鶏肋


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鶏肋

 

 

 

 

鶏肋、といえば、その言葉通り。鶏のあばらの事を指しますね。

 

 

この部分、最近では鶏ガラという名称で普通に売られている部分です。
見たことがある方はその形からピンとくるかと思いますが……

 

 

身が少ない!

 

 

基本的には鶏ガラで出汁を取るための部分として使われており、この部分を食用とする人はめったにいないのではないでしょうか。

 

 

というのも、身が少ない!

 

それはもう、極端に少ないです。あばらの周りに、薄ーくわずかに肉がついているだけ。他は全部骨というありさま。

 

一応しゃぶるようにして食べればうまいんです、一応! でもそうやって食べたところでむなしさが残るだけなんです!

 

 

この事から、鶏肋という言葉は

 

捨ててしまうのももったいないけど、かといって使ったり持ってたりしてもどうしようもない物という意味を指します。

 

 

 

 

この言葉も意外なことに三国志出身。

 

魏書武帝記(曹操の伝)で目の当たりにできるほか、後漢書にもその記述があります。

 

 

曹操劉備が漢中という土地を取り合って戦争した、俗にいう定軍山の戦いと呼ばれる戦いの最中。

 

曹操軍は重臣・夏侯淵の戦死などもあり、劉備軍に勢いで押されていました。しかも劉備は有利な土地を奪い取り、持久戦の構えを見せています。

 

 

このままでは勝つどころか被害が広がる一方の曹操軍。そんな様子を見て、大将の曹操は、ぼそりと「鶏肋」という言葉を発しました。

 

 

この言葉を隣で聞いていた楊脩(ヨウシュウ)という参謀は、曹操のこの嘆きの言葉を聞き、

 

「鶏肋=手放したくないけど、かといって食べるほどの物でもない肉。つまりこれは漢中の事であり、撤退するという意味だろう」と解釈。

 

指示も待たずに撤退を始めたのです。

 

 

この行動は軍記違反であり、「兵を混乱させる」という理由で、曹操は後に楊脩を処刑。これを兵士に見せつけ、規律を守ったとか。

 

 

ちなみに三国志演義でも似たような形で楊脩は処刑されますが、その後の展開が少し異なります。
というのも、この時点で曹操に撤退の意思はなく、楊脩を殺した後に劉備と一戦交え、ここでもさらに負けたことから曹操は初めて撤退を決意、楊脩の遺体を丁重に弔ったとか。物語の都合上、曹操は冷血な悪役でなければなりません。そういった事情から、こんな展開に脚色されたのかもしれませんね。

 

 

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見え隠れする後継者争いの影……

 

 

さて、ここからは個人的な解釈を少々……

 

 

実は当時の中国では後継者争いの危険が常に付きまとい、晩年を迎えた英雄たちはその対処に苦心しているように見られます。
例えば孫権袁紹は家中での分裂を引き起こして滅亡の原因になっていますし、劉備も養子にイチャモンをつけて処刑することで、後継争いを回避しています。

 

 

曹操のところも、兄の曹丕(ソウヒ)と弟の曹植(ソウショク)が水面下で争っており、楊脩は弟である曹植を支持する勢力の重役だったとされています。
さらには曹植のほうも楊脩を特別視し、「数日も君に会えないと不安になる」という旨の手紙も残したらしく、曹植とはただならぬ深い絆で結ばれていた様子。

 

曹操が最終的に後継者に選んだのは兄である曹丕であり、そういった観点から、能力のある上に曹丕をあえてぞんざいに扱っていた楊脩を危険視し、反乱を未然に防ぐために処刑したのではと考えられます。

 

曹操は昔、宿敵である袁紹を、死後の後継者争いに付け込んでようやく滅ぼした経験があるので、そういった部分も起因して、早めに芽を摘み取っておきたかったのかもしれませんね。

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