陳武


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陳武 子烈

 

 

生没年:?~建安20年(215)

 

所属:呉

 

生まれ:揚州廬江郡松滋

 

 

陳武 猛将 人格者 息子のオマケ 名誉の戦死 何気に最強候補 合肥の戦い

 

 

陳武(チンブ)、字は子烈(シレツ)。この人の場合息子が飛び抜けて有能で、彼の伝の記述もそちらがメインになっています。というか、彼自身の記述は最短の伝と言われる孫乾の物より少ないことですっかりネタに……

 

当然、息子ばかりが強く彼は無能というわけでもなく、並外れた武勇と男伊達の人だったのですが……ここに関しては息子があまりに有能過ぎた……。

 

 

 

 

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精強無敵の武の要

 

 

 

陳武は十八歳のころ、袁術(エンジュツ)の配下の一人として寿春(ジュシュン)にいた孫策(ソンサク)に謁見に出かけていきました。

 

この頃の孫策は、あくまで袁術の武将の中でも功績は少なく知名度も微妙なのですが……おそらく何か惹かれるものがあったのでしょう。

 

 

ともあれ、こうして孫策を訪ねた陳武はこのまま彼の配下に収まり、以後は徹頭徹尾孫策、そして弟の孫権(ソンケン)に仕え続けることになります。

 

 

 

さて、こうして孫策の部下となった陳武は、彼に従って長江を渡り、揚州の長官である劉繇(リュウヨウ)を共に駆逐。各所で手柄を挙げ、別部司馬(ベツブシバ)として、非主力隊と言えども一軍を率いる長となります。

 

 

その後袁術が亡くなって孫策が独立すると、袁術の配下であった劉勲(リュウクン)を撃破。孫策は、それまで袁術の軍の一員であった過去と決別するに至りました。

 

 

こうして完全に独立を果たした孫策は、独自の精鋭部隊の結成を決意。劉君を駆逐した際に捕虜にした兵士から特に精強な兵士を選りすぐり、勇猛な指揮官の元で無敵の軍勢に育て上げようと画策したのです。

 

 

この時、指揮官としての白羽の矢が立ったのが陳武でした。

 

 

陳武は孫策の意を汲み、この最精鋭部隊を指揮して戦場を奔走。その軍は向かうところ敵なしの、まさに孫策軍の看板部隊のひとつとして無類の強さを発揮したとか。

 

 

孫策死後もその強さは変わりなく、孫権が跡を継ぐと五校尉(首都防衛の機動隊)の監督役を任されることとなり、平時は防衛軍の重役として警護を担当。

 

当然、戦時には無敵の軍を率いてしばしば戦功を挙げ、最終的には、偏将軍(ヘンショウグン:将軍では下位の位だが、そもそも当時の孫権自身位が低く、将軍職はかなり希少)にまで昇進することとなったのです。

 

 

 

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しかし、建安20年(215)に行われた曹操領の合肥(ガッピ)侵攻では、曹操軍の奇襲や猛攻を前に孫権軍は瓦解。孫権軍本陣の守備隊も壊滅し、圧倒的大敗北を喫してしまいました。

 

陳武もこの戦いに参戦。圧倒的劣勢の中奮戦し命懸けの大立ち回りを見せますが、もはや敗勢は覆しきれず戦死。孫権も彼の死を悲しみ、多忙である君主の身でありながら彼の葬儀には自ら出席したそうです。

 

 

 

人情派の猛将

 

 

陳武の人となりを、三国志を編纂した陳寿はこう記載しています。

 

他者への思いやりが厚く気前もよかった。そのため各所から、戦乱で故郷を追われた放浪者たちが彼を訪ねてきた。

 

孫呉の猛将と言えばどうにも気難しい武骨者のイメージがありますが……戦場で無双の働きをする陳武は、むしろ他者に対しての感受性を持ち合わせていた人物だったんですね。

 

 

そんな彼の人柄ゆえか、君主である孫権の寵愛も厚く、孫権自ら陳武の家を何度も訪ねるほどの仲だったようです。

 

 

 

なお『江表伝』においては、孫権は悲しむあまり陳武の妾に殉死を命令しており、三国志の研究をしていた孫盛という人物は、「他人を殉死させるような君主なら、後々滅びるのも納得ですな」とこの行動を批判したとか何とか。

 

 

まあともあれ、陳武はそれほどまでに愛された猛将だったのでしょう。

 

 

……それはそうと、三国志演義では黄色い肌に赤い瞳という異形の人物として書かれていますが、これの元ネタって何かあるんでしょうか……?

 

 

 

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