潘璋 文珪
生没年:?~嘉禾3年(234)
所属:呉
生まれ:兗州東郡発干県
潘璋(ハンショウ)。字は文珪(ブンケイ)。孫権にその才能を愛され、また本人もそれに応えることにより、ある意味どんな困難も跳ね飛ばすだけの絆を結んだ人。
一言で言えば、めっちゃ強い上に極悪非道なジャイアンです。たまに優れてる割に人柄がアレな人っていますが、この人は根が山賊気質なんやろうなぁ……
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ところで、ヤクザの事務所付近は治安がいいらしい
潘璋は昔からアレな性格だったようで、出生払いと称して酒をタダ飲みするような人だったそうな。
しかし、そんな潘璋も同じアレな性格の孫権に取り入りに行って瞬間、彼によって「コイツは戦争させたら強い」とその器を大きく買われ、「お前部下を集めてこいや」とそのまま募兵を命じられ、集まった100人余りの兵士が彼の最初の配下になったのです。
やがて潘璋は呉を騒がす不服従民である山越(サンエツ)の討伐に従軍し大暴れ。別部司馬(ベツブシバ:非主力部隊の隊長)となって、今度は治安の悪い市場の取り締まりの任務を与えられるようになりました。
こうして市場の監視を始めたのは当人の才覚もあってか、市場を騒がせていた殺傷沙汰がピタリと止んで超安全な市場に大変身。たぶん怖かっただけじゃないかな
こんな功績もあって名声が高まると、今度は劉表(リュウヒョウ)の軍に荒らされて困り果てていた西安(セイアン)県のボスに栄転します。こうして潘璋が西安を治めるようになると、今度は劉表軍の略奪がピタリと止んでしまったのでした。たぶん怖かっただけじゃないかな
続けて隣県で住民反乱がおきると、潘璋は武猛校尉(ブモウコウイ)に昇格してこの反乱鎮圧に出立。なんと1ヶ月で平定を完了し、離散していた兵士800人ほどを収容。堂々、孫権の待つ建業(ケンギョウ)へと帰還したのでした。
前門の敵、後門のDQN
建安20年(215)、孫権軍は思い切って曹操軍の前線基地・合肥(ガッピ)を総攻撃。敵は圧倒的少数で負ける要素は無かったはずなのですが、敵将たちの獅子奮迅の働きにより奇跡の大敗北を喫してしまいました。
この時、敵将の張遼(チョウリョウ)が猛然と孫権軍を奇襲、陣中深くまで突撃し、主力の将軍だった陳武(チンブ)は討死。前線部隊の指揮系統は崩壊し、兵士たちは我先にと逃走を図ったのです。
そこでサッと動いたのが、後方に控えていた潘璋。彼は逃走を始めた軍に猛然と駆けつけると、そのまま流れるように逃げて来た兵士2人をスパッと斬首。
「これ以上逃げたら殺される!」と本気でビビった兵士たちは慌てて持ち場に戻ったことで、崩壊寸前だった軍はなんとか持ちこたえることができたのです。「敵が怖くて逃げたのなら、敵以上に怖い味方がいればいい」。なんとも単純な原理ですが、潘璋の働きは確かに大きな原動力になったのですね。
実際、これを見た孫権は潘璋の現場判断力を見て高く評価。陳武の死で不在となった偏将軍(ヘンショウグン)に潘璋を昇格させ、彼を数年の酒代など余裕で返せるどころかブルジョア待った無しの地位まで押し上げたのでした。
また、建安24年(219)に、関羽の討伐部隊に参加。逃げようとする関羽を待ち伏せる伏兵部隊の役割を受け、重臣や息子もろとも関羽をひっ捕らえる大手柄を挙げたのです。
こんな大手柄を挙げたのですから、もう孫権もホクホク。固陵(コリョウ)郡なる軍を新設し、そこの太守と奮威将軍(フンイショウグン)の地位を潘璋に与え、さらに溧陽侯(リツヨウコウ)の爵位まで賜ったのでした。
また、前後して亡くなった甘寧(カンネイ)の軍勢も潘璋配下に引き入れられており、潘璋が孫権にどれほど信頼されていたかがわかるほどの優遇を受けています。
孫呉のDQNは知勇兼備
黄武元年(222)、関羽の死に怒った劉備(リュウビ)が報復戦を仕掛けてきました。
後に夷陵の戦いと呼ばれる1つのターニングポイントになる大戦でしたが、潘璋も呉の有力武将の1人としてこの戦いに参加。前衛の大将をしていた馮習(フウシュウ)を討ち取り、さらに敵兵も多数撃破という大手柄を挙げ、蜀郡の壊滅に尽力。
その後、平北将軍(ヘイホクショウグン)に昇進し襄陽(ジョウヨウ)太守に転進した後に、今度は魏の軍勢が大規模な攻勢を呉に対して仕掛けてきます。
潘璋はこの時、荊州方面に向かってきた夏侯尚(カコウショウ)らの軍勢と対峙。潘璋らの軍勢が駆け付けた時には既に夏侯尚の攻撃を受けた南郡(ナングン)は包囲され危機的な状況を迎えており、どう敵を撃退すべきかで連日軍議となりました。
その中で、潘璋は「勢い盛んに戦う敵と正面からあたるべきではない」と述べた上で、思いついた秘策を提案します。
「敵は長江の中州に一本の渡しをかけて、それを使って中州に渡り、城に圧力をかけとりますな。だったら、その渡しを燃やしちまえばいいんすよ」
潘璋はすぐさま兵を連れ、魏軍の陣地の上流に移動。長江の水かさがまだ少ない時期だったため、座礁しないように葦を切って軽いイカダを大量に作成します。
そして準備ができると、イカダに火をつけて川に流し、それで渡しを通行不能にしてやろうと考えたわけですね。
この作戦はあと一歩で夏侯尚に察知されて失敗しますが、渡しを安易に使えなくなったことで攻め手を失い撤退。結果として、潘璋の策が城を救ったのでした。
その後潘璋は、呉の守りの要である陸口(リクコウ)に後退。孫権が皇帝になると、右将軍(ウショウグン)に任じられ、ついに潘璋の栄華は極まりました。
それから先は特に活躍の機会が書かれておらず、嘉禾3年(234)に死去。家族は孫権に非常に優遇されて息子の潘平(ハンペイ)が跡を継ぎましたが父ほどの力量はなく、そのくせ素行不良なところは父にそっくりだったので完全に干されてしまったのでした。
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お前のものは俺のもの!
と、このようにDQN仲間の孫権からは非常に重宝された潘璋でしたが……その性格は最悪の一言。言ってしまえば、アホみたいに有能でとてつもなく恐ろしい力を持ったチンピラです。
その悪行は酒代のツケだけで飽き足らず、日頃の周囲に対する態度も小悪党じみたものだったと書かれています。
性格は粗暴、贅沢好きで強欲。身分に合わない立派な装飾品を身に着けて贅沢にふけり、晩年に大出世を遂げるとその贅沢や残念な振る舞いも悪化の一途をたどったとか。
特に盗み癖が最悪で、人のものが欲しくなると冤罪をでっちあげて処刑し、当然の押収という形でそれを手に入れるほどだったとか。その矛先は兵士も役人も問わず、孫権が力量を惜しんで黙認したのをかさに「お前の物は俺の物」精神をとことん貫いたのです。
しかしその軍勢は精強で、数千の兵しかいなかったにもかかわらず、実質的な戦力は1万ほどの軍勢にも匹敵する強さを誇りました。
そしてやはり才覚のひとつとして上げられるのは、市場の管理能力。恐怖で不正が起こりにくいだけでなく商品の管理も上手かったようで、他の軍からも不足品を買いに来る将兵が多数いたとされています。
演義では夷陵の戦いで関羽の息子から逃げようとして戦死という割とどうしようもない最期を迎えますが、正史に興味を持つ人が増える最近、情けない最期が創作と理解される一方でどうしようもないDQNとして名が上がる潘璋。
まあどちらでも名将であることに変わりはありませんが……果たして後世の評価で言えばどちらがマシなのでしょう。
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