなりの大軍ですね。
さて、そんなとんでもない栄誉を受けた厳畯ですが……彼はなんとこの申し出を辞退します。
理由は、「軍事を知らない学者がそんな大役を得ても、役目を全うできるとは思えません!」との事。
しかもこの時、気持ちが昂るあまり涙まで流したとか何とか。
さすがにそこまでされてしまうと、孫権も無理強いはできず、辞退を認めてこの話をなかったことにしました。
さて、厳畯はこの性格から友人も結構いて、中にはちょっと変わり者もいました。
その一人が、劉穎(リュウエイ)という人物。彼は引きこもり体質な人物で、部屋にこもって学問漬けという毎日を送っていたそうです。
が、ある時、彼は孫権に「うちに来ないか」とスカウトされます。
当時は偉い人の勧誘を断るのはたいへん無礼(というか犯罪級)であるとされ、場合によっては処刑されるようなこともある時代ですが・・・この劉穎はあろうことか「病気だから無理」とこれを断ってしまいます。
しかし劉穎の弟が死去すると、彼はその葬式に参加。このことが原因で仮病がバレてしまい、孫権の怒りを買ってしまいます。
一方、これを聞いた厳畯。慌てて劉穎の元を訪れて彼を決死の説得。そのまま孫権の元へと赴き、劉穎にこのことを謝罪させます。
この一連の事件のとばっちりにより厳畯は一時期免職処分を受けましたが、劉穎はなんとか無罪放免。
しばらく後に厳畯も復職して事なきを得たとか何とか。史書ではその後に死亡とあり、後の事はわかっていません。
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絵に描いたようなハイパー善人/h6>
経歴からもわかる通り、とんでもない善人ですね。
史書においても、
「実直、一途で思いやりが深い。見どころのある人物には真心をもって指導や忠告を行い、その人の進歩に力を尽くした」
「稼ぎやボーナスはだいたい全部親族や友人に分け与えたせいで、身分に似合わず貧乏だった」
など、絵に描いたような聖人ぶりが手に取るようにわかります。
その姿勢は、蜀に使者としてあいさつに行った時も諸葛亮に大きく評価されており、これも彼がひとかどの人物であったことの証明になりますね。
ちなみに孫権が、彼を馬に乗れるかどうか試してみたという逸話がありますが、
その時厳畯は、馬に乗ったものの、鞍から転がり落ちたとか。
軍職を辞退した逸話と言い、まさかわざと落ちたんじゃ……?
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