苦肉の策
苦肉の策。なんだか難しそうな、いかにもことわざといった感じの言葉ですね。
意味合いとしては、
「計略を成功させるために、自分や味方をあえて苦しめる」といったもの。
似たような慣用句に、「敵を欺くには、まず味方から」というものがありますね(意味合いはちょっと違うけど)。
さて、そんな苦肉の策ですが、元ネタは三国志……。
それも、正史三国志ではなく、大衆小説である「三国志演義」だと言われています。
スポンサーリンク
由来となった話はこれ!
この話の元になったのは、単独トップの勢力に躍り出た曹操が、孫権の領土に侵攻し戦った「赤壁の戦い」だとされています。
この戦いにおける曹操軍と孫権軍の兵力差は5倍とも10倍ともいわれており、孫権陣営では絶望的な空気が流れていました。
この戦いにおいて、孫権軍の司令官である周瑜(シュウユ)と、その軍に参加していた黄蓋(コウガイ)は、
お互い相談し合って、ある策を思いつきます。
この時の策こそが、後に「苦肉の策」と呼ばれる大計略だったのです。
まずお互いの不仲を内外にアピールするため、黄蓋は周瑜を「無能である」としてこっぴどく罵倒します。
これに対して怒った周瑜は、黄蓋を鞭打ちの刑に処し、これを公衆の面前で執り行ったのです。
重傷を負って、周囲からはすっかり「周瑜に嫌われている」と思いこまれた黄蓋は、共謀者を通じて曹操軍への投降、寝返りを申し出ました。
これを信じた曹操軍は、黄蓋の投降を許可。黄蓋を迎え入れます。
しかし、その投降こそが罠だったのです。
黄蓋が乗っていた船は突如炎上。そのまま曹操軍の船に延焼し、一気に大火災に陥ったのです。
かくして、この決死の火計により曹操軍は壊滅。孫権の領土は守られたのでした。
後にこの話は、「兵法三十六計」と言われる中国の兵法書に「苦肉計」として取り上げられ、現代でも多くの人に知られるに至ったのです。
スポンサーリンク
でも、演義での話ということは……
当然、この話も演義での話。つまりフィクションです。
さらには諸葛孔明が風を起こしたり、周瑜をこの後翻弄したり、はたまた関羽(カンウ)が曹操をわざと見逃したりと、演義ではいろいろな見せ場があるのですが……
これらもすべてフィクション。正史三国志における赤壁の戦いは、実にあっさりした内容となっています。
簡単にまとめると……
2.曹操軍はこの時疫病が流行っていて、兵たちも本調子が出ずに苦戦
3.黄蓋の立案により、火攻めを行って曹操軍を見事に撃退
これだけです。
とはいえ、周瑜らが数倍の曹操軍相手に勝利を収めたのは真実ですし、演義での主人公・劉備(リュウビ)が国を得るためのきっかけとなった戦いであるのは事実です。
三国志演義が小説である以上、やはりドラマチックに書きたくなるのは、わかる気がしますね……
関連ページ
- 三顧の礼
- 超有名な言葉ですよね。 今でも、「手厚く迎え入れる」という意味でしばしば使われます。
- 鶏肋
- 鶏の肋骨のこと。 ですが、そこから転じて割と有名なことわざに……
- 千載一遇
- 三国志とはちょっとズレますが、これもまた入る……のかな?
- 士別れて三日なれば、即ち更に刮目して相待すべし
- ことわざとか古事というより、アレですね。名言。そう言ったほうが間違いないかも。
- 月旦
- 人物評とか、そういう意味合いがありますよね。 三国時代……というかそれよりちょっと前の人がこの言葉のはじめとか……
- 十人十色
- 正直、語源は全くの不明です。 が、三国志にも
- 白眉
- 「白眉最も良し!」 一番いい物に対して、そんな言葉が使われ魔すよね。
- 水魚の交わり
- 水と魚のように、お互いないといけないという意味。 まあ、偉い人たちが賢く見せるために使う、難しい言葉の一つですね。 これも普通に三国志が元の由来。
- 南船北馬
- 三国志由来かと言われるとちょっと悩みますが…… まあ三国志の戦力分布にもかなり影響した言葉です。
- 破竹の勢い
- これもまた、三国志ネタの一つです。 後期の話なので、案外知らない人も多い……かも。
- 兵は神速を貴ぶ
- 神速……響きがいい……