闞沢


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闞沢 徳潤

 

 

生没年:?~ 赤烏6年(243)

 

所属:呉

 

生まれ:揚州会稽郡

 

 

闞沢 教師 ブサメン 庶民上がり 努力家

 

 

 

闞沢(カンタク)、字は徳潤(トクジュン)。孫権軍の幕僚の中でもひときわ信頼されているイメージのある人ですね。

 

裏方ゆえにどうにもあまり出てこないイメージはありますが……かなりの大物ですよ。……まあ、見た目はイマイチさえなかったらしいですが。

 

今回はそんな人物についての伝を追っていきましょう。

 

 

 

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貧乏人というハンデも物ともせず……

 

 

 

当時華やかな身分にいる人たちは、現代よりもさらにボンボンの貴族育ちが多かったとされています。闞沢はその中では珍しく、農民……つまり貧民の出であることが明らかになっています。

 

そのため、当然ながら学問に充てるお金もなし。いつも他人の文字おこしの仕事をしてお金を稼いでいました。が、それでもただ文字を写すだけでは終わらず、しっかり内容を暗記してから仕事を終えて本を返していたというのですから、もうこの頃から普通の人とまるで違ったりもしていますが……まあ、偉大な人はやはり仕事への取り組み方からどこか違うのでしょう。

 

それから自分の師匠に値する人を探し回って日夜あちこちで議論に花咲かせたり、街角公演を実施したり……色々な活動をしていた闞沢は、暦を計算するという特技を持っていたのもあいまって徐々に人々に知られるようになっていったのです。

 

その後孝廉(コウレン:当時の役人の郷里推挙。孝行者で儒教精神に則った人物が多く推薦される、推挙制度の過渡期ともいえる物)に推挙され、銭唐(セントウ)県の長(小さな県のトップ)に任命。その後桂陽(ケイヨウ)郡の県令(大きな県のトップ)にまで出世しました。

 

ここに来て、ついに後の呉の皇帝・孫権(ソンケン)に目をつけられ、ようやくの思いで孫権が帝位に就任すると、尚書(秘書)に抜擢され、嘉禾(かか:232年~238年)の間に、今度は中書令(皇帝のプライベートの秘書長・あるいはその次官。ここまでくると、信頼おける側近しかいないポジション)、さらには侍中(皇帝直属のご意見番)も兼任。

 

242年に太子太傅(皇太子の教育係)も兼任するようになり、いよいよ貧乏人らしからぬ華道を極めていったのです。

 

 

しかし闞沢の死はこの1年後の243年。この意外過ぎる死は、君主である孫権をも絶望に叩き込んでしまったようで、数日間食事に手を付けることはなかったと言われています。

 

 

 

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性格はまさに高級官僚の鑑

 

 

このように血筋は完全に貧民のそれでありながらも、持ち前の知力で大役まで上り詰めた闞沢ですが、その性格は謙虚にして実直。まさに高級官僚にはなかなか見かけない性格でありながら、その鑑ともいえる人物だったようです。

 

宮廷や行政府で人に呼び出しを掛けた時も、身分を気にせず常に対等の立場で接し続け、欠点を見つけた時も直接口にすることはなかったそうな。

 

間違っても「このハゲーーーー!!」とか言わない人だったんでしょうね。昨今の政治家に見習わせたい……。

 

 

そんな彼を史書では一言でこう評しています。「見た目は冴えない無学のおっさんだったが、実際の知識はほぼ無尽蔵だった」。苦学の時から非凡さを見せていた分、もはや博識さは普通の人が追い付けないレベルだったのかもしれません。

 

 

また、厳しすぎることの欠点もよーく見抜いていたらしく、「最近は不正が多いので厳罰を敷いて取り締まりたい」という声にも「礼と律とによるべきだ」と反対し、和と正直を貫いて、その姿勢につられる人も多かったとか。

 

極めつけは、孫権の側近という立場を利用して好き勝手していた呂壱(リョイツ)という人の悪事が発覚した際も、「死刑だ」「見せしめにむごたらしく殺そうぜ」などという意見が大多数を占める中、闞沢だけは「そんな苛烈な刑罰は、この盛んで輝かしい、繁栄の時代でやるものではありません」と進言。孫権は結局、この意見に従ったそうな。

 

 

さて、こんないい人が教育係としても、頭の固い「頭でっかち」であるはずがありません。雑多でまとまりのない文章をわかりやすいように自分なりにまとめて、それを孫権の子供たちに享受。さらに子供らのために、外出や人と会う時の作法なども自分なりに制定したのだとか。

 

しかもその間に『乾象暦注』なるものを著書。これによって、ようやく季節や暦などが完全に一致するようになったのだとか。

 

 

知識人は偏狭と穏やかの二種類に分かれるとどこかで聞いたことがありますが、闞沢は明らかに後者の人物。我々も見習いたいですね……。

 

 

 

評価

 

先述の通りの人格で周囲からの声望も高かった闞沢ですが、知識だけでなく、いわゆる頓智も兼ね備えていたようです。

 

 

魏の曹丕が帝の座に上って魏帝国を打ち立てた時、自身と曹丕の年齢を考えて自分のほうが年上であることを気にし、弱気になった孫権を、「気にする必要はありません」と激励。

 

孫権がなぜかと訊いてみると、闞沢はすかさず、「曹丕の『丕』の文字は、言ってしまえば『十まで届かない』という意味。つまりは十年ももたないという意味です」と返答。

 

偶然か必然か、曹丕はこの後本当に在位七年、十年足らずで病に倒れる事になったのですが……この辺りの切り返しのうまさはさすが知恵者といったところでしょうか。

 

 

こういった才気は、あの名誉棄損に定評のある虞翻(グホン)すら認めるところで、「才能は抜きんでていて、徳も高い。董仲舒(トウチュウジョ・前漢の時代の人で、儒教を国教にすることを献策した人)でも見ているようだ」と絶賛したとか。

 

 

 

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