このエントリーをはてなブックマークに追加

徐栄

 

 

生没年:?~初平3年(192)

 

所属:他

 

生まれ:幽州玄菟郡

 

 

 

 

 

徐栄(ジョエイ)という名を聞いたことがある方は、おそらく三国志好きの中には少なくないと思われます。

 

というのも、なんと曹操(ソウソウ)、孫堅(ソンケン)という二大スターを粉砕するという化け物ぶりを見せた人物。これでは、人気とまでは行かなくてもその界隈ではそこそこ有名にもなるというもの。

 

 

しかし、その最期はなんともあっけないものでした。

 

さて、今回はそんな徐栄の事績を、主に後漢書の董卓(トウタク)伝から拾っていきましょう。

 

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

董卓軍のヤバい人

 

 

 

徐栄は董卓軍に中郎将(チュウロウショウ:将軍より一つ下位の高級軍人。董卓軍中ではかなり高い位)として仕えたとされています。

 

また意外なことに、後々遼東(リョウトウ)で独立勢力を誇る公孫度(コウソンド)を同じ州のよしみからか董卓に推挙。彼が後々一大勢力として勇躍する足掛かりを作っています。

 

 

さて、そんな徐栄が大活躍するのが、董卓に反発した諸侯がいわゆる反董卓連合を結成し、一斉に攻め寄せてきた時。

 

 

この時、徐栄の最初の相手になったのは、当時はまだ雑魚群雄の一人にすぎなかった曹操です。

 

曹操はやる気がなくお互い飲み会で牽制し合ってばかりの連合軍に失望し、自身を応援してくれる人物から借り受けた兵を糾合した即席戦力で董卓のいる洛陽(ラクヨウ)に向かう最中、たまたま徐栄の軍と遭遇、交戦したとされています。

 

 

この時徐栄は、自身の兵の方が多数だったこともあり、曹操軍に圧勝。協力者の衛茲(エイジ)や鮑>(ホウトウ)を討ち取り、さらに曹操自身の肩にもけがを負わせます。

 

結局、腹心である曹洪(ソウコウ)の手によって曹操は戦線を離脱してしまいますが、曹操は戦力にならないくらいの大打撃を受けたとされています。

 

 

しかし、徐栄は曹操軍が死ぬ気で奮戦していたのを見て、ここで進軍停止。

 

「無名の曹操程度でもあれほどならば、きっと本陣を攻めるのは厳しいだろう」

 

当然と言えば当然ですが、当時ただのモブ武将であった曹操が後に天下に大手をかけるなどと知る由もなし。そんな曹操の奮戦を見たことで、徐栄はひとまず連合軍本陣攻撃を切り上げたのです。

 

 

また、その後も梁(リョウ)にて孫堅軍を捕捉し、これも遭遇戦で大いに撃破。孫堅はこの時、祖茂(ソモ)に自分のトレードマークである頭巾をかぶせて囮としその間に数十騎で戦線離脱。間道沿いに逃げていくしかなかったほどの大打撃を与えたとされています。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

その死に際は呆気無し……

 

 

 

このように、徐栄はよりにもよって後の魏呉の始祖となるような英傑たちを破るという驚異的な戦果を見せつけた徐栄。おそらく、彼が対連合軍のMVPといっても過言ではありません。

 

事実、やる気がイマイチな反董卓連合軍は曹操孫堅の沈黙によって無力化。孫堅軍がその後すぐに盛り返したからよかったものの、董卓軍の大勝で終わった可能性は大いにあったと思われます。胡軫、呂布、お前ら見習え

 

 

 

しかし、そんな徐栄を待っていたのは、非業の運命ともいえるものでした。

 

初平3年(192)、なんと主である董卓が養子である呂布(リョフ)の手にかかり死亡。暗殺を手引きした王允(オウイン)が政権のトップに立ち、董卓派の巣窟であった涼州人の駆逐を押し広めたのです。

 

この時反董卓の強硬姿勢を貫く王允のやり方は、「涼州の出身者を皆殺しにして回っている」という風聞として董卓軍残党に広まったとされています。

 

 

徐栄は董卓に思うところがあったのか保身のためか、董卓死後は王允側に編入。彼に従う事にしました。

 

 

 

が、そんな折、自らの命の危険を感じた董卓子飼いの武将である李傕(リカク)らが、大挙して王允のいる長安(チョウアン)を襲撃。

 

この時に徐栄は胡軫(コシン)や楊定(ヨウテイ)らと共に出撃。そのまま董卓軍残党を迎撃しますが、圧倒的な軍勢の前に敗北。胡軫らが董卓軍側に寝返ったこともあり、徐栄はそのまま討死。

 

 

二大スターを蹴散らす大功を立てた徐栄ですが、その最期はあまりにパッとしませんでした。呂布のような厚顔無恥さと行動力が足りなかったのか……?

 

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加

関連ページ

董卓
みんな大嫌い(?)、三国志随一のヤベー奴。思想、能力、方向性。すべてにおいて、儒教国家からすると猛毒ともいえる人物です。
李傕
性格破綻者とはまさにこの事。ヤバさでいえば董卓以上です。
郭汜
ウンコマン。
牛輔
董卓軍の時代のホープ……なんだよね? ねえ?
袁紹
迷族とかいろいろ言われていますが、正史の彼はむしろ果断の人……
袁術
今なお愛されている蜂蜜キング。
劉表
荊州の群雄として活躍していた清流派の皇族ですね。雑魚群雄のイメージはありますが、見てる限りなかなかにしたたか……
呂布
三国志でも最強の武人。しかし中国史には項羽とか言う化け物が上に居るんや・・・
張邈
曹操のマブダチだったのですが、曹操、袁紹の板挟みの末、突然の裏切り。曹操軍の黎明期を支えた最良の支援者は、憎むべき裏切り者として名を残すのでした。
陳宮
ちんこうだい。曹操アンチの史書や演義だと良アレンジされていますが、正史ではクソ野郎。
公孫瓚
イケメン白馬のアルティメットイナゴ。
陶謙
魏と呉で評価が随分違う人。というかこの人ブラック過ぎへん!?
張燕
黄巾の乱に便乗した盗賊が、いつしか黒山賊という大盗賊団を結成。そこのドンとして君臨し続けたトンデモ人物こそが、この張燕でした。
張繍
曹操にトラウマを植え付けた人物は複数いますが……彼もそんな人物の一人ですね。
劉璋
偉大な野心家である親父の残り香に振り回された、ちょっとかわいそうな人。
張角
三国志を作る遠因を作った張本人。彼によって引き起こされた大反乱こそが腐りきった漢という国にトドメを刺し、戦乱の幕開けになったのは間違いありません。
華雄
ボルケーノ惨劇
蔡瑁
劉表のガチ参謀。本文での活躍が少なく、引用書籍からの記述が多いですが……
黄祖
孫家一門としのぎを削った宿敵枠。負けの記述しかないのが哀愁を誘う。
張任
演義では一流の部将。正史でも劉備に評価されますが……結局処刑されたからどんな人かわかりません。
笮融
仏教を悪用したぐう畜生。正史の記述が事実なら、彼ほどのロクデナシは乱世と言えどもそうはいないでしょう。
禰衡
三国志の世界にも、頭のおかしい狂人はいるものです。禰衡は高名な名士でしたが、その名声に驕って他人を中傷しまくる毒舌芸人でもありました。
昌豨
お前曹操のこと死ぬほど嫌いだろ
眭固
派手な顔芸として知られる人物ですが……実際は地味な群雄。というかひとつのドタバタ劇の最終ランナー。

ホーム サイトマップ
お問い合わせ