華雄
生没年:?~?
所属:他
生まれ:?
華雄(カユウ)と言えば、とうとう三國無双シリーズにもプレイアブルとして登場した、董卓軍きっての猛将。……まあ実際は関羽(カンウ)の噛ませですが、それでもその強さを遺憾なく発揮した人物と言って良いでしょう。
が、そんな華雄も正史ではとにかく残念極まる最期を遂げており……
スポンサーリンク
演義では剛勇の猛者
三国志、あるいは後漢末で華雄と聞けば、やはり圧倒的な強さで反董卓連合を圧倒した一流の猛将を思い浮かべるのではないでしょうか。
汜水関(シスイカン)を守る守将として堂々たる登場。兵糧不足に苦しんだとはいえ孫堅(ソンケン)の軍勢を追い詰めて後退させ、数多いる連合軍の猛将を次々と討ち取り、盟主の袁紹(エンショウ)すらも「うちのエースがいてくれたら」と悲嘆させるほどの強さを見せつけます。
しかしまだ名もなかった劉備(リュウビ)の弟である関羽(カンウ)によって一撃で討ち取られ、関羽の武勇を示すための噛ませ犬としてこの上ない存在感を発揮しました。
当然ながら、三国志を題材にしたメディアでもおおよそこの強さがしっかりと再現され、董卓軍でも呂布(リョフ)を除くと武勇随一の超大物武将として登場し、過小評価されがちの董卓陣営の中ではひときわ異彩を放っています。
……が、正史においては、なんとたったの一文で華雄の伝をしめられています。
孫堅は陽人(ヨウジン)で董卓と戦って大勝し、都尉(トイ:軍事担当者)の華雄を討ち取って首を獄門にかけた。
つまり、演義では打ち破ったはずの孫堅に対してあっさり敗北。しかもそのまま討ち取られて無事死亡という、何とも盛り上がらない結末を迎えているのですね。
ちなみにこの一文以外で、華雄の名前は史書にはありません。本当にこれだけの、どうしようもなく少ない出番でした。
戦いの経緯
『英雄記』には、華雄が死んだ陽人の戦いの細かな経緯が書かれています。
この戦いにおける董卓方の総大将は、武勇に優れた胡軫(コシン)という人物でした。しかし胡軫は武名に驕るばかりで非常にせっかち。この戦いにおいても、「所詮は太守一人討ち取れば決着がつく。楽勝じゃねえか」と驕り節全開だったのです。
それを見て面白くなかったのが、副将の呂布をはじめ多くの部将たち。彼らは元々胡軫が大嫌いだったので、なんと罠に嵌めて敗北に追い込み、武名に傷をつけてやろうと考えたのです。
そこで呂布たちは胡軫に対し、「孫堅軍が撤退した」という偽情報を流して、「早く追わないと!」と胡軫を急かします。
が、直前まで孫堅と戦い、その足で強行軍を率いていた胡軫軍は疲労困憊。とうとう体力が限界を迎え、鎧を脱いで休息を開始するものの、呂布たちはそこで再び「孫堅軍が攻めてきた!」と偽情報を伝播。
慌てて逃げた後で偽情報と悟った胡軫は再び追撃ルートに入って陽人の城を攻めますが、そこではなんと孫堅軍が万全の体制で待ち構えていたのです。
強行軍の末に休憩すらろくにとれなかった胡軫軍と準備万端の孫堅軍では勝負になるはずもなく、胡軫は敗北して退却。華雄はこの時に捕らえられて斬られたというわけですね。なんというか憐れ
スポンサーリンク
ちなみに……
なお、『三国志演義』での孫堅軍はこの時に袁術(エンジュツ)軍からの兵糧輸送ストップと董卓軍の襲撃で敗北という二重苦を味わっていますが……これの元ネタは、なんと正史の本文にあるのです。
まず陽人の戦いの前の事。孫堅軍は華雄……ではなく、董卓軍の勇将・徐栄(ジョエイ)の軍に大敗。後に孫堅四天王の一人とされる祖茂(ソモ)にトレードマークである赤頭巾をかぶせる事で何とか逃げのび、難を逃れています。
続けて兵糧輸送をサボタージュされた件は、陽人の戦いの直後に書かれていますね。
この時の孫堅は袁術軍の配下であり、孫堅の手柄はそのまま袁術のものと同じ。つまり、袁術に孫堅を妨害する理由はなかったのです。
では誰が兵糧輸送の止めたのかというと……孫堅の活躍を妬む、名も知れぬ袁術軍武将。
名も知れぬ彼は、袁術に対して孫堅を危険人物であるかのように吹聴して袁術に讒言。これを信じた袁術は、孫堅を怪しんで兵糧の輸送を一時期やめてしまったのです。
しかし、説得に来た孫堅に対してもはや言い返すこともなく論破され、結局兵糧輸送を再開。以後、孫堅は洛陽(ラクヨウ)近郊まで反董卓軍の戦線を押し上げることに成功したのです。
……まあ、実際孫堅は上司を殺して兵を奪った前科持ち。ある意味、疑われてしまうのも仕方ないかもしれませんね。
関連ページ
- 董卓
- みんな大嫌い(?)、三国志随一のヤベー奴。思想、能力、方向性。すべてにおいて、儒教国家からすると猛毒ともいえる人物です。
- 李傕
- 性格破綻者とはまさにこの事。ヤバさでいえば董卓以上です。
- 郭汜
- ウンコマン。
- 牛輔
- 董卓軍の時代のホープ……なんだよね? ねえ?
- 袁紹
- 迷族とかいろいろ言われていますが、正史の彼はむしろ果断の人……
- 袁術
- 今なお愛されている蜂蜜キング。
- 劉表
- 荊州の群雄として活躍していた清流派の皇族ですね。雑魚群雄のイメージはありますが、見てる限りなかなかにしたたか……
- 呂布
- 三国志でも最強の武人。しかし中国史には項羽とか言う化け物が上に居るんや・・・
- 張邈
- 曹操のマブダチだったのですが、曹操、袁紹の板挟みの末、突然の裏切り。曹操軍の黎明期を支えた最良の支援者は、憎むべき裏切り者として名を残すのでした。
- 陳宮
- ちんこうだい。曹操アンチの史書や演義だと良アレンジされていますが、正史ではクソ野郎。
- 公孫瓚
- イケメン白馬のアルティメットイナゴ。
- 陶謙
- 魏と呉で評価が随分違う人。というかこの人ブラック過ぎへん!?
- 張燕
- 黄巾の乱に便乗した盗賊が、いつしか黒山賊という大盗賊団を結成。そこのドンとして君臨し続けたトンデモ人物こそが、この張燕でした。
- 張繍
- 曹操にトラウマを植え付けた人物は複数いますが……彼もそんな人物の一人ですね。
- 劉璋
- 偉大な野心家である親父の残り香に振り回された、ちょっとかわいそうな人。
- 張角
- 三国志を作る遠因を作った張本人。彼によって引き起こされた大反乱こそが腐りきった漢という国にトドメを刺し、戦乱の幕開けになったのは間違いありません。
- 蔡瑁
- 劉表のガチ参謀。本文での活躍が少なく、引用書籍からの記述が多いですが……
- 黄祖
- 孫家一門としのぎを削った宿敵枠。負けの記述しかないのが哀愁を誘う。
- 張任
- 演義では一流の部将。正史でも劉備に評価されますが……結局処刑されたからどんな人かわかりません。
- 笮融
- 仏教を悪用したぐう畜生。正史の記述が事実なら、彼ほどのロクデナシは乱世と言えどもそうはいないでしょう。
- 禰衡
- 三国志の世界にも、頭のおかしい狂人はいるものです。禰衡は高名な名士でしたが、その名声に驕って他人を中傷しまくる毒舌芸人でもありました。
- 徐栄
- アンジェリーナ・ジョエー
- 昌豨
- お前曹操のこと死ぬほど嫌いだろ
- 眭固
- 派手な顔芸として知られる人物ですが……実際は地味な群雄。というかひとつのドタバタ劇の最終ランナー。