南船北馬
南船北馬という言葉は、もう昨今では当たり前のように使われている言葉ですね。
しかし、その意味については、案外トンチンカンな答え(!?)が返ってきやすい言葉だったりします。
意味合いとしては、「あちこちをせわしなく動き回る事」。
実は、右往左往とか東奔西走とか……そういう意味合いが強い言葉なんです。
ただ、振り回されてあちこち動くというよりは、この言葉は「旅に出る」という意味合いが強いようで……。つまり、「旅行しまくっててせわしない」とか、そういう感じのニュアンスが強いのです。
その出典
この言葉の出典は、紀元前に書かれた「淮南子」という思想書です。読み方は本来「わいなんし」とするところですが、日本ではかなり古くから伝わったため、呉音で「えなんじ」と読むのが正しいのだとか。
前漢の最大版図を築いた武帝時代に、その血族である淮南王・劉安によって学者が招集されて作られたのが、この淮南子だとか。
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で、結局どうして南船北馬なわけよ?
で、この言葉の語源ですが……
中国という国は、北半分と南半分では土地柄や文化がまるで違います。で、その最たる例の一つが移動手段だといわれています。
中国北部は広大な大地が広がっており、主な移動手段は陸路を素早く駆けていける馬。対して南の土地の中心は、広大な長江による水運のネットワークで構築されていたのです。
この事から、北の大地では馬、南では船と移動手段をコロコロ変えて旅をする必要があり、こういった土地柄の事情から、「南船北馬」という言葉が生まれたのです。
実は三国志にも如実に……
さて、この「南船北馬」の語源にもなった土地柄……実は三国志におけるそれぞれの得意戦術や戦い方にも非常に大きな影響を与えています。
特に大きな差が出ているのが、中国北部に一大勢力を誇った魏と、南東の長江下流に割拠した呉。
陸地の多い魏では騎馬隊を中心とした陸上戦力が充足しており、特に曹操や司馬懿といった代表的指揮官たちの多くは、この騎馬戦力を最大限に使って敵を撹乱する高機動戦術を得意としていました。
それに対し、呉の得意な戦法は、長江という巨大な天然の堀を最大利用した水上・防衛戦こそが真骨頂。
そのため戦力に勝る魏も、長江を盾に戦う呉をなかなか攻めきれず、対する呉も、陸地を出れば魏軍の機動戦術に苦しめられ、結局領地を奪うことができなかったのです。
南船北馬という言葉の元来の使い道とはまるで違いますが……こういう地勢、情勢なんかで三国志を見ていくのも面白いですね。
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