張燕
生没年:?~?
所属:他→魏
生まれ:冀州常山軍真定県
張燕(チョウエン)、字は不明。三国志にはちょいちょい黒山賊(コクザンゾク)という謎の集団が出てきては、袁紹(エンショウ)を苦しめていましたが……この張燕こそが謎集団・黒山賊の長。
盗賊団上がりで、その数は100万とも称される、立派な群雄のひとり。何気にこの人、ドラマティックな立ち上がりをしてるんですね……
今回は盗賊上がりの大山賊集団・黒山賊の長、張燕の伝を見ていきましょう。
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黒山賊、発足
張燕の元々の苗字は、褚(チョ)といいました。それがいつしか張燕と名を変えたのですが……これは黒山賊の発足と大きく関係しているようです。というのも、最初に張燕らの山賊集団を率いていたのは、張牛角(チョウギュウカク)という人物。
黄巾の乱によって民衆が一斉蜂起した時、張燕は盗賊団を立ち上げ、あちこちを荒らしまわり、勢力を強めながら故郷である真定(シンテイ)県に帰っていきました。帰京した時には、盗賊団の規模は1万以上。
その名が知れたことで、別の盗賊団を率いていた張牛角らもこれに合流。頭目を張牛角とし、その勢力はさらに強くなったのです。
……が、強くなったといえども所詮は盗賊団。その頭目の安全性は高いとは言えなかったらしく、ある時、張牛角は流れ矢を浴びて死亡してしまいます。その死の間際、駆けつけてきた張燕らを前にして、死を察した張牛角は次の頭目を指名。そこで名が挙がったのが、当時褚燕と名乗っていた張燕でした。
こうして、褚燕は張燕に改名。頭目としてどんどん勢力を増強していき、周辺の盗賊団とも次々と結託。やがて100万とも号される大盗賊団のトップに立ち、黒山賊と名乗って乱世に名を上げたのでした。
戦いの末に
意外かもしれませんが、張燕は董卓(トウタク)が朝廷を牛耳っていた際に発足した反董卓連合軍に参加。後の宿敵となる袁紹指揮下の群雄になっています。
が、反董卓連合は一部を除いて動く気配を見せずにそのまま解散。張燕はその後、北方の公孫瓚(コウソンサン)と結んで袁紹とは敵対の道を選びました。
しかし袁紹軍は非常に強く、やがて公孫瓚は逆転という形で袁紹に敗北し滅亡。張燕の黒山賊も、公孫瓚の勢いが衰え始めたあたりで袁紹軍の攻撃を受け、客将であった呂布(リョフ)に敗北してしまいます。
そこから袁紹との戦いは常に劣勢に立たされ、盗賊団は次々と乖離。隆盛を極めた黒山賊も、その大半は「ただ勢いがあったから」というだけでたむろしていた、勝ち馬志向の輩の集まりに過ぎなかったのです。
その後、袁紹から相手にされなかったのか攻勢にさらされながらも辛うじて耐え抜いたのかはわかりませんが……張燕は辛うじて生き延び、落ちぶれた黒山賊を滅亡寸前のところで保持。数年後に袁紹が死亡し、南で勢力を強めていた曹操軍の河北台頭まで耐え抜くことに成功します。
敵の敵は味方という判断か精魂尽き果てたのかはわかりませんが、曹操が袁紹旧領を攻撃し始めると張燕は降伏。官軍である曹操軍に助力を申し出て、平北将軍(ヘイホクショウグン)の官位を贈与されます。
やがて軍勢を率いて鄴(ギョウ)へと出頭。曹郡に正式に加わると、安国亭侯(アンゴクテイコウ)の爵位と領土500戸を渡され、張燕の群雄としての戦いは終わったのです。
曹操軍としての張燕の記述は特にありませんが、盗賊上がりの群雄として時代を駆け抜けた張燕は曹操軍の将の一人として死去。子は引き続き曹操軍に仕えたのでした。
『九州春秋』では、黄巾の乱の際に挙兵した人物の中に「飛燕」を名乗る人物がおり、挙兵時に名の上がった者の率いる兵は数千から数万だったとされています。
『典略』においては、この飛燕という人物は張燕の字で、高官でもないのに勝手にみんなで付け合ったものの一つだったようです。
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人物評
三国志において、張燕はあくまで曹操が倒した敵の一人。彼自身についてどうこうと述べられている評価は無く、あくまで他の群雄と一緒にこう評されているのみです。
賊軍の頭という生活を捨てて、功臣の一人に名を連ねた。滅亡した輩よりは幾分マシだろう。
公正公平で謳われた陳寿の三国志ですら、魏呉蜀以外の勢力の長は必ずどこかで貶さざるを得ず、ましてや張燕のような「どこぞの馬の骨」ともいえる人物に対して、それっぽい人物評を残されなかったわけですね。
とはいえ、頭目であった張牛角から後を託され、その盗賊団を「黒山賊」と号するトンデモ規模の大勢力にのし上げた手腕は並大抵ではありません。
また当人の身体能力も一流で、その素早い身のこなしから実際に「飛燕」とあだ名されていたのは三国志本文にある通り。
史書には微妙な書かれ方しかしていない張燕ですが、この経歴はある程度以上優れた人物にしか歩めないのは間違いないでしょう。
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